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 憂鬱だった。僕を見る彼らの目が不愉快だった。ちらちらと横目を寄こす彼らの表情も厭わしい。そんなに惨めだったろうか、そこまで気にすることだったろうか。僕にとっては何の価値もない。何かをしなければ何もできない、要約すればそんなことを言われただけだ。意味は少し違うかもしれない。僕が少し我慢をしてしまえばさして問題も無い、自尊心を外側に押し出して代わりに苦痛を押し込めるだけだ。一瞬だけ青ざめてすぐに頬を染めればいい。ようするにそういうことなのだ。僕にとっての無価値に彼らが価値を見た。彼らの欲しいものは僕の隠したかったものだ。内側から崩れるように焼けただれた皮膚を撫でられると思えばいい。ただの痛みにすぎないと思えばいい。あとは僕がそれを穏やかに受け止めて、次の日にはまた同じような表情で毎日を繰り返せばいい。時計とカレンダーが全てを忘れさせてくれるはずだ。
ただそれだけのことだ。僕は気にしない。精々二日か三日程引きずる程度だと思う。そうやって考えながら歩いていたせいで電柱にぶつかりそうになったのも、また段差に蹴躓きそうになったのも、多分似たようなことに過ぎない。僕が本当は何を思っているのか、をさらけだしたいとは思わない。それも自尊心だ。自分の殻の外側を見たことがないのと同じだ。いつでも割れ目の輪郭を撫でている。薄汚れた部分を見てほしくない。でも今回ばかりは隠せない、そんな結論を出すだけだ。
それでも覚悟しきれていなかった。「今から君の家に行ってもいいかい」そんな事を言ってしまったのは。

 彼はとくに何も言わなかった。とくに、というだけで何も言わなかったわけではない。言わせないのは僕を知っているからだった。彼は細く長いそして白い指を高雅な仕草で持ち上げ、ティーカップに触れる。爪は一枚一枚艶やかに光り、指でなぞればきっと氷のように滑るのだろう。僕はといえば常に書類と石にしか触れようとしないので、爪の手入れの必要もなければ手入れに相応するほど器用でもない。日によって深爪であったり、伸び放題の日もある。せっかく出されたのだからと僕も同じように紅茶に手を出した途端に、彼が静かに顔をあげた。
「止めてもやめないくせに私に止めさせようとするんですか」
 決然たる態度で僕の目を見た彼は、そうやって辛辣に言葉を吐きだした。それもそうかとどこか気抜けしながら思う。それもそうなのだ。結局は僕の問題だった。引き受けるか引き受けないかの問題だ。そして誰に何を言われようとも引き受けるのが最終的な決断になるのだ。それはもう決まっている。散々無気力に考えておきながら、言われた瞬間にはもう決まっていた。それでもここに来た。僕は彼のもとに来たかった。
「それもそうだね」
 何も言う言葉が無かったから、咄嗟に思い浮かんだ言葉をそのまま口にした。彼はそうですかと一言残した。僕は立つ気力が無かった。それでも立ちあがって家に帰るのだ。そうするしか他に何もないから。僕はそれで成り立っている。今も会議中もこのあともずっとそうなるはずだ。
作品名:背中 作家名:サユ子