背中
「大丈夫かって?」
何言ってるんだよ、吐き捨てるように声を張り上げた。怒りに押されているわけではなかった。怒りでなかったら何だろう。嫌だ、とそれだけを思った。多分彼の表情も歪んでいる。きっとそうだ。勢いよく立ちあがり逃げるように足を踏み 出す。予測していたのかはわからない、素早い仕草で彼は僕の腕を掴んだ。そのままベッドへと引き戻される。衝撃が腰に響いてびくりと震えて息をのみ込めば、彼は驚いたように一瞬だけ力を抜いたけど、それでも拘束から逃げ出そうとした 僕をそのままベッドへと押し倒した。天井が見える。まるであのときのようだと思った。天井を見ることしかできなかったさきほどまでの時間だ。見ることができない。天井と彼を視界に入れないように首を逸らす。頬にシーツが擦れた。
「止めてもやめないのかと聞いたらそうだと言ったくせに、怒るんですか」
怒りに拉がれた彼の声は少しだけ揺れていた。僕の手首をつかむ力が強くなり、ずきりと痛む。
「別に怒ってはいないよ」
もう帰ればいいのに、と思った。僕の前からいなくなればいいのにと思う。こんな、怒りを押しつけるのなら、僕に会いにこなければいいのに。
「怒ってますよ。もう自分で決めたことをさらに私が決定づけるように押しつけたくせに、怒ってます」
取り乱した先ほどの声とは違う、無理に落ち着こうとしている声色だった。押し付けたと、僕が一人で勝手に怒っていると、そう言われている。ぎりぎりと僕の手首をつかむ腕を掴み返してやりたかった。
「そうだよ。もう決めていたことだった。君が、どうぞと軽々しく言ったとしても、引き止めて、くれようとしたとしても、僕の結論は変わらなかった。そうだよ、結局抱かれてた!」
声が裏返りそうになるほど叫ぶ。誰が悪いとは言わない。言うなら僕自身の問題だ。何も変わらなかった。どうして僕は彼のもとに行ったのか、普段なら約束なんて取りつけなくても彼の家に上がり込んでいたのにわざわざ連絡したのか、そ うやって考えても何も変わらなかったのだ。それでも、と思っていた。変わらなくてもと思って彼のもとに行ったのだ。ただ、彼のもとに行き、彼に会いにいった。彼は冷静さを失ったように叫ぶ。
「私がやめろと言ってやめるのなら、何をしてでも行かせなかった!」
面白いこと言うね、なんて言葉も返せない。今も、彼の顔を見るのは嫌だな、と思っている。何もしたくない、と無気力にもなれない。息が震える。
「僕がもう何を言われようと決断を変えないことを君は知ってた! じゃあ僕はなんで君に会いに行ったんだ! ああやって……見捨てられる、ような、気分を味わいに行っただけみたいな、そんなことで君に会いたかったわけじゃない!」