トリカゴ 1
先ほどまで眠っていたはずのサイケが、驚いた顔で寝室から飛び出してくると、歌う津軽が映るテレビに食い入るように見つめていた。
「?津軽よ?貴方、知らなかったの?」
同じレーベルの人間だよと前にCDを渡していたはずだが、聞いていなかったのかもしれない。胸や腹の底まで響くような歌声が流れるテレビにただ目を見開いて見つめている。やがて新曲を歌い終えたのか、拍手や歓声に困ったような笑顔で応えてそっとステージを降りていく。そこでニュース番組のスタジオへ切り替わるもサイケはまだ食い入るようにその画面を呆然と見続けている。
そんな様子が珍しいと思いながらも、気にしないようにタマネギの皮をむいていく波江に、突如キッチンカウンター越しにサイケの腕が伸ばされた。視界にいきなり真っ白いシャツと細くて白い腕が差し出されたのに驚いて、慌てるように差し出された手と幼さが残るその顔を往復してみてしまう。
「どうし・・・?」
珍しい、彼からこんな態度をされるなんて、と差し出された腕を見ると、そこにはいつも彼が持ち歩いているipodが握られていた。いつもは、自分が歌う曲だけしか入れていないし、ましてや電源を切ったまま彼はヘッドフォンにつないでいる。
それが、何を意味しているのか思い出して波江は顔を曇らせてしまう。
「これを、どうしろっていうの?・・・?え?」
ipodを受け取り、意図することは何かとその顔を覗き込んで尋ねると、彼はテレビを示し、その示した指でまたipodを示す。二度ほど繰り返されて、波江は彼の意図がようやくわかってきた。
「ああ・・・津軽の歌、入れて欲しいのね?」
そういうと、彼は力強く頷くと、じっと急き立てるような目で波江を見つめていく。了承で首を頷かせると、録音機材が揃っている一室へ向かい、ノートパソコンを立ち上げた。そこらからやはりまだ開封されていなかった津軽のCDを探し出し、パソコンにセットするとさっそく取り込んで接続したipodと同期していく。
長くない時間、すぐに作業は終わってしまい、CDと一緒にipodを持ってソファーでぼんやりと座るサイケの元に戻る。頭につけられた大きなヘッドフォンから伸びたピンクのコードの先、何も繋がっていないのに外すことのないもの。
「ほら、これが津軽よ、同じ会社にいるんだから覚えて頂戴」
ipodと一緒にCDを渡すと、彼はうれしいのか、珍しく少しばかりにこりと口元を緩ませ、すぐに垂れていたコードにipodをつないでいく。そして電源をつけ操作をするとすぐに入れたばかりの音に聞き入っていく。ぼうっとソファーに座り込む姿勢は変わらないが、渡されたCDジャケットを時折眺めたり目をつぶったりとその音に身をゆだねていた。
こんなに他の音を欲しがるサイケは初めてかもしれない、とこれまでとは違う態度の彼になれない緊張を感じてしまう。
「じきに食事ができるから、それまで聞いているといいわ」
食事中でも、きっと風呂に入る以外はずっと聞き倒しているだろう。そこまで気に入ったのはなぜかと思えば、ベクトルは違えど同じ天才肌の人が歌ったものだ。きっと何かしらシンパシーでも感じたのだろう。
少しは、感情らしいものを持っていたのね、と安心したような気分で波江はまた黙々と食事の用意に取り掛かっていた。