関係変化
臨也が帝人にキスをしてから2週間が経った。
臨也は帝人に会っていないし電話だってメールだってしていない。
会いに行こうとは何度もした。
電話も発信ボタンを押してから実際に発信されるまでのタイムラグの間に何度中止したことか。
メールも作っては消し、作っては消した。
帝人からのアクションは何も無い。
臨也はこれまでの人生の中で一番恐怖していた。
帝人に会いに行って、嫌な顔をされたらどうしよう。顔も見たくありません、なんて言われたらどうしよう。無視されたらどうしよう。
着信拒否されていたらどうしよう。
メールのアドレスを変えられていたらどうしよう。
帝人に嫌われているのを目の当たりにしたら怖い。
怖い。怖い。
「帝人君」
溜息を吐きながら恋しい人の名前を呼ぶ。
その声は届いて欲しい人物には届かずに、近くで淡々と仕事をこなす美人に届いた。
「いい加減、煩わしいわ。会いに行きたいなら行けばいいじゃない」
表情を変えずに自分を雇ってくれているはずの人に文句を言う。
「一日に何度も何度も帝人君、帝人君。って。早く玉砕して来なさいよ」
波江にとって、臨也の恋路がどうなろうと知ったことではない。
自分の上司のウザさがマシになるならその恋が破れようがどうでもいい。
「玉砕って…少しは応援してくれようとか思わないのかい?」
2週間前から溜息を吐いては帝人君、帝人君。
携帯電話を見ながら、怖いと呟き、スライド式の携帯電話をパチンパチンと弄る。
そんなのが近くに居て、波江は我慢の限界だった。
応援してあげようとかそんなことを考えたくも無い。
ピンポーン
インターフォンが鳴り響く。
「あれ?今日は来客はないはずだけど」
臨也は誰が来たのか疑問に思う。
しかし、波江はカメラに映った人物を見てオートロックを解除する。
「じゃあ、私は今日は帰るわね」
まだ一応就業時間中なのだが。
それに、客が来たならお茶を淹れて欲しい。
それがわからない彼女ではないはずだ。
臨也は彼女の行動が理解出来ない。
「どういうこと?」
クルクルと座りながら回していた椅子を止め、波江を見つめる。
ピンポーン
今度は部屋のインターフォンが鳴る。
波江は見つめられていたことも気にせずに玄関まで行き、客を招いている。
「お邪魔します…」
その声が聞こえた瞬間、臨也は椅子から立ち上がった。
あの声を聞き間違えるはずなどない。
帝人がやってきたのだ。
どういうことだ?
帝人にこの場所は教えていない。
波江と帝人が部屋に入ってくる。
「じゃあ、そういうことだから私は帰るわね。」
波江は帰り支度を終わらせて本当に帰ってしまう。
帝人と二人きりになってしまい、臨也はどうすればいいのかわからずに机の周りをグルグルしてしまう。
臨也は帝人を見ることもままならない。
そんな臨也を見て、帝人もどうすればいいのかと考えあぐねる。
部屋の持ち主が立っているから座ることも出来やしない。
部屋の床とかつてないほど見つめ合ってから、臨也ははっと顔を上げた。
「帝人君。そこのソファに座って。今、お茶淹れるから」
「あ、はい」
帝人はカバンを下ろしてソファに座る。
臨也はキッチンへ行ってお湯を沸かし始める。
ヤカンを持つ手が震えている。
帝人に何を言われるのだろう。何を言えばいいのだろう。
「臨也さん」
帝人の声は冷たくもなく、平常なものに思える。
でも、後ろに居る帝人に振り返ることが出来ない。
「久しぶりだね。帝人君。ここ、波江に聞いたの?あいつ、勝手だよね。家主の俺に何も言わずに人に家の場所教えたりしてさ」
ヤカンを見ながら帝人の言葉を待たずに言葉を紡ぐ。
はぁ、と帝人が溜息を吐いているのがわかる。
「それは、僕に家を知られたくなかったってことですか?僕は帰ればいいんですか?」
「!!違う!」
帝人が帰ってしまうのかと振り向くと、そこには呆れ顔の愛しい人が居た。
「そうですか。…やっと、顔見てくれましたね」
2週間ぶりに帝人の顔を見た。
熱いものがこみあげてくる。
「帝人君」
「はい」
「帝人君帝人君帝人君帝人君」
「なんですか?」
自分の名前を呼ぶことしかしない人を見て、帝人は噴出す。
(ああ、帝人君が笑ってくれた)
「帝人君、会いたかった。好きなんだ。君が。どうしようもなく」
「会いにくれば良かったじゃないですか」
臨也の告白に対してのいつもの返事ではなく、会いたかったと言った臨也を責める言葉。
臨也は言葉に詰まる。
「っ、あ、いに、…会いに、行って、良かった、の?」
「今まで散々会いに来てたのに何を今更言ってるんですか」
「だって、俺…君に」
無理やり、キスをした。君はそれで逃げて行った。
「臨也さんは何で会いに来なくなったんですか?」
帝人はきっと答えを知っている。
でも、臨也に言わせようとしているのだ。
言わないことも出来る。口八丁で帝人を帰すことも出来るだろう。
しかし、それをしてしまったらきっと帝人はもう本当に会ってくれないような気がした。
「帝人君が、怒ってると思って。俺に会いたくないんじゃないかと思ったんだ」
「怒ってますよ」
ビクッと臨也は肩を震わせる。
「怒ってますけど、キスのことはもういいんです」
「え?」
では、何に怒っているというのか。
「臨也さんは、人を怒らせたと思ったら、その人を避けなさいって教わったんですか?しかも、避けたくせにその人が気になって仕事に支障をきたして、部下の人に心配されて。
波江さん言ってましたよ。あいつがあまりにもうざいから何とかして欲しい、きっぱり振って引導を渡して欲しい。って。ダメじゃないですか、人に迷惑をかけるなんて」
波江はきっぱり振られさせようと帝人を呼んだというのだろうか。あまりにもひどい。
「じゃあ、帝人君は俺を振りに来たの?」
「振って欲しいんですか?」
弱々しく尋ねる臨也とそれに間髪いれずに答える帝人。
振って欲しくなどあるはずがない。
ずっと一緒に居て欲しい。でも、それを言っても許されるのだろうか。
口を開けようとしてまた閉じる。
ピーーーーーー
火に掛けていたヤカンがお湯が沸いた合図を鳴らす
慌てて火を止める。