幸せの姿(第4回)
「スカーさん、お元気でしょうか」
「気になる?」
なんとなく寂しげに見える彼女の表情に、アルフォンスは心の奥にいつもの焦りを覚えながら問い返した。
メイは窓の外、アメストリスの方角に視線を向けて続ける。
「はい」
「…会いたい?」
もう一個、とねだるシャオメイに桃の形の饅頭を渡しながら、
「できれば、ですけど。お会いしていろいろお話したいです」
答えて、今朝からずっと喉の奥にまとわりついている不快感を払おうと咳払いして、…一回のつもりが結局止まらなくなってしまった。
「メイ、風邪引いた?」
「ってほどでもないですけど、少し喉の調子が悪くて」
夕べはいつもより少し冷え込んでいたうえにいつもの就寝時間より遅くまでウィンリィからの手紙を読んでいろいろ考えていたせいか、朝目が覚めたら乾きのような独特のちりちりとした痛みがあって。今までこらえていた分、一回続いてしまった咳はなかなか収まらない。
「うるさいですよね。すみません」
「僕はいいけど大丈夫?」
卓の向こうに回り、手巾で口を押さえて断続的な咳を止められないメイに寄り添って背中を撫でながら、
「そうだ」
アルフォンスがズボンのポケットを探って小さな金属製の四角い入れ物を取り出し、蓋を開けて差し出した。
「飴食べたら少し楽になるかも」
「ありがとうございます」
中に詰まっている色とりどりの飴玉の中からぱっと目についた黄色の粒を一つつまみ取って口に入れる。舌の上で転がすと、爽やかな檸檬と薄荷の香りが鼻に抜けひやりとした甘さが荒れてひりつく喉の方に流れた。美味しい。
小指の爪よりも小さい飴はすぐに口の中で溶けてしまい、とりあえず咳がおさまったことにほっと息をつきながらメイはアルフォンスの手の中の飴の入れ物に注目した。
ちょうど手のひらに握り込めるくらいの大きさで、素材は多分真鍮。蓋には緻密な浮き彫りの装飾。彼の持ち物ならほぼ全部把握しているけど、これは初めて見る。
「それ、前からお持ちでしたっけ」
「ううん、昨日の荷物の中に入ってたんだよ。ホークアイ中尉からの差し入れ」
告げられた送り主の名前に、舌に残る飴の後味が少し苦くなったような気がする。
アルフォンスが話題の入れ物をぱちんと閉めて、蓋の装飾をゆっくりと指先でなぞった。
「アメストリスで、こういうケースに飴とかガムとか入れて持ち歩くのが流行ってるんだって」
「そうですか」
「ウィンリィから僕が気管支弱いって聞いたからのど飴入れておきますね、ってさ。他にも服とか食べ物とかいっぱいいろいろ送ってもらっちゃったし、ホークアイ中尉にはそのうち何かお返ししないと。…何がいいのかなー、女の人だから可愛い小物とか好きだよね多分」
遠くを見るようなまなざしに、いかにも大切そうなその仕草に、つぶやかれた言葉に、ここ数週間の間ずっと抱え込んでいた苛立ちがつい口をついて出た。
「アルフォンス様は本当にホークアイ中尉さんのことがお好きなんですね」
聞くからに棘のあるメイの口調と意味ありげな言葉に、え、とアルフォンスが絶句する。
いつも凛としていて優しくて綺麗なリザにちょっと憧れていたのは確かだけど、それがメイが言う「好き」という気持ちとは全く種類が違う感情だというのは自分の中ではっきりしている。
「…好きって…確かにそうだけど、中尉にはずっと親しくしてもらってたし、今もお世話になってるからだし」
アルフォンスの答えを耳にしたメイは気持ちの整理をつけられないまますっと視線を反らした。
見るからに聞きたくないと言いたげなその態度に少なからず傷つきながら、
「そういう意味なら」
ずっと同じ種類の苛立ちを抱えていたアルフォンスもつい感情に任せて言い返す。
「メイだってスカーのこと好きだよね、この前だってマスタング准将にずっとあいつのこと聞いてたし」
ひどく意地悪な気分になっていることを自覚しながら、今さら前言撤回もできないままたたきつけるように言葉を重ねる。
「それは」
カタン、と椅子を鳴らしてメイが立ち上がった。
「スカーさんにはちゃんとお別れできませんでしたから、ずっと気になってて」
「だったら普通に僕に聞けばいいじゃない」
「だってアルフォンス様はスカーさんのこと好きじゃないですよね」
「嫌いだよ、僕あいつにひどいことされてるし、ウィンリィの両親を殺した張本人だ」
「分かってます、だからアルフォンス様には聞けなかったんですっ」
聞きたくて聞けなくて、あえて言う必要がないと思っていた本音を言いつくして応酬がぴたりと止まる。
金色の瞳と黒い瞳がおたがいを見据えたまま動かない。
こみ上げてくる気持ちを吐き出すかのように、メイの喉が小さくこほんと鳴った。
「…確かにスカーさんにはもう一度お会いしたいですしお話もしたいですけど、好きっていうのは全然違います」
口元を押さえた両手を襟元に降ろして握りしめて、メイは震える唇を動かす。
「私は、ずっとアルフォンス様を好きなんです」
2年前に助けられてから、今までずっと、会えない間も、絶えることなく想っていた。
「私が好きなのは、アルフォンス様だけです!!」
もうそれ以上のことは言えないまま口を押さえてうつむいたメイにアルフォンスはゆっくり手を伸ばした。
おそるおそる肩に触れて、はねのけられないのを確認してからそっと背中に滑らせて、腕を回して自分の方に引き寄せる。
半年前に再会した日、もしかして自分のことなんて忘れているかも知れないと不安に思いながら赴いた皇宮で、部屋に走り込んでくるなり自分を見て笑顔になって、迷わず腕の中に飛び込んできてくれたメイに驚きながら心から嬉しく、愛しく思った瞬間を思い出した。
この体が鎧だった時からずっと、シンに来てからも変わら自分に向けられているメイの好意と笑顔がいつのまにか当たり前になりすぎていて、それがどれだけ幸せなことなのか忘れていた。
左腕も背中に回して抱きしめながら覚悟を決める。
「僕も好きだよ」
胸元に伏せられたメイの頭のお団子に額を押し当てて、耳元に告げる。
感情が高ぶりすぎてこみあげた涙がこぼれそうになるのを必死にこらえていたため、されるがままに抱き寄せられていたメイはそれを聞いて思わず顔を上げた。
ずっとそう言われてみたいと願っていたけど、実際に言われるととっさには信じられなくて。
見上げた視線が、こわいくらいに真剣なアルフォンスの瞳とぶつかる。
「メイが好きだ」
少し潤んだ瞳を見つめながら、アルフォンスはもう誤解されないように名前を読んで繰り返した。
夢でも幻でも冗談でもないんだ、と信じたメイはたちまち熱く赤くなる顔を伏せて、照れ隠しにアルフォンスの胸をぽかぽかと拳でたたいた。
その腕を伸ばして彼の首に巻き付けて、つま先立ちでぎゅっとしがみついてうなずく。
「私もです」
さっき言ったばかりだけど、ちゃんと伝えたくてもう一度言葉にする。
「アルフォンス様が好きです」
告げられた言葉を胸の中で繰り返してまちがいないことを確認して、おたがいを抱きしめて痛いくらいに強く抱きしめ返されながら、二人はそのまま息もつけないくらいの幸せにただ身を委ねた。
ふとメイの肩に伏せていた顔を上げたアルフォンスが口を開く。
「ひどいこと言っちゃった」