鴇也アフター【10月19日完結】
「久しぶりだなあ、鴇也――……と、ああ、」
鷹志さんは俺を横目に見て、くつくつと笑う。
「お前まだそんなんと遊んでんのか?久藤家の品性が疑われるから、止めろって言ってるじゃないか――……おい、そう睨むなよ。俺達兄弟じゃないか」
降参降参、鷹志さんはひらひら手を振って、また嫌な笑みを浮かべた。
嫌に濁った瞳。それに、あの凛としていた鷹志さんの面影は全く見受けられなかった。
「……鷹志さんこそ、いい加減薬なんて止めたらどうです。久藤家の品性が疑われますよ」
「はあ?」
鷹志さんは目をまんまるに見開いて、子供がするように首を傾げた。そしてジーンズの尻ポケットから、ピルケースを取り出して、兄さんと見比べて問う。
「久藤家が今更俺に、何を求めるって言うんだ?」
言葉を失った兄さんに、鷹志さんが肩を竦めて見せた。まあ、いいや。
「じゃ、行こうか」
鷹志さんがにこりと笑う。
「車がある」
「……何の話ですか」
「ん?里帰りに来たんだろ?俺もこれから向かうからさ、乗ってけよ」
車ならすぐだよ、と鷹志さんは笑う。俺達はいつの間にか、完全に鷹志さんのペースに巻き込まれていた。鷹志さんの中で、俺達が里帰りすることがもう決定していることに愕然とする――……
「鷹志さん、悪いけど俺達…」
「おいおい。まさか行かねえってんじゃないよな?」
鷹志さんがわざとらしく、溜め息を吐いた。と、思ったら、次の瞬間には笑みを浮かべている――……ぞくり、とした。
「みんな待ってるよ、なあ、寂しかったよ、二人がいなくてさあ……なあ、仁介くん?」
笑み。…本当に笑みなのかこれは。視覚は笑みと認識しているのに、心が拒む。
もう、口は笑っているのに目は笑っていない、とかそう言う問題じゃない。見詰めていればいるほどどこが笑っているのか判らなくなってくるが、それは笑みなのだ……気持ち、悪い。
「仁介くん、顔色が悪いけど大丈夫かい?やっぱり家で休んだ方がいいよ、なあ、鴇也――く、くくっ、っはははははははははははははははははは……」
***
そして俺達は、もう二度と跨がないと誓った久藤家の敷居を、再び跨いでいた。
古木でできた重厚な門構え。久々に受けたその圧迫感に、足がすくんだ。
…ふと、掌に温かいものが触れた。門から目を逸らして手を見下ろすと、兄さんの指が、俺の指に絡んでいた。目が合うと、兄さんは心配すんなと笑う。俺も強張った笑いで返した――先に門をくぐった鷹志さんが、早くおいでと笑った。兄さんが門をきつく見据えて、俺の手を引く…
それから俺達三人は、真っ先に兄さんのお父さんとお母さんに引き合わされた。
しかし、三人と言っても、二人が気にしたのは兄さんばかりで、俺と鷹志さんは完全に無視されていた。二人が兄さんに質問し、兄さんが答えると言う状況が酷く長く続き、話が終わった頃には外は真っ暗になっていた。ので、泊まっていけと言うことになり、俺達は元々の部屋に通された――……のだが、
「…………」
部屋は、俺が出ていったときと何も変わってやしなかった。変わってることと言うなら、机や、床や、窓の縁などに埃が降り積もっているくらい。きっと俺が出ていってから一度も、この部屋に誰も踏み入れていないのだろう…多分、いい意味ではなく。
必要なものは九十九へ持って行ってしまっているから、室内はひどく殺風景だった。もう帰ってくる気持ちなどなかったのに、と思うと微妙な気持ちになる。
