スプーン一杯分の嘘。
『いや、俺も人から聞いた噂なんだが。ジーノが面倒臭いって避けるファンサービス……あれは、本当は昔のトラウマで他人と接触したくないかららしいぞ』
珍しく歯切れの悪い緑川の話によると、吉田は昔、少年時代に練習帰りに誘拐されたらしい。しかも。
『嘘か本当か、練習の帰り道に見知らぬ男に拉致されて連れ回された挙げ句にソイツの仲間の前で……まあこれ以上は、あんまり気分のいい話じゃないが』
そこから先は良識的な緑川としては言いたくない話らしく言葉を濁されたが、推して知るべしである。
「そんな、話でした」
「ふうん」
本人を前に、かなり言いづらい話を苦心惨憺オブラートに包んで説明を終えて、赤崎は知らず足元を見つめていた視線をちらりと上げた。
すっと通った高い鼻筋に、東洋人にはない彫りの深い顔立ち。俯いた吉田のほんのりと白い頬には、長い睫毛の影が落ちている。長じてからも、吉田は同性の赤崎が見てさえうつくしい男だと思う。そんな彼の少年時代だ、相当に可愛らしかったのだろう。そう、碌でもない大人を惹き付けるほどに。
「ザッキーにまで知れ渡ってるんだ」
ふ、と吉田が小さく息を吐いた。いつもは柔らかく緩んだ口元を、きゅっと引き結ぶ吉田は、その細く鋭角的な体つきと相俟ってどこか途方に暮れているように見える。
嫌なことを思い出したのだろうか。小刻みに震える肩になぜだか無性に庇護欲を刺激されて、赤崎は突き動かされるままに口を開いた。
「あの、俺、誰かにこの話をするつもりはねえっすから! それから……」
もし吉田がこの先、面倒事に巻き込まれた時は、なんとしてでも守ってやる。
確かに一緒にいればなにかと犬扱いされて振り回されて、正直厄介な相手だと思う。けれども、こんな風に脆そうな一面を見せられてしまえば、とてもではないが放っておけない。
「外も、出る必要ねえっすよ。必要なら俺から監督に……」
「そう、」
我ながら、どこか気恥ずかしいセリフに慌ててその先には言葉を擦りかえる。そんな赤崎に、吉田が再び緩く唇を綻ばせた。ゆるゆると上がった口の端に、やがてにっこりといつもの不敵な笑みが浮かぶ。次いでくすくすと軽やかな笑い声が上がった。
「見知らぬ大人に拉致されて……か。噂ってのは、そんなに尾鰭が付くモンなんだね」
「……はあ?」
顔を上げるなり、堪え切れないとばかりぺたんこなジャージの腹に手を押し当てて体をくの字に曲げ笑う吉田に、赤崎は先ほどとは違った意味合いで呆然とした。
作品名:スプーン一杯分の嘘。 作家名:ネジ