KGが上田城で一目惚れを使ったようです
これでは足りなかったのだろうか。正直なところ、城下で破壊の限りを尽くした責任だとか、忍びを始めとする何人かを技に巻き込んでしまったことなどについては話が及ばないように言葉を選んだ。幸村がそちらに思案をめぐらせていたらどう対応したものかと、慶次の心配が今度はそちらに移った。今の慶次には金がない。
「…。この、傷を負った時」
頭上からためらいがちな幸村の声が降った。
「申されていたでござろう」
「え?」
慶次は頭を上げた。
「その、某に…」
「え、なに、何のこと」
何を思い出しているのか分からない。姿勢を戻して見つめると、幸村は言いにくそうにもごもごと口を動かした。
「某への一撃を放つ前、刀を振りかぶって」
「うんうん」
自分の技ならば覚えている。超刀の柄を鞘に差し込んで頭上高く振り上げ、打ち下ろす一撃。それを食らって幸村は傷を負った。そこは記憶がはっきりとしているが、相手の言わんとすることが掴めなかったので先を促すと、幸村はかっと顔を染め、眉間に皺を寄せてこちらを睨むように見た。
「某に、…」
何かをこらえるように唇を噛む。その姿が少し可笑しい、と思った。
「某に、惚れた、と」
「…はあ?」
思わず素っ頓狂な声を上げると幸村の顔はますます朱に染まり、唇を更にきつく噛んで小刻みに震えだした。見ていて哀れにすらなってくるが、慶次は頭の中がぐるぐるとしてそれどころではない。
惚れた、とは。ついさっきまで鮮明だった記憶がひどく曖昧にみえてきて、事の仔細を簡単に洗い直してみることにする。
「…あ、ああー…」
「覚えておいでか」
「え、い、いや、確かに言った。言ったけど」
言ったが、特段思い出すようなことではない。…あれはいわば、慶次にとってはつまり。
「か、掛け声…みたいな、つもりだったんだけど」
幸村は一瞬目を丸くした。しばらく無表情で何かを思い出すような、考え込むようなそぶりを見せた後、すぐに姿勢と表情を整えて慶次の前に座り直した。
「掛け声、でござるか」
「うん」
掛け声というか、決まり文句というか、とにかく技を仕掛けるときの高揚感のままに発する台詞で、特別な意味はない。技を出すときといったら大体は喧嘩が楽しくなってきたとき、つまりは相手がそれなりに気に入ったときだから、そういう意味では言葉通りといえるかもしれないが。
幸村が俯きながらぼそぼそと何かを呟いたが、やはり、とか佐助がどうこう、などと言うのが聞こえるだけでよくわからなかった。
「それでは、…慶次殿は」
「ん?」
「誰にでも同じようなことを申されるのでござるか」
はじめと同じその質問を聞いてようやく慶次は事態を飲み込み、すっきりとした気分になった。幸村が気にしていたのはとりあえずその台詞についてである。それならそうと、始めから詳細に思い出させてくれればよかったのにと、少し苦笑した。
「まあ、そういうことになるかな」
京での喧嘩ではよく使っているし、とっさに思い出せる限りでは、実家の防衛に協力したときも、たまたま最北端を訪れて出くわした一揆を止めたときも、敗走する上杉の兵に加勢したときもこの技を使った。そのたび、海賊相手だろうと少女相手だろうとはたまた独眼竜相手であろうと同じ言葉を発したのだろう。よくは覚えていない。
幸村がまた目を見開いた。信じられないものを見る面持ちでこちらに視線を向けた後、眉間の皺を深くして、がっくりと俯き、短くしかし深い溜息をついた。
「…慶次殿は、まこと破廉恥なお方にござるな」
「ええ!?」
状況を把握したはずの慶次の頭は今度こそ疑問の渦に巻き込まれた。いかに初心で若い幸村といっても、今の会話のどこからそういう言葉につながるのかすぐには理解できない。
「ちょちょちょ、ちょっと、どこが破廉恥なんだよ」
「破廉恥でござろう。先日とは別の時、別の場所でも、ほ、惚れたなどと。不誠実な者のすることでござる」
「いや、だから、それは決め台詞のようなもので」
「…決め台詞でも!」
一際激しい声で遮られて、慶次は思わず幸村を見た。
「軽々しく口にするものではござらん」
幸村の表情を見て、そのたたずまいを見て、また、合点がいった。
――怒っているのか。
しかしそれは怪我のことではない。
慶次はにやにやとした。相手がそれにうろたえたので、しばしその様子を楽しんだ。ついさっきまで申し訳なさを覚えていたのを忘れて、先日と同じようにからかってみたくなる。いきなり破廉恥と言われたことへのちょっとした仕返しも含めて、あからさまに首を傾げた。
「もしかして幸村、本気にしちゃったの」
「なっ…!」
幸村の顔がこれ以上ないほどに紅潮する。あまりにも予想通りなので慶次は更に笑みを深くした。
「何だ、幸村、誰かに好きっていってもらったことないのかい。もったいないなぁ、いい男なのに」
唇がぱくぱくと動き、肩がわなわなと震えて、全身で動揺を表現している。それまでの不安や申し訳なさで沈んだ心を盛り上げるように、慶次は面白がって言葉を続けた。
「余裕が足りないねぇ。冗談を理解するとか、そういうの必要だよ。真っ直ぐなだけじゃいい人はつかまらないって、本当」
拳を握り締めてぶるぶる震える幸村は、表情が見えないほどに俯いて何事かを低く呻いていたが、慶次がいよいよ調子に乗ってきたところで突如ばっと顔を上げた。
「…だから…!!そういうところが破廉恥だというのだ!!」
「ちがうよー。幸村が純情すぎるんだってば」
「…!!某が、どれだけ思い悩んだと」
そこまで言って口をつぐみ、声にならない声を途切れ途切れに発し始めた。蒸気を出しそうに真っ赤になりながら視線はそらさず睨みつけ、ひとしきり呻いた。慶次がやりすぎたか、と思う一瞬ののち、
「…出て行ってくだされ!!」
轟音が響いた。
陽が高く上る青空の下、上田城の屋根にやれやれと座りながら眼下の様子を気にかけていた佐助は、あまりにも長い時間しんと静まり続けている空気にいよいよ飽きてきたころ、足元に重い振動を感知した。
すぐさま主の元に駆けつけると、庭に面した障子が一列、きれいに吹き飛んでおり、その中で主より頭ふたつ分大きい、えらく華やかな色の巨体がじりじりと押し出されているのを見た。すぐにはこの状況が理解できなかった佐助だが、男はもっと理解できていないようで、困った顔をしながら背後の幸村を呼ばわり続けている。
「ど、どうしたんだよ幸村。ごめん、ごめんってば」
「知らぬ、もう知らぬ」
かみ合わないやり取りを繰り返しながら二人の体は少しずつ外へ進んでいく。やがて幸村は慶次が何を言っても聞く耳持たずといったように目を閉じ、唇を結んで、全身で力をかけ始めた。
(…やれやれ)
やっぱりこうなったか、と思いながら主をなだめようとしたその時、低い声で唸った慶次が急に身を起こして幸村の手から離れた。力を受け止めるものが突然なくなった幸村の体が盛大によろけたので、すかさず佐助が支える。
「…わかった。出てく」
「え」
向き直り、眉を下げながら小さく笑ってそう言った慶次を、幸村はきょとんと見た。
「また調子に乗っちまった。ごめんな」
作品名:KGが上田城で一目惚れを使ったようです 作家名:すみびすみ