めかくしセカイ
半助がどこか気まずげな顔をする。おそらく、もうこの話を続けたくはないのだろう。利吉は内心で謝罪しながらも、口を開いた。
「私と土井さんは夢の中じゃどのような関係なんですか? 私が見た夢ですと、随分親しそうだったんですが」
「……細かい事は私にも解らないけど、確か、私の同僚の息子さんだったよ。君のお父上が、同じ忍術学園という学校の教員だったんだ」
ずきん、と頭が大きく傷む。不意にぼんやりとした人物が脳裏に浮かんだ。利吉は眉を顰め、頭痛に阻まれながらも、その影をより鮮明に認識しようと試みる。
「……その人って、もしかして、顎にちょっと髭を生やした、顔がごつめの人じゃないですか?」
「……利吉くん……?」
断片的に見えた情報を言葉に出し、問いかける。半助は応えの代わりに、怪訝と不安を足したような顔で、利吉を見た。どうやらあたりのようだ。
利吉は不意に、得も知れぬ不安を感じた。
知らないはずの人間だというのに、なぜ自分はとっさに頭に思い描く事が出来たのだろうか。夢を見る前に幻で見た半助の忍び装束姿といい、まるで頭の中に利吉も知らなかったブラックボックスがあって、そこから段々と記憶が零れだしているような、そんな感覚である。
「……ッ」
唐突に、ずくずくと後頭部が激しく痛みだした。何かが利吉にこれ以上考えるなと警告しているようですらある。あまりの痛みに額を抑えると、利吉は痛みを逃すべく大きく息を吐き出した。それでも痛みは退かない。
「どうした? 大丈夫かい?」
利吉の様子がおかしい事に気付いたのだろう。半助が席を立ち、利吉の顔を覗き込んでくる。途端、またもや頭がひどく痛み、耐えきれず利吉はカウンターの中で膝をついた。
「利吉くん!」
「どうした、利吉」
店の奥でほかの常連客とぽつぽつ会話をしていた店長が、異変を感じてこちらに歩いてくる。利吉は細く長く息を吐き出し、痛みに負けそうになる足を叱咤して、立ち上がった。半助と店長の心配そうな視線が利吉に突き刺さる。
「すみません、今日は朝から頭痛が酷かったんですが、ちょうど波が来てしまったみたいで……」
「どうする、今日はもう帰るか?」
「……すみません」
「気にしなくていい。今日一日くらいなら俺が一人でやっても問題ないさ」
淡々と店長に問いかけられ、利吉は謝罪を重ねた。この頭痛がおさまらない限り、仕事にはならないだろう。不器用ながらも優しい言葉をかけてくれる店長に頭を下げてから、心配そうにこちらを見ている半助へと小さく笑みを向ける。
「話し途中にすみません。……変なことを聞いてしまいましたけど、気にしないでください。思いつきで適当を言っただけですから」
「……お大事に」
「ありがとうございます。それじゃあ」
半助があえてイエスともノーともいわず、ただ労わりの言葉だけをかけた事に気付いたが、利吉はそれに関しては何も言わず、素直に礼を述べた。それから先程よりはマシになった頭を押さえつつ、利吉はカウンターを下がり、奥の狭い、スタッフ用の部屋へ向かった。エプロンを外し、荷物を手に取る頃には、だいぶ痛みも引いてきていた。先程の、頭が割れるのではないかと思うほどの酷い痛みが嘘のようである。
裏口から店を出て、家へと向かう。速足で歩を進めながら、利吉は痛みを押して考えていた。
初めはただの夢だと思ったし、それが現実として当たり前だとも思うが、どうにも何かあるような気がしてならない。思い返してみると、夢に関する話しの時にばかり、思考を阻害するように頭痛がしていた。一度や二度ではなく、何度も。そして、半助のあの様子と、奇妙なまでに符合する夢。……まるで漫画やドラマの世界のようだ。
そういえば、昔、なにかのドキュメンタリー番組で『前世の記憶を覚えている少女』という特集が組まれていた。彼女は自分の前世を覚えていると自称し、実際に他人には知り得ない事すらも知っていたという。最終的にはまだ生きているという前世の両親に会いに行き、感動の再会を果たしていた覚えがあるが、はたしてどこまで本当なのかは疑わしい。そう思っていた。
「…………まさか、なあ」
利吉は自分が至りかけた結論を、はははと自ら笑い飛ばす。だが、その笑いは、自分の中に芽吹いた不安を吹き飛ばすには、中途半端な代物であった。
……
……………
「主に頼みたいのは、ひとつ。あやつの城にあるであろう密書を奪ってきてほしいのだ」
廃寺にいた依頼主は、獲物の城への地図を利吉に手渡しながら、重々しい口調で言った。直ぐには返事をせずに、受け取った地図を広げる。随分と山深いところにある城のようだ。ここからだと、たどり着くだけで数日を要しそうである。
「期間は」
「一ヶ月ほどで頼みたい。お主の腕を見込んで申しておるのだ。引き受けてくれるな?」
どこで利吉の評判を聞きつけたかは知らないが、随分と信頼されているようである。利吉は暫し黙り込み、地図を見詰めた。この城の名に、利吉は覚えがあった。プロの忍者たちの間では少々有名で、腕に自信がない限りは行くべきではない危険な場所であると、駆けだしの頃に出会った同業者から聞いたのである。その同業者自身も、まるでその噂を証明するかのように、ひと月後に例の城へと潜入しぱたりと消息を途絶えさせた。仕事に失敗したのかもしれないし、未だ任務の途中で、どこぞに潜伏中なのかもしれない。できれば後者であってほしい。
「……承知いたしました」
利吉は深く頭を下げ、了承の意を示した。不安がないとなれば嘘であるが、それ以上に、利吉は己の力量にそれなりの自信があった。容易ではないだろうが、過信せず、慎重に事にあたれば、不可能ではないはずだ。
「流石は山田利吉よ。それでは良い結果を待っているぞ」
依頼主はどこか粘着質さを感じさせる笑みを浮かべると、護衛たちとともに静かに廃寺を去って行った。彼らの姿が見えなくなるまで、利吉は膝を折っていたが、完全に見えなくなった事を確認すると、膝に着いた埃を払いながら立ちあがった。
「……やれやれ、これは大変そうだ」
再び地図を眺め、ため息交じりに呟く。やはり昨日、半助に会いに行ったのは正解だった。
利吉は懐に地図を仕舞い込むと、地面を蹴り、走り出した。
期限はそう長くない。短縮できる時間は短縮しなければ、成功は難しいだろう。慎重に事を運ぶためにも、移動に手間をとられてはいけない。
ようやく日が昇り始めた空を眩しげに一瞥してから、利吉はひたすらに朝靄の中を駆けた。