ひわひわのお話。2
「申し訳ありませんが、りせはを貴方にお渡しするわけにはいきません。」
『っ………!?』
答えの出せない俺にかぶさるように聞こえたのは、オーナーの声だった。
ハッとして顔を上げると、真っ直ぐな瞳で女性を見ていた。
揺るぎない意志が、そこには感じられた。
俺は、どちらかを決めることも出来ずにうつむいているだけだったのに、
オーナーはしっかりと前を見据えて意思を固めていた。
俺の視線を感じたオーナーは、
一瞬笑ってこっちを見ると、また女性に視線を戻す。
「あなたには聞いていない、と言ったでしょう?」
「ですが、黙って聞いているわけにも参りません。」
「あなたの意見なんてどうでもいいのよ!
私が話をしたいのはりせはなの!あなたは黙ってて!!」
「黙るわけにはいきません。
あなたの話は一方的すぎる。りせはの意見を全く聞いていない。」
「うるさいわね…ちゃんとりせはの意思は汲んでいるわ!
誰も無条件に結婚してほしいなんて言ってないし、
これだけの好条件で、りせはが断るわけないじゃない!」
「………おねーさん、本当にそう思ってる?」
なりゆきを見守っていたamuが口を開く。
静かな口調が、逆に少し怖かった。
「お金で姫たちに夢を売るのが俺達の仕事だけど、
愛はお金じゃ買えないって、知ってる?」
「別にきっかけなんてどうでもいいわ。
例えお金が目当てだろうと、いつか愛に変われば私はそれで良いの。」
「そのお金にすらりせはを惹き付ける要素にはなってないみたいだけど?」
「そんなはずないわ!だって5億よ?
こんな破格な条件飲まないはずがないわ。」
「お金で心は買えないんですよ、お嬢さん。」
「もしその条件を受け入れる気があるのなら、
りせははどうしてさっきから暗い顔をしてるんだと思う?」
『あ………』
「違うわ!りせはは戸惑ってるだけよ!
5億なんて大金手にしたことないから動揺してるだけだわ!」
「お金で縛る心なんて、何の意味ももたらしません。」
「りせはのためよ!
お金さえあれば、りせはも、りせはの家族だって幸せになれるわ!」
「お金だけあれば、それで幸せですか?」
2人の言葉が、胸に刺さる。
迷ってはいた。
即決したわけじゃない。
断ろう、と思った。
だけど、お金に釣られそうになった。
お金でものが買えれば、家族も幸せになれると思った。
物が満たされていれば、心が満たされるわけではないのに。
それは、今の生活で俺自身が知っていることなのに。
「な…によあんたたち………わかったわ!
りせはがいなくなったら売上が減ってお店が困るからでしょう?!
そうに決まってるわ!だから結婚を阻止しようとしてるんでしょう!?」
「………ダメだ、このおねーさん全然わかってないや。」
「ある意味平和な頭のお嬢さんですね………」
「仕方ないわね、じゃあ別のホストをここに連れて来るわ。
りせはの売り上げをカバーできるレベルを連れて来れば良いんでしょう?」
「結構です。そんな方、必要ありません。」
「大体、どっから拾ってくるつもり?」
「そんなの、そこらの別のホストクラブから引き抜いて来るわ。」
「引き抜き…」
「一体どんな条件付けて引き抜くの?またお金?」
「当り前よ。ちょっとお金積めばホイホイ付いて来るわ。
ホストなんて、所詮そんなものでしょう?
お金のために女の子をたぶらかしてるんだから。」
『っ………!!』
悔しかった。
知らない人たちからしたら、確かにそうかもしれない。
姫たちがお金を出して、一緒に飲み物を飲みながら話す。
時には優しい言葉や甘い言葉をかけたりもする。
だけどそれは、少しでも笑顔になって帰ってほしいからだ。
来てくれる姫たちを、金づるくらいにしか思っていない、
そういうお店も、あるのかもしれない。
どうしても悪いイメージのが植え付けられやすいから、
全てのホストクラブがそうだと思われてしまうこともあるかもしれない。
だけど、俺たちは…この店は。
俺も、オーナーも、amuも、あんずさんも、関西店のみんなも。
確かにお金を稼ぐためにホストになったけれど、
お金が全てなわけじゃないのに。
ホストという仕事に、誇りを持っているのに。
「………りせはも、その1人だと?」
「りせはは別よ。何を言ってるの?
そんな悪い人が、見ず知らずの私を助けるわけないじゃない。
いい?りせはが私を助けてくれたのは運命なの。わかる?
だから、早くりせはから手を引いて。
どこのホストクラブからだって引き抜いて来てあげるから。」
「お断りします。」
「なっ………!!」
「お金のために自分の店を捨てるようなホスト、うちには必要ありません。」
「大体おねーさん、そのお金、どこから用意するつもり?」
「うちの会社の売り上げがいくらあると思ってるの?
ホスト1人買う分のお金なんていくらだって―――…」
「違う、そうじゃない。
おねーさんが今使おうとしてるお金はおねーさんが稼いだもの?
違うよね?おねーさんの会社の人たちが稼いだお金だよね?
話からしておねーさんはただ親のスネかじってるだけでしょ?」
「な………んですって…?」
「おいamu…!」
「いいから言わせてよ。
馬鹿にされて黙ってられるほど俺大人じゃないからね。
おねーさん、親のお金にすがりついて生きてるだけでしょ?
それを我が物顔して使いこんでるだけで、何一つ、自分の力で出来てない。
親のお金と権力がなきゃ生きていけないくせに、何様のつもり?」
『amu言いすぎっ―――…!』
「・・・・・・・・・上等だわ!」
バンッとテーブルを叩いて女性が立ち上がる。
その視界からは俺は完全に除外されていて、
オーナーとamuだけをまっすぐに捉えていた。
「人が大人しくしてればいい気になって…!!
こんな失礼な扱いされたことないわ!これだから一般人は嫌なのよ!!
いいわ、あなたたちがそういう態度を取るなら
こっちもそれ相応の対応をさせてもらうわ。」
怒りで顔を真っ赤にした女性に対して、
amuはまったく悪びれもせずに視線を受け止めていた。
寧ろ挑戦的な視線にすら思えた。
けれど、そのamuの視線を受けた女性は
何故か口の端だけを上げるような笑みを返していた。
―――嫌な予感がする。
直感的にそう思った。
「りせはが私と結婚してくれるなら、あなたの家に5億円援助するわ。
5億と言わず、これから先、いくらでも使えばいいわ。
ただし、もしこの話を断った場合は………」
「場合は?どうするの?」
「おいamu、あんまり煽るな」
女性は、すごく綺麗な、歪んだ表情をした。
「・・・・・・この店を、潰すわ。」