めかくしセカイ
[再会]
驚いた。
本当に驚いた。
自宅に帰るなり、引きっぱなしの布団に身を投げる。半助は未だ鳴りやまない動悸を収めようと深く息を吐いた。縋るようにアパートのぼろい天井を眺めるが、どんなに気をそらそうとしても、考えてしまうのは昼間のことだ。
半助は物心ついた頃から、とある夢を繰り返し見ていた。
これがまた不思議な夢なのである。時代は今よりもはるか昔の日本――おそらくは室町のあたりで、なぜか自分は『忍術学園』なる、名からも解るとおり忍者を養成するための学校に勤め、小学生ぐらいの子供を相手に教鞭をとっているのである。もちろん、子供たちに教えるわけだから、自身も一応は忍者のようだった。
ばかばかしい。そう切って捨てるのが一番だと、何度も考えた。世の中には予知夢だとか前世の記憶だとかを夢に見る人がいるらしいが、半助はそういったものをある種のネタとして楽しみこそすれ、本心から信じるほど迷信深くはない。だが、ただの夢だ妄想だと片づけるには、色々と疑問が残るのも確かだった。
たとえば、なぜ室町時代のことを特に知りもしなかった頃の自分が、あそこまで史実に合った精確な夢を見られたのか。
半助が大学に上がったころ、あまりに繰り返される夢が気になり、様々な文献にあたってみたことがある。本来はあくまでただの夢で全てよくできたデタラメであるという確証が欲しいために調べ始めたのだが、結果として解ったのは、その夢はただの妄想ではなく、確かに室町時代にあった文化を描いているということだった。ついでにいえば、自身が教えていた忍術なども、どうやら実在しているらしい。
そして、今日会った、喫茶店の店員。
「……顔が似ているだけならまだしも、名前まで一緒だなんて、ブラックジョークにもほどがあるだろう……」
疲れを滲ませた声で呟きながら、勢いをつけて起き上がり、ぼさぼさの頭を掻く。それから手を伸ばし、近くの棚を開けて一冊のノートを取り出した。いわゆる夢日記というやつである。同じ舞台・同じ設定の夢を繰り返し見ている事に気付いたばかりのころに、興味本位でつけだして以来、習慣になってしまって続けているものだ。ぱらぱらとページを捲っていく。
半助の夢には、今まで数多くの人物が出てきた。例えば同僚の教師であったり、自分が受け持つクラスの生徒であったり、敵対する勢力の忍者たちであったり、それはもう数え切れないほどだ。
そして、その中でも『山田利吉』という名の人物は、非常に重要な位置を占めていた。
「……やっぱり、間違いじゃない」
数ページ捲ったところで手を止め、半助は呟いた。眉を寄せながら見つめる視線の先には、『山田利吉』の文字がある。さらにその下には、小さく『恋人?』と書かれていた。
――そう、現代に生きる自分としては信じがたい事であるが、夢の中の『土井半助』は、その『山田利吉』という男と、いわゆる恋人同士であるらしいのだ。たまに夢で自分と彼と会っているシーンを見るが、決まっていつも、恥ずかしさで耳を覆いたくなるような言葉を交わしている。
初めて彼と付き合っているような雰囲気の夢を見たときは、まだ若い、高校生くらいの頃だったこともあり、自分はもしやそちらの趣味なのではないかと真剣に悩んだものだ。
「山田利吉……か」
顔だけでなく名前まで夢の中の人物と同じ青年。あくまで偶然だと片づけるには少々出来すぎている感がいなめないと思うが、だからといって、この事が何を現わしているかなど解りようもない。反応を見てみようと、さりげなく自分の名も名乗ってみたが、相手は別段気にした風もなかった。やはり自分の夢は、あくまでも妙に現実じみているだけの妄想なのだろうか。だが、もしかしたら彼が平静を装っているだけかもしれないと思ってしまう自分がいることも確かだ。
半助はそこまで考えてから、深くため息を吐いた。ふるりと左右に首を振る。
「まぁ、あまり考え込んでもしょうがないな」
声に出して呟く。実際、ここで半助が頭を悩ませたところで、結論は出ない。いま解る事といえば、もしかすると長年半助を悩ませてきたあの夢の謎に決着がつくかもしれないという事と、そのキーはあの『山田利吉』という青年が握っている事のみだ。それ以上の進展は望めない。とりあえずは、また会ってみるしかないだろう。
半助の思考がひと段落ついたのを見計らったかのように、部屋の奥からのそりと猫が歩み寄ってきた。半助が一人暮らしを始めて数年したころから飼っている猫である。なぁとひとつ鳴いた後、半助の足に体をすりよせてきた。
「なんだ、きり丸。腹が減ったのか?」
喉を擽ってやればごろごろと鳴き、きり丸と呼ばれた猫は目を細めた。
猫の名前の由来は、夢に出てくる少年からである。飼うことになったのはいいものの、名前をどうしようか延々と悩んだ挙句、半ばやけになって夢の中で自分と同居している少年の名前を拝借したのだ。友人が家に来るたびに由来を尋ねられるが、どう説明したものか解らずに毎回適当にごまかしている。別れた彼女などには「自分の名前に合わせる必要はないんじゃないの?」と呆れられたものだった。
「…………あ」
そこでようやく、今日は彼女と別れた日でもあることを思い出した。利吉が現れた事のインパクトが大きかったせいで、つい忘れてしまっていたのだ。
半助は思わず苦い笑みを零した。これでは確かに、彼女に別れを告げられても仕方がない。それに、こうした風に別れを切り出される事も今回が初めてではなかった。どうにも自分は不器用らしく、恋愛と仕事の両立に失敗し、最終的に女性に振られてしまうことが多い。情けないやら悲しいやらだが、さりと仕事を放り投げるわけにもいかず、いつも涙を飲んでいるというわけだった。
「彼女には悪いことをしたなあ……」
肩を落として言えば、きり丸が再び足に体を擦りつけてきた。それから半助を見上げて、今度はなぁおと長く鳴く。その目は半助を慰めているというより、食事をせかす色身の方が強いように半助には感じられた。
「解った、解った。今から用意するから」
肩を竦め、きり丸の頭をひとつ撫でる。もしあの利吉が夢の中の『山田利吉』と関係があるとすれば、『きり丸』もどこかにいるのだろうか。
どうしても思考が夢のことへと戻って行ってしまう自分に半ば呆れながら、半助は猫のきり丸の餌と、自分の晩御飯を用意すべく、台所へ向かった。
■ ■ ■
翌週、半助は再びあの喫茶店へ訪れた。
妙に緊張しながら、扉を押し開ける。からんころんと涼しげな音が耳に心地よい。
「いらっしゃいませ。……あ、貴方は先週の」
「この間はご迷惑をおかけしました」
来店した土井を迎えたのは、利吉であった。半助の顔を見ると少し驚いたように眉を上げる。ぺこりと頭を下げ、それから店内を軽く見渡してみた。先週と同じく午前中に来てみたが、やはり休日のこの時間というのは客があまり来ない時間帯のようである。半助を抜くと、客と思われる人は、窓際に座る老婦人しかいなかった。他にカウンターの奥に中年の男性がいるが、おそらく彼がこの店の店長なのだろう。