N・N・N
「あーあーうるせえなあ。ほんと急にどうしたんだよ、お前。ほら、あれ見てみろよ」
メインルームの扉の方を、バトーが指差す。嫌な予感を覚えつつ、トグサがそちらに視線を向けた途端、トグサは床へと崩れ落ちそうになる体をなんとか支える努力を要された。
嫌な予感というのは、総じて当たってしまうものである。トグサが視線を向けた先に居たのは、少佐とイシカワだった。真剣な顔をして話していることから、おそらく今扱っているヤマの話をしているのだろう。話に夢中なのか、こちらには気付いた様子はない。そこまではよく見かける、普通の光景だ。
だが、やはりひとつ、おかしいところがあった。どちらも頭頂部に、人間の耳ではない耳がくっついているのである。少佐は黒い猫の耳、イシカワは茶色の垂れた犬の耳であった。
「な、普通だろ」
「嘘だ……」
「嘘だっつっても、本当だとしか俺には言い様がねえぞ。それに第一、お前だってそこに立派な耳が生えてるだろうが。まさか30年近く生きてて知らなかったのか?」
「…………えっ!?」
バトーの言葉にトグサは慌てて自分の頭頂部を擦ってみた。確かに、相変わらず適当に梳かしたせいでぼさぼさな髪のなかに、なにか違う、妙な物がある。柔らかく、ふさふさしていて、まるで獣の耳のような――。
「そんな、まさか……」
自分の中にあった常識が、音を立てて崩れていく。嘘だ、そんな馬鹿な。そんな言葉ばかりがグルグルと頭をめぐるが、手に触れている感触は現実としか思えなかった。
不意に、水が勢いよく流れる音が聞こえ、トグサは意識を戻した。数秒間ほどだろうか、どうにも意識がブラックアウトしていたように感じる。閉じていた瞳を開けると、目の前には白いタイル張りの洗面器と、勢いよく流れる水が見える。トグサは、少し遅れてから、自分がいま9課内にある洗面所に居ることに気付いた。いつの間に移動したのだろうか。
「訳が解らない事だらけだな……」
トグサは唸る様に呟きながら、水を両手で掬って顔を洗った。不思議と水はあまり冷たくない。温水にでもしていたのだろう。蛇口に手を伸ばし、ひねりながら顔を上げる。綺麗に磨き上げられた鏡は、顔を濡らしているトグサの姿を克明に映し出した。そして絶句する。