誓い
3.
夕飯の片付けと出されていた日本史の宿題をやり終えて、時計を見ると針は11時を示していた。
我ながら真面目になったなーと自画自賛しながら居間に向かう。
まだ鷹臣くんが出て行った様子はない。
ここは私のうちなのになんで私が気を使わなきゃならないんだか……
居間を覗くとクッションを枕にし、鷹臣くんが眠っていた。
――自分ちで寝ればいいのに……
思わず溜息が出る。
自分の部屋から掛け布団を一枚持ってきて、鷹臣くんの上に掛けてやる。
――何があったんだか……。
寝ている顔からは特に何も読み取れない。
溜息がまた零れる。
「……早坂君や番長ならもっとわかりやすいのに……」
まあ、考えてても仕方がないか。
「……寝よ」
電気を消すと、カーテンの隙間から光が差し込んでくる。
月もないのにここまであかるいなんてめずらしい。
このままだと起こすかもしれない。
きちんと閉めようと立ち上がり掛けたとたん――
「―――!?」
手を強く引っ張られ、バランスを崩す。
「――な――に――」
訳のわからないまま、さらに強く引っ張られ、そのまま腕の中に抱きこまれる。
「――た、鷹臣くん?」
また無意識にやってんの?
「ちょっと鷹臣くん」
呼んでも返事はない。
仕方がないので腕から抜け出そうと、手に力を込めて腕を外そうとする。
が、まったくといっていいほど腕は動かない。
どうしよう――
あきらめてこのまま寝てしまうという考えも一瞬、脳裏を掠めたが、即座に却下する。
明日の朝、どれだけからかわれるかわからない。
幸いなことにここはベッドの上ではなく、段差のない床だ。
落ちて怪我することはない。
よし!
決意して手に力を込め、再び腕を外そうとする。
しかし全く動く気配がない。
こうなったら足で蹴って……
考えて実行に移そうとした瞬間――
「――!?」
まるで思考を読まれたように逆に足に足が絡みつき、ますます密着するような状態になる。
おまけにさらに強く抱きしめられ、完全に動けなくなる。
「ちょ、ちょ、ちょっと鷹臣くん?」
なんなのこの的確な動きは?
この密着状態をどうにかしようと身体を動かすが、その動きすら封じるようにますます強く抱きしめられる。
「……ああ……もう……」
どうすりゃいいんだか……。
もういっそこのまま……
「――やっぱ、却下!」
明日の朝を平穏無事に迎えるために!
再度力を込めて、なんとか逃れようと手足を動かすがまったく外れない。
手足だけが動くさまは、陸に上がった魚のようだ。
五分くらい粘ったが、外れる兆しも鷹臣くんが離す気配もない。
あと一回やって外れなかったら、あきらめるか……
意識を集中させて――
「――いい加減にあきらめろよ」
いきなり声を掛けられ、見上げると、呆れたような目をしたような鷹臣くんがいた。
……っていうか――
「――起きてるなら、さっさと離してよ!」
まったくタチが悪い!
私の怒りの抗議にも怯む様子はなく、腕を緩める気配もない。
「早坂や桶川がどうしたって?」
ニヤニヤ笑いながら頬を撫でてくる。
もうほんとに!
「ちょ、いーかげんにしてよ! いくらなんでもタチ悪すぎだよ!」
直も触ろうとする手から必死に防御しながら声を張り上げる。
「るせーな。近所迷惑だろ」
「誰のせいだと――」
顔を上げて睨みつけたときに、偶然光が鷹臣くんの顔を照らした。
予想もしてなかった苦しげな表情。
驚いて思わず、すべての動きが停止した。
「――真冬?」
よっぽど驚いた顔をしてたんだろう。
怪訝そうな表情で、鷹臣くんが覗き込んできた。
それを避けるように何も言わず、さっきから逃げようとしていた鷹臣くんの胸に抱きついた。
「――真冬?」
驚いた声。
「……抱きまくら」
「――あ?」
「いまの私は抱きまくらなの。だからいいの」
こうやって抱きついていても恥ずかしくない……ハズ。
心臓はバクバクしてるし、顔はきっと赤い。
……でも、鷹臣くんのあんな表情をみたらどうしようもない。
私に触れることで苦しさが軽減されるなら、それでいい。
人の体温と鼓動はなぜか落ち着く。
鷹臣くんが私の髪をすく感触が心地好い。
そのまま眠りに落ちそうになったとき――
「……今日な……」
唐突に零れた静かな声が、眠りを妨げた。
「……うん……」
手の動きが止まる。
「……じいさんが発作を起こした……」
急速に意識が現実に引き戻される。
「命に別状はなかったんだけどな……」
鷹臣くんのおじいさん。
鷹臣くんにとって一番大事で、とても大好きな人。
ようやく私は理解した。
あの意味不明な行動の数々を。
同時にとても腹が立った。
鷹臣くんはホントに――
「――鷹臣くん。手、離して」
「なんで――」
「いいから」
きっぱりと言い切ると、渋々といった感じで腕の力が緩む。
その腕から抜け出すと、今度は逆に私が鷹臣くんの頭を胸に抱きこんだ。
「――なっ!」
かなり驚いているらしい。
あの鷹臣くんをここまで驚かせることが出来たなら、近来まれにみる偉業といっても差支えないだろう。
「……なんの真似だよ?」
くぐもった声で尋ねられる。
「こっちのほうが落ち着くでしょ?」
「あ?」
「人の鼓動とか聞いてたほうが良く寝られるでしょ」
そのまま髪を撫でる。
意外なほどに柔らかい感触。
あの鷹臣くんの頭を撫でるなんて、一生ないと思ってたのに。
鷹臣くんの腕が私の背に回され、そのまま強く抱きしめられる。
男女の抱擁というより、なんだか迷子の子供が母親に抱きつくような感じだ。
胸に顔を擦り寄せられる。
いつもなら恥ずかしいと思うのに、それよりも愛しいと思う気持ちが強くてそのまま優しく抱きしめる。
鷹臣くんはときどきすごく馬鹿だと思う。
頭が良くて、自信満々で俺様でも、すごく不安でたまらないときには誰かに縋ってもいいのに。
頼ることは決して恥ずかしいことじゃないのに。
大好きなひととの別れの時が少しずつ近づいているのを目の当たりにして、不安にならないひとはいないのに。
「――真冬」
「――ん?」
「――ほかのヤツにこういうことすんなよ」
なにそれ。
「こんなことしてくるの鷹臣くんぐらいしかいないよ」
「いいからすんなよ」
どこかその声が拗ねてるようで思わず笑ってしまう。
「何笑って――」
「わかったよ」
そう答えると満足したのかもう一度胸に顔を押し付けられる。
そのまましばらくすると寝息が聞こえてきた。
もう一度鷹臣くんの頭を撫でる。
――どうか鷹臣くんが安心して眠れますように。
祈るように呟いて、私も目を閉じた。