月がとっても碧いから
昨日猿飛様が戻られました。幸村様は未だ目覚められるご様子もありません。まるで眠り姫です。
あっ、申し訳ございません。私は信玄様にお仕えする者です。決して怪しいものではございません。以後お見知りおきを。
さてこのところの私の仕事といいますと、幸村様のお世話を信玄様より仰せつかっているのです。早くお目覚めになられるとよろしいのだけれど。これは私だけではなく、城中の皆の願いです。実のところ猿飛様が戻られ、私たちはこれで幸村様が目覚められると、安心したのです。しかし甘かった。私たちは甘かったのです。なぜなら、猿飛様がお声をかけ、何度お名をお呼びしても幸村様はお目覚めにはならなかったのです。もう、どうすれば良いのやら。私どもは只ただ見守るばかりです。あ、そろそろ戻らなくては。お薬湯の時間です。
ああ、未だ真田の旦那は目覚めない。なぜこうも目覚めないのか。目覚めたくないのか?そうなのか?どういうことだ?
何度となくうわ言での告白を聞いているうちに俺様ちょっとイラっとしてきた。
――― そんなに、寝込む程この俺を好きだってんなら、なんで俺様の声を聞いても目覚めないのよ?愛が足らないんじゃない?旦那のおばかさん・・・
やっ、あれっ?俺様ってば何考えてんだ。なんか旦那のこと受け入れてる風じゃね?。違う、ちがうぞ。断じてちがう。そういう事じゃなくて・・・もう解かんねえよ。 ―――
頭を抱えつつ旦那を見れば、切ないうわ言はまだ続いている訳で。はあ。ため息がでる。
「あのう、猿飛様。猿飛様」
はっとして振り返れば後ろでお薬湯を持った娘が困っていた。先ほどから何度も声をかけていたのだという。背後の気配に気づかないなど何たる不覚。真田忍隊隊長の名折れだ。賊だったらどうするんだ俺!旦那じゃないがここはひとつ「叱って下されお館さばぁぁぁ~~~」と叫びたい。しないけど・・・
「・・さすけ・・すき・だ・・・」
と、ここにきて旦那のうわ言。えっ、聞かれた!この娘に聞かれた。顔は赤くなるやら青くなるやら。変な冷たい汗が全身から噴出す。いっその事殺るか?
いやいや、仮にも信玄様に仕える娘、殺すのはまずいだろう。
「あ、あの」
「言わないで!この事は誰にも言わないでっ。言ったら殺す。」
最後の言葉は、冷たい目で。低い声で。忍の顔で。
娘の目が大きく見開かれる。よほど驚いたのだろう。殺すとまで言われたのだから。おとなしそうな娘だし、このくらい釘をさしておけば大丈夫だろう。
「は、はい。承知致しました。」
娘は震えながら了承した。思い切り視線ははずされたけど。思い切り怖がらせてしまったようだ。
・・・私、どうしましょう。猿飛様と視線を合わせられません。殺すって、言ったら殺すって言われました。本当にどうしましょう。だって、城中の誰もが幸村様が猿飛様をお好きだなんてこと、もうとっくに知れ渡ってるんですもん。今更ですから!皆が知らないと本気で思っているなんて吃驚です。吃驚しすぎて笑っちゃいそうなのを必死に堪えて、おかげで肩が震えてしましました。
幸村様がお倒れになった時は大騒ぎでしたし。何より皆さま幸村様が大好きですから。できれば幸せになって頂きたいと本気で思っている節があります。でもこんな事、猿飛様が知ったら大変な事になりそうです。面白そうでもありますけど。私も殺されないために皆に口止めをしなくては・・・
佐助が娘を怖がらせてしまったと思っている間に、娘は娘でこのようなことを考えていたとは。両者の思惑は交わることはなさそうだ。
落ち着きを取り戻した佐助がほとほと困った様子で口を開く。
「いったいどうしちまったんだよ旦那・・・」
独り言のつもりで声にだしたはずが、娘から答えが返ってきた。そして旦那が倒れるまでの経緯を俺様はようやく知ることとなった。
――― 前田慶次様が突然お越しになりまして。幸村様としばらくお話をなさってお帰りになってから、幸村様はいつもとご様子が変わられてしまったのです。
コイがどうのと1人でご思案されているご様子で。池の鯉か何かがどうかしたのかなどと皆思っておりました。それがまさか『恋』だったとは。そうして幸村様はお倒れになったのです ―――
そういうことか。あの男が原因か。前田の風来坊、許すまじ。ちょっと京まで暗殺しに行ってこようかなぁ。でも旦那をほおっては行けないし。うんまた今度にしよう。
――― 大将、原因がわかりました。断じて俺様何もしてません!! ―――
今度前田の風来坊にあったら、どんな報復をしようかとかちょっと仄暗いこと考えてたら、また突然、本当に突然前田慶次がやって来た。飛んで火に入るなんとかってヤツだ。あはー。どうしてくれようか。
前田慶次は客間に通され、暢気にお茶をすすり幸村が来るのを待っていた。佐助の声も自然と低くなる。
「いったい何しに来たの?何のご用?」
えっ。何か黒いオーラが後ろに見えるんですけど、と思いながらも挨拶する。
「あれ?佐助さん久しぶりだね。ちょっと近くまで来たもんだからさ。近くまで来たのに幸の顔も見ずに帰るのも悪いと思ってさ。迷惑だった?」
「うん。凄く迷惑だから!」
「なに、なに?俺、佐助さんに何かした?ここしばらく佐助さんには会ってないような気がするけど。」
ニタリ。口元だけで薄く笑う佐助に背筋が寒くなる。
「ふふ。まあいいや。前田の旦那には責任をとって貰おうじゃない。」
「責任!?」
「とにかく、旦那の部屋に案内するよ」
幸村の部屋に案内された慶次はあまりの驚きで暫く動くことができなかった。
「いったいこれは・・・」
驚いた慶次に佐助はこれまでの経緯を簡単に説明した。
「・・・だから旦那がこんな風になたのは、あんたのせいだから責任をとれ。」
――― 責任をと言われても、どうしたものだろうか。いい恋を探してはいるけど、素敵な恋を咲かせたいけど。これはちょっと予想外。―――
だいたい本当に俺が悪いのか?などど考えているうちに、ある物語を思いだした。
「佐助さん。思い出したよ。こういう時どうするか。・・・それはね、『好い人からの口付け』だよ」
「は?」
「だから、く・ち・づ・け!」
「そ、そんな事出来る訳ないでしょうが!」
佐助が慌てふためいて抗議するも、今度は慶次がニタリと笑う。
「へえ。じゃあ幸がこのまま目覚めなくてもいいんだ?」
「そんな事は無いよっ」
「ふぅん。じゃあ、目覚めさせる自信が無いんだ?忍隊、隊長の猿飛佐助ともあろう男が。」
「うっ。」
――― 正直そんな事で目覚めるのか分からないけど、自信ないとか言われると心外だ。そこまで言われちゃ黙ってられない。見せてやろうじゃないの。忍の技、舐めんなよ! ―――
横たわる旦那に覆いかぶさるような格好になって覚悟を決めていると、慶次からもの凄く期待のこもった視線が送られてくる。なんか乗せられた様で悔しいが、いざ参る!
はじめは優しく柔らかく、そして、だんだんと深く。
「うっ・・ふあ・・う、うん?」
作品名:月がとっても碧いから 作家名:pyon