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月の影を越えてゆく

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扉を叩くための勇気を固めるために、深呼吸。その数秒の間に、勘のいい父親は、何かに気づいたらしい。

開かれていく扉とその向こうの影に怯んだのも束の間。覚悟を決めた二代目は、真っ直ぐに永遠の師匠を見据えた。

「親父、俺行くよ」

「そうか」

息子の唐突な宣言にすら驚かない、落ち着いた眼差しに背中を押され、形にならない思いを言葉にするべく、口を開く。

「すげえ、会いたい奴がいるんだ」

なんと言うべきか。迷いながらも口を開けば、次から次へと言葉は溢れていく。

「情け容赦ねえ、おっかねえ奴でさ。この俺が何度ヒヤってしたかわかんねえってくらい。もちろん、俺が負けるなんてありえねえから、最後は引き分けだぜ?でも、絶対引き分けなんだよなあ。いつも、どんなときでも、諦めない、すっげえ強いやつなんだ。強いっつても、体はちっさいし、体力なんて子供並だし、それなのに無茶ばかりすっから、危なっかしくて、いつもはらはらしちまうんだけどよ」

そうだ。はらはらして、いつも放っておくなんてできなくて。

「俺が、唯一ライバルって認めたくらい、かっこいいやつなんだよ」

その無茶をする姿が胸を梳くくらいに格好いい。記憶の中の蒼の眼差しを正視する。しばらく遠ざかっていた熱が胸の奥から溢れては満ちていく。

「あいつはさ、ちょっと悪い魔法をかけられてて、すげえ危ないところで、ずっと一人で戦っててさ。
あいつを好きなやつはいっぱいいるんだよ。だから一人なんかじゃないのに、あいつはいつも一人で走っていくんだ。あいつと一緒に走れんのは、俺しかいねえ。だから助けてやりたいんだ」

唯一の好敵手。それが彼であることは、この人の息子であることと同じくらいに誇らしい。

「助けられて喜ぶようなやつじゃないから、余計なことすんなって、絶対邪険にされるに決まってんだけど。あんな必死でいろんなもん守ろうとして、生きてるやつをほっとけねえだろ」

違うだろ。頭の中で、偽りを許さない子供が睨みつける。そうだ。違う。ここまできたんだ。もう余計な虚勢なんていらない。

「いや、そうじゃない。たぶん俺の方がさ。あいつの側にいてえだけんだ」

震える手が覚悟を掴む。かつては確かにこの身の一部だった、今は父親のものである白。

「だから、親父。怪盗キッドを俺にくれ」

借り物だったそれを、今こそ自分のものにするために、白い装束を纏って、頭を下げた。

盗一は、真白の姿になった息子を見て、目を細めた。罪の証の白を力に変える、若い鼓動。

父親が息子に与えられる言葉なんて、いつだって一つに決まってる。

「行ってこい」

「ありがとう。オヤジ」

生き返った父親を直視するのは、最初の朝以来だと不意に気づく。

そして、成就した幸せに背を向けた。

さあ行こう。伝説の宝石なんかのためじゃない。唯一の人のための舞台へ。

過去の幻影は静かにその姿を見守るしかないのだ。

作品名:月の影を越えてゆく 作家名:川野礼