月の影を越えてゆく
折しも今夜は満月。力ない足取りで夜の道を歩く。今の快斗はどれだけ賢かろうと、ただの一男子高校生にすぎない。
白い翼を背に、何度も駆け回った夜が遠かった。頬を切る風の冷たさ。凍えた月光を全身に浴びて、見下ろす無数の光。
すべてはまやかしに。夢から醒めた後、虚しさは広がるばかりだ。
白い衣装を纏った決意は、決して遊びではなかった。覚悟も、悲願も、何もかも抱えて飛んでいたつもりだった。
暖かな灯の点った我が家の前で、足を止める。父は公演で遅くなるらしい。中では母が一人快斗の帰りを待っている。何の翳りもない、悲劇など経験したこともないような顔で。
ゆっくりと扉を開けて、小さく「ただいま」と呟く。居心地の悪さを掻き消すように、さっさと自室へと上がった。あるはずのものがない部屋。生きている父親のポスターなんてあるはずがない。空白の場所を押してみる。
開かれるはずの扉は、何の手応えも返さない。
どこにもいない。
出会ったことも夢。
「名探偵」
恐ろしい人だった。
子どもの姿をした狡猾な悪魔。
力を削ぎ落されて、危険に墜とされても、その瞳は凄まじい力を持っていて。
小さな身体。細い手足。お綺麗な顔。人形みたいな姿で繰り出される冷徹な思考と容赦のない攻撃。
思い出すだけで、胸の奥が熱く燃える。
「名探偵」
空々しい声が夜にとける。もういない幻?あんな鮮やかな彼が幻だというのならば、この世のすべては何だ。
あんなに、苦しんで、もどかしそうに、いつもいつも足掻いていた子どもの姿をした探偵という生き物。伸ばされる手はいつだって、非力さを乗り越え、真実を掴むことを信じていた。
あんなに必死に生きていた彼が夢でしかないのならば、現実に何の価値があるんだ。
「快斗ー!夕飯よ、降りてらっしゃい!お父さんももうすぐ帰ってくるってー」
「っ、やっべ」
今、自分は何を考えていた。
満月に狂わされたんだ。月が、キッドの残滓を呼び起した。
あの白いファントムは消えた。もう、黒羽快斗には関係ない。
乱暴につかんだカーテンを力任せに引いた。
その軋んだ音が、まるで悲鳴のように耳に残った。