めかくしセカイ
「なんというか……貴方は本当に、大雑把なわりに変なところは几帳面ですよね。まさかこれ、出席簿のごとく持ち歩いてたりとかは?」
概ね目を通し終わったらしく、利吉が呆れ半分の口調でそんな事を言った。
「するわけないだろう。……で、その様子だと、どうやら一致したみたいだね」
半助の問いに、利吉はこくりと頷いた。
「もちろん、私は『山田利吉』ですから、学園での貴方の事までは知りようもありませんが……時代や場所、出てくる人々、人間関係にいたるまで、私が見た夢と寸分違いもありません」
「すべて?」
「はい」
「私と君が、恋人同士とかいうのも?」
「ええ」
「……そうか。私の妄想ってわけじゃなかったんだなあ」
思わずしみじみと呟いてしまう。妄想か、それとも意味があるのか。ここ十何年、半助が悩み続けたことであった。その答えがようやく示されたわけである。第三者の利吉が同じ夢を見ている以上、それは妄想ではないのだろう。
「……妄想じゃないとなると、やっぱりこれは前世の記憶とかなのか……」
「それは……私も考えましたが、あまりに非現実的じゃありませんか?」
「非現実的というなら、私と君がなんの示し合わせもせずに同じ夢を見た時点で、十分に非現実的だと思うぞ。……そうだ、君に聞きたい事があるんだった」
「なんでしょうか」
「君の……『山田利吉』の最期について」
半助は言い辛そうにしながらも、ぽつりと言葉を発した。
利吉と会わずにいた数週間の間も、半助は繰り返し夢を見続けていた。その中には、ずっと見る事のなかった利吉との『別れ』についてのものもあったのである。
「私の最期……?」
「……私の夢だと、『山田利吉』は長期の任務に向かうといって出て行って以来、帰ってこなかったんだよ。そして、そのまま再び会うこともなかった。……もし君が覚えているなら教えてほしい。じゃないと『土井半助』が未練を断ち切れないようなんだよ」
眉を下げて、半助が笑む。『利吉』と再び会うことなく死んだ『半助』にとり、『利吉』の存在は強い未練であったようだ。その思いが、半助に幼少のころからこの夢を見せ続けていたのではないかと半助は思うのだ。
「私の最期……」
利吉は再び同じ言葉を繰り返し、それから不意に眉をしかめた。そして、額を抑える。
「利吉くん、もし解らないならいいんだ。これから思い出すかもしれないし」
「いや、もう少しで、思い出しそうなんです……、……っ」
相当に痛むのだろう。利吉の顔は傍から見ても辛そうに歪んでいる。
「利吉くん、やっぱり――」
「私は、貴方と別れてから、依頼主の元へ行って……それから、とある城へ、潜入しました。依頼された密書を、奪うために」
半助が止めようとしたその時、利吉がぽつり、ぽつりと語りだした。丁寧に糸を手繰るように、ゆっくりとした口調である。半助は言いかけた言葉を飲み込み、言葉を待つことにした。
「密書を奪う事までは、成功したんですが……途中、運悪く相手のものに見つかり、森の中を追われ、崖に追い詰められ、そこから落下したんです。そして……、っ!」
言葉を切り、利吉がうつむいて痛みを堪えだす。見ているだけでそのつらさが伝わってきそうなほどに痛々しい様子だった。やはり止めるべきだろうか。そう悩んでいると、不意に利吉が勢いよく顔を上げた。その顔は驚きに染まっている。
「そうだ……私は、崖から落ちて……川の下流にある村に流れついたんです。全ての記憶を、失って」
「記憶を……?」
「はい。川に落ちた時に、後頭部を強く打ってしまったようで……それから私は死ぬ瞬間まで、記憶は戻りませんでした。ただ、どこかへ帰らねばならないという焦燥感は強く胸に残っていて、あてもなく各地を放浪しましたが、貴方の元へたどり着く前に……」
利吉がそこで言い辛そうに言葉を切った。半助もその先に続くべき言葉を察する事ができたので、あえて促しはしなかった。
「そうだったのか……道理であの城のあたりを探しても、見つからなかったはずだよ。君がいなくなった後、随分と探してはみたんだけど、まさか記憶を失くしていたとは予想外だった」
「本当に、すみません。約束を違えてしまって……」
「不慮の事故だし、仕方がないだろう。私たちはサラリーマンじゃなくて忍者なんて特殊な職業だったんだから。それに、何百年も前の事なんて時効だ、時効」
手を上下にぱたぱたと振りながら、あえて冗談めかして言う。実際に、利吉を恨む気持ちは、半助にはなかった。おそらく『半助』もそうだろう。その証拠に、胸の奥底に突っかかっていた何かが、さらさらと消えていくのが解った。確かに悲しい出来事ではあるが、過ぎてしまった事なのだ。いまさら何を言おうが変わるものでもない。
そうした半助の考えを察したのかは知らないが、利吉は僅かに笑うと、それ以上謝る事はしなかった。代わりに額を抑えつつ、小さく唸る。
「それにしても、夢を見るたびに頭痛がしていたのは、記憶を失った時に後頭部を打ったせいだったんでしょうね。確かにかなり痛かったですが、まさか来世に転生してまで此処まで強烈に記憶に残るとは思いませんでしたが……まぁ、完全に思い出した今となっては、痛みもないのでいいんですけどね」
「そうなのかい? それは良かったけど……この夢を見るたびに頭痛がしていたんじゃ、大変だっただろう」
「ええ、それはもう……特にこの数週間は、よほど疲れて眠らない限りは夢を見てしまうので、大変でした」
「私も寝不足でつらくはあったけど、君に比べたら頭痛がないだけマシだったんだなあ。お疲れ様」
「まあ思い出せないよりは良いですから……」
しみじみとした調子で、後頭部のあたりを摩りながら利吉が言う。どうにも変な塩梅だ。一時間前までは絶対に会わないと誓っていた相手と、長年の謎であった夢を暫定的にとはいえ解明し、こうして他愛もない事のように話しているなんて。しかも現在の関係を一言で表すならば、『恋人』なのである。数日前の自分に教えたら、絶対に信じてもらえないだろう。
「あの、土井……先生」
「好きな方で呼んでくれて構わないよ。実際、私は現在も教職なわけだから」
「なら、土井先生と呼ばせてもらいます。……それで、ですね」
「なんだい?」
どこか言い難そうに口をもごもごさせている利吉を促す。と、急に両肩を掴まれた。
「キスしていいですか?」
真面目くさった顔で聞かれ、半助は一瞬ぽかんと相手を見つめ、それから腹の底から湧いて出る笑いを堪え始めた。利吉が僅かに耳を赤くしながら、むっとした顔をする。
「夢の中の君は、そんなことも聞かずにしてきていたから、なんか新鮮だなあ」
「付き合い始めの頃は聞いていましたよ。……もういいです、聞かない事にします」
拗ねたように言い放った後、利吉はすぐさま半助の唇に自らのそれを重ねた。初めは啄むように何度も角度を変えてキスを重ねていたが、次第に口内に舌が入り込み、深いものへとなっていく。
「ふっ……!」