真夜中の子供たち
ニーアが、仕事で留守にするときも、ポポルのところには行きたがらなかった。ひとりで、じっと家の中にこもっていた。まだなれないだろうとおもって、ニーアは無理強いをしなかった。図書館では絵本、街に出たら土産を持って帰った。女の子の、好みそうなものだ。それはヨナが好んだもの。カイネはこくんと頷いて受け取ったが、それで遊んでいるようには思えず、土産たちはいつも箱の中でひっそりと眠ることになった。
そして、カイネは、ひとことも喋らなかった。それと、もうひとつ、気になることがあった。
カイネは決して、ひとの前では肌を見せたりしなかった。着替えるのもからだや髪を洗うのも、ひとりでした。手間がかからなくていい、とはニーアには思えなかった。ときどき、すすぎきれずに、髪には泡が残っていたし、ちゃんと乾かしていなかった。
それを見つける度に、逃げ回るカイネをつかまえて、タオルをかぶせた。ごしごしと吹きながら、ふと、気付いた。偶然だったのだろうか。首の付け根から、変色した痣や傷が残っていた。転んだのではありえない。もっと古いものもあった。
「これ……」
ニーアが顔をしかめると、カイネはさっと顔色を変えて、逃げ出した。まるで猫の子のように、さっと姿を見せなくなった。
ポポルは、カイネの傷のことを知っていた。―故郷で、村人から虐待をされていたことを。
そして、カイネのからだが、ひととは少し違うことも告げた。そして、両親がなくなったころから、「呪われている」「不吉だ」と、疎外されていたこと。同じ年頃の子どもたちには石を投られて、殴られ蹴られていた。嫌悪の視線をにじませて、おとなたちは誰しも見て見ぬふりをした。そして崖から、うっかりと落ちて死んでしまうことすら望まれていた。
カイネの祖母であるカーリーが生きているうちは、まだもやマシだった。気の強いカーリーは、孫を傷付けた子供たちに石を投げ返し、色あせたスカーフで哀れな孫を包み込んでまもった。それでも隠れてカイネを傷付けるものはあとを立たず、悪意の視線からもまもりきれないと思ったのか、村から離れた場所に、掘立小屋を建てて、暮らすようになった。その頃から、あちこちでマモノがあらわれるようになった。正体不明の化け物は、日に弱い。霧に覆われ、ほとんど日の当たらない崖の村はマモノにとっては格好の場所だったのだ。
そして、ある日、トカゲのような巨大なマモノがやってきて、カーリーは踏みつぶされた。カイネは小さすぎて、その姿がマモノには見えなかったのか、幸運にも助かった。しかし、祖母がマモノと呼ばれる化け物に殺されたのに、たったひとり助かったために更に不吉だと遠ざけられた。
そして、ある日。崖の村の者がマモノに殺された時、すべてカイネのせいだとされて、崖から突き落とされかけた。さすがにこころを痛めるものがいて、ニーアの村に手紙が届いたという。
ニーアはポポルから話を聞いている間、胸がしめつけられるようで、目にはうっすらと涙が滲んだ。非情な者たちに憤り、カイネの苦しみがおもいやられた。
あれほどの小さなからだに、なんという悲しみを詰め込んでいるのだろう。
「カイネ」
ニーアは家に戻ると、カイネがばたばたと隠れる気配がした。棚の中に隠れてしまったのだ。
「もう、つかまえたりしないから、出ておいで」
「……」
カイネは、渋々という様子で半分だけ顔をのぞかせた。上目で、ニーアの顔を眺めていた。ちいさな獣が、慎重にうかがっている。
「怒ってないよ」
棚からでてこようとしないカイネを、見つめた。なんて小さいのだろう。カイネは、ヨナが来ていた服を渡しても決して着なかった。祖母からもらった服を大事に着ていた。少し成長したために、手足の丈が少し足りなかった。
「傷は痛くないか?」
カイネは押し黙ったままだった。ニーアは隙をついて、カイネの腕をとらえると、ぎゅうっと抱きしめた。あまりにも細く、けれど温かかった。早く心臓の鼓動も、伝わってきた。カイネは、ニーアの腕の中でじたばたと暴れたが所詮は子供のあがきだった。
「はなせ…ぇッ」
ようやく、カイネの口から声が漏れた。乱暴なことばづかいに似合わない、愛らしい声に、ニーアは思わず吹きだした。カイネはニーアが笑っていることに気付き、さらに激昂した。
「なんで、わらうんだよっ」
「いや。離しても逃げないって約束するなら、離すよ」
「やだっ」
「じゃあ、離さないよ」
「やだ、はなせぇッ!」
しばらくそんなやりとりをつづけたあとで、くたびれてしまったのか、渋々と、カイネは頷いた。ニーアが腕をほどくと、そっと頬をなでた。カイネがびくっと震えた。
「転んだりして、怪我をしたら、ちゃんとおれにいうんだよ。いいね?」
ニーアがカイネの目をのぞきこんで言った。カイネは、しばらくためらったあとで、小さく頷いた。