豊穣への詫び状
「この米は流魂街で収穫されたものなんだ。比較的若い数の地区に行くと、郊外はすっかり田園でね。彼らは自分たちで食べるわけではないけれど、瀞霊廷の死神を相手に、農業を営んでるんだよ」
そこにいる知り合いから、毎年半俵の新米をいただけるんだ、とイヅルは微笑み、握り飯をもう一つ手に取った。
「へぇ、78地区の戌吊とじゃえらい違いだな……でも秋の稲穂ってのは、なかなか綺麗なもんだよな。こう、風が吹くと黄金の波が渡ってさ」
恋次は空を切るようにてのひらを横に動かして、脳裡に浮かぶ豊穣の海を眼前に描き出し、イヅルは友人の手を目で追ってその幻影をつかむ。
「うん、ちょうど稲刈りの時期だった……あ、それで僕さ、さっき、自分の首を刈る夢見ちゃったんだよねぇ」
ははは、と乾いた笑いを上げるイヅルを眇めた目で見やりながら、恋次は彼から心持ち身を離すようにして、うぇえ、と低く呻いた。
「暗い暗いとは思ってたけど、副隊長になってから病的に暗くなりやがったな」
「失敬な。君より少しばかり繊細なだけだよ。まぁ、暗さも三番隊らしくていいだろ?」
「お前の斬魄刀だとシャレになんねぇからな、その夢。疲れてんだよ、休め休め」
恋次は手をひらひらとふりながら言い返す一方で、あの三番隊隊長がまっとうに仕事を片づけているとも思えず、どうも中間管理職ってやつはいつだって不幸だな、と瞳にそっと憐憫の情をにじませる。イヅルは薄い眉を軽く跳ね上げてその視線に応え、次いで自嘲の笑みをの形作った。
「まぁ、ついでにちょっと言うけど、僕らが食べた植物や動物って、どこに行くんだろうね? 死んでいった死神たちの魂魄が、霊子の塵となって尸魂界を形作るとは言うけれど。食べてしまったら……ふふ、もしかしてこの米って、現世で一度死んでるのかな」
「その辺は、あんまり考えねぇほういいだろ……気になるんだったら、藍染隊長の論文とか当たれよ」
イヅルの両親も故人だが、恋次の幼なじみの多くもまた故人となっている。誰もが尸魂界内で命を落としたのだが、彼らの魂魄が塵となって消えてしまったあと、そこにはかすかにでも遺るものはなかったのだろうか。本当のところは誰も知らない。昨夜食べた魚のことも、あの日死んでいった彼らのことも。苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながらも、真摯に答えを返す旧友の顔を見つめて、イヅルはふっと相好を崩した。そして一言ごめんねと謝り、恋次の背中をぼすんと叩く。
「たぶん、この疑問はさ、どうして腹の減らない流魂街の人間が、心の底から豊穣を寿(ことほ)ぐのか……そこには生臭い金銭勘定はあまりないんだよね、という問いと同じで、君の言うとおり、答えを求めるのは無粋だと思う。ただ言ってみただけさ」
硬質な微音を立てて恋次の髪はその肩から滑り落ち、折から吹いてきた風になびいて赫々と燦めいた。そのさまを見ていたイヅルの目はすっと細まり、風に誘われるように鳴き出した鈴虫の声はいっそう強く彼の耳に届くのだった。恋次は組んだ足をほどいて着流しの裾をそろえると、湯気を失った湯飲みに新たな茶を注ぐ。風に手を打つ梢の音、ゆっくりと落ちるのど仏の低い音、無数の秋虫が奏でる高い楽の音、そこに一点、筆先から落ちた墨滴のように響く嘆息。その余韻が周囲に沁みていく前に、イヅルはふたたび目を開けた。
「さて、風も吹いてきたし、日も傾いてきた。そろそろ中へ戻ろうよ」
恋次はその言葉に応えるように、ぐい、と腕を突き上げて湯飲みを空けてしまうと、盆を持って先に立ちあがった友人のあとに続いた。