めかくしセカイ
「どこいくんですか?」
「飲みに行こう」
「へっ?」
「君、この後用事はあるかい?」
「特にありませんが……」
歯切れの悪い利吉の様子など気にした風もなく、半助は満足げに笑った。それから今度は利吉の背中をひとつ叩く。といっても力は全然入っていないので、痛みはない。
「よし、なら飲みにいこう。奢ってあげるから。駄目かな?」
「……解りました、お付き合いしますよ」
特に断る理由もない利吉は、半助の強引さに驚きを隠せないながらも頷いた。
思えば半助と喫茶店以外で会うのは初めてだ。ましてや飲みに行くなど考えた事もなかったが、飲み屋なら普段よりも長く色々な話をできるだろう。それを思うと少し、いや、かなり楽しみだ。降ってわいた幸福に遅まきながら感謝する。
「それにしても随分と強引でしたが、そんなに飲みに行きたかったんですか?」
「いや、このまま一人でご飯っていうのも寂しいなあと思ってね。きり丸……あ、飼い猫のことなんだけど、あいつも今は実家に戻しちゃってるし」
「そうなんですか? 何か病気でも……?」
「違う違う。ただ単に、母が久しぶりにあいつに会いたいって言ったもんだから、一週間だけあっちの家に返したんだよ」
手をぱたぱたと振りながら半助が言う。猫のきり丸に関しては時々話題に出てくるので利吉も知っていた。名前を聞くたびになんとなく、欲深そうな名前だなあと思っているのだが、流石に失礼だろうと一度も口に出したことはない。
二人は結局、喫茶店から十分ほど歩いたところにある駅前のとある居酒屋に入った。
「友達とはよく飲んだりしているんだろう?」
「まあ大学生ですので、それなりには」
「大学生のうちに飲んどいたほうがいいぞー。なにせ翌朝のことを社会人よりも心配しないでいいんだからなあ。それに、若いから量もいけるし」
「土井さんだってまだ若いじゃないですか。たしか今年で二十五歳でしょう?」
「そりゃあ若造ではあるけど、二十歳のパワーには負けるさ。さて、店員さんが来る前に一杯目を決めちゃおうか」
それから少ししてやってきた店員に、生ビールを2杯と、適当なつまみをいくつか頼む。それから間もなく届いたビールで乾杯し、二人は暫く雑談に花を咲かせた。その内容のほとんどは、半助の職場にいる嫌味な教師とやらの愚痴である。
「本当にいちいち人の行動に嫌味を言ってくれるんだよ、これが。そりゃあ私もまだまだ未熟な教師だけど、重箱の隅をつつくようなねちっこい嫌味は良くないと思わないかい? あの人を見ていると安藤先生を思い出すよ。いや、安藤先生のほうがよほどマシだなあ」
ビール三杯目ですでに酔いがまわりつつあるらしく、半助の目は若干座っている。利吉もそこまで強くはないが、セーブして飲んでいるため、まだあまり酔いはきていなかった。いっそ一緒に酔った方が楽しいのかもしれないが、それでは帰りに困ってしまいそうだと自重しているのである。
「安藤先生というのは、土井さんの学生時代の先生かなんかですか? 先程から頻繁に名前が挙がっていますが」
「いいや、安藤先生は……まぁ、一応同僚というべきかな。ほら、前に言っただろう? 忍者で先生やっている夢。あれに出てくる人なんだよ」
「夢の、ですか」
まったく考えもつかなかった応えに利吉は眼を丸くした。半助が恥ずかしげに乾いた笑いを浮かべる。
「変な人だなって思っただろう?」
「いや、べつにそんな事はないですが……」
「遠慮する必要はない。私もそう思うよ。我が夢ながら、本当に変だよなあ」
陽気に笑い、半助がコップに半分ほど残っていたビールをあおる。利吉は不意に、さきほど見た半助の姿を思い出した。
「ちょっと夢の事を聞いてもいいですか?」
「別に構わないよ。なんだい?」
「土井さんは夢の中で、どんな服装なんです? ……やっぱり、忍者らしく、黒い忍び装束とか?」
まさかそんなと思いながら尋ねてみると、あっさりと半助は首を縦に振った。
「そうそう、よくわかったね。まあ黒い装束なんて定番すぎてつまらないよなあ」
「……服の下はなぜか網シャツを着ていたり?」
「君はエスパーかい? すごいなぁ、ビンゴだよ。なんかの漫画かなんかでそういう格好の忍者でもいたの?」
「え、あ、はい、そうなんですよ」
まさかの一致に驚きつつ、しどろもどろに頷く。どうみても不自然にしか思えない利吉の反応だが、酔いのせいか半助は気にした様子もなく笑っていた。ひそかに安堵の息を零す。
それから他の話題に移って行った後も、この不思議な一致は思考の片隅に引っかかって取れないでいた。偶然だ、の一言で済ませばいいのだろうが、まるで夢を見た後のように僅かに頭痛がするのが気になる。もっと夢について聞きたいとも思うが、半助はどことなく、夢の話をすることを躊躇している様子で聞き辛い。
「……あの、土井さん」
「ん? なんだい?」
楽しげに笑いながら利吉の言葉を待つ半助を見ていると、やはりどうにも切り出しにくい。利吉は迷った挙句、聞くことをやめた。
「いえ、そろそろ時間は大丈夫なのかなと思いまして」
代わりに携帯電話を見ながら時間について聞いてみる。時刻は既に一二時を回ろうとしていた。
「そうだなあ、もう充分飲んだし、そろそろいい頃合いか。君はもういいの?」
「私は充分楽しませていただいたので、大丈夫です。ごちそうさまでした」
「それは良かった。じゃあ会計に行こうか」
注文票を取り、半助がやや覚束ない足取りでレジへと向かう。居酒屋の店員はスーツの男と大学生くらいの男の組み合わせにやや訝しげな様子だった。顔も似ていないし年も近くはない自分たちは、確かに傍目から見たら良く分からない組み合わせに見えるだろうなあと、他人事のように思う。
会計を済ませた半助とともに店を出る。ぱかぱかとビール瓶を開けていた半助は、当たり前だがだいぶ酔っ払っているようだ。一人で帰すのが不安になる程度には、足元がふらついている。送っていくべきだろうか。しかし相手は女の子じゃないのだから。そんな風に悩んでいたら、いつの間にか別れ道である喫茶店の通りまで来てしまった。
「私はこっちだから、それじゃあ今日は有難う。気をつけて帰ってくれよ」
「……あの、土井さん。家までついていっても構いませんか?」
「へ? なんで」
突然の申し出に驚いたようで、半助が首を傾げる。利吉はぴっと半助の足元を指差した。
「それです。そのふらついた足元。見ているだけで不安になります。一緒にいても不安で目が離せないのに、ましてや一人で帰すなんて無理な話です。別に家に上げろというわけではありませんから、せめて家の前まではついていかせてください。じゃないと私が心配で寝れません」
心配のあまり捲し立てるように言ってしまった。自分もやはり少し酔っているのかもしれない。半助は言われている間は何がなんだかという表情だったが、流石に言葉を理解できないほど酔いは回っていなかったようだ。照れ臭そうに笑うと、ひとつ大きく頷いた。
「ははは、年上なのに情けなくてすまないね。確かに君の言うことはもっともだ。ぜひ送って行ってもらえるかい? 明日もお店に顔が出したいしね」