ベッドに倒れ込むように寝転がって天井を見上げて、やっと、――……帰ってきたのか、と実感した。部屋も、叔父さん叔母さんも、家も、景色も何も変わってやしない。夏の田舎の時間はひどくゆっくりで、俺の感覚を狂わせた。
――……もしかして、九十九での出来事なんて、全て俺がこのベッドでこの部屋で見た夢なんじゃないか?なんて考えさえ浮かび上がってくる…
「…………」
ひどく、疲れた。瞼を伏せると、睡魔はすぐに襲ってきた。
感覚が曖昧になって、思考が散漫になって、身体がだるくなる。
睡魔に抗う必要は感じなかった。どうせこの家で、俺がすることなんて、昔から、ないのだ。際限のない自由時間を持て余すくらいなら、眠ったほうがいい。
夢は見なかった。
***
「仁介くん、ちょっといいかな」
こつこつとノックの音がして、俺はベッドから身を起こした。夢現から引き戻された時特有の虚脱感。
「寝てる?」
「……起きてます」
そう言った俺の声は、寝起きのせいで酷く掠れていた。同じことを感じたらしい扉の向こうの、鷹志さんが小さく笑う。俺は軽く咳払いをして、立ち上がって扉を開く。
「何ですか?」
「ちょっと頼み事があって。いいかな」
「はあ…」
俺の曖昧な頷きを、鷹志さんは肯定と受け取ったらしい。嬉しそうににこっと笑うと、踵を返して歩き出した。俺が欠伸を噛み殺しながら着いていくと、そこは鷹志さんの部屋だった。鷹志さんが扉を開いて、どうぞ、と笑顔に顎をしゃくる。
「棚の上の本が取れなくてさ、…この足じゃ、台にも乗れない」
棚の上を指で差して、鷹志さんは苦笑した。俺は思わず鷹志さんの足を見て、いけないと思ってすぐ目を逸らした。そんな俺を見て、鷹志さんが穏やかに笑った…おや、と思う。
子供の頃そんなことをしたら、鷹志さんは強かに俺を打ち据えたものだったのに。鷹志さんも変わったのだろうか、と思う。
「で、悪いんだけど」
「…あ、はいわかりました」
物思いに耽っていた自分に気付いて、俺は慌てて椅子を引き寄せた。それを棚の前に置いて、椅子へ登る…と、本は簡単に取れた。俺は本を片手に持って、椅子を降り――……る!?
不意に時間がゆっくりになって、俺は足を踏み外したのだとわかった。棚に縋りつこうとして、本が邪魔をする。あっと、駄目だ、これは――……
「おっと!」
「すいませ…」
「や、いいのいいの」
鷹志さんが俺を抱えて苦笑した。俺と鷹志さんは、鷹志さんが俺を抱き抱えた状態で床に寝転がっていた。鷹志さんが俺を抱き止めようとして失敗し、結果いっしょくたになって床に転がったようだった。…足が不自由な鷹志さんが、バランスを取るのは難しい。
「仁介くん、怪我は」
「大丈夫です。鷹志さんは」
「大丈夫。ちょっと頭打ったくらい――……まあ、あれだよね」
くつっ。鷹志さんが、笑った。
「あはは、椅子の高さくらいでよかったね」
「え」
「もっと高い所から落ちられてちゃ、頭打つくらいじゃ済まなかったねって。ああ、怒ってるんじゃない、感想。」
――……何を言ってるんだ、この人は?
「や、どうしたの仁介くん急に静かになってさ、はは、怒ったの?どうして?ああ、本?ありがとね助かったよ?これで満足?」
そして鷹志さんは悪意そのもの、としか言えない笑みを浮かべる。もっと余裕のある誰かなら、相反する感情を浮かべられるなんて器用だな、なんて感想を抱いたりするのかも知れないけど、俺が感じたのはやはり、恐怖だった……俺がこの家で生きてきた間に学んだこと、それは色々あるが、一番はそう、
鷹志さんに逆らってはいけない。
鷹志さんを怒らせてはいけない。
作品名:鴇也アフター【10月19日完結】 作家名:みざき