最果てに咲くスターチス
帝人のひとりごと
僕、竜ヶ峰帝人が池袋のカラーギャング『ダラーズ』の創始者だったからこそ、折原臨也という人と出逢ったのだと思う。
でなければ、天敵の静雄さんとの派手な喧嘩を遠巻きに眺めていただけだろう。すっごいなーあの黒い人、なんてアクション映画でも観ているみたいに。池袋の雑踏ですれ違ったところで、肩をぶつけてすみませんと謝って、たぶんそれっきりだ。ちょっとパソコンに詳しいだけのただの高校生と、裏社会に生きる情報屋。一応平和な現代日本で、この二者のどこに接点があろうか。
僕は泥沼の抗争へと発展しつつあったダラーズを鎮静化させるべく、臨也さんが持つ知識や情報を頼った。臨也さんには彼なりの画策があって、彼はそのために僕に近づいた。彼と僕、両者の利害が一致したからこそ引き合わされたわけだ。結果、僕は臨也さんに体よく利用されて酷い目に遭った。僕の親友やいろんな人が臨也さんの被害者だった。稀代のロクデナシ・折原臨也の本性をある程度知った今も、僕は彼を怖れるでもなく、さりとて憎むでもなく、複雑な気持ちを持て余していた。
臨也さんが僕や親友、その他ありとあらゆる人たちに掛けてきた迷惑の諸事を考えれば、彼は人生最大の敵なのだと認識を改めるべきなんだろう。臨也さんの悪行はどれも正当化できるものではないし、許すつもりもない。でも、それはそれとして、こういう時になんと言おう。――罪を憎んで人を憎まず。ちょっと違うかな。そもそも臨也さんの力を借りようとしたのは僕の判断だったのだから、僕にも責任の一端はある。
彼は強力なジョーカー、それだけではない。『非日常』を欲していた僕にとって、折原臨也という存在は、退屈な日常を変化させるとっておきのスパイスみたいなものだった。だからどうにも、ダラーズの騒動が収束した後もきっぱりと縁を切るのも惜しんで、臨也さんとは知り合いみたいな立場を維持していた。彼を知人と呼ぶにはそっけなすぎる関係。かといって友人ではない、確実に。
臨也さんが自分の利益のために僕を利用したように、僕も自分の『渇望』には逆らえなくて、だから臨也さんへの興味を捨てられない。親友たちへの義理よりも自分の好奇心を満たすことを優先させた、こんな薄情な僕が、どうして臨也さんの罪を咎められる?やっている事は類友もいいとこなのに。
複雑な思慕を一方的に抱いていた僕とは違って、臨也さんが僕という存在をどう捉えていたのかは不明だ。少なくとも、ダラーズ創始者としての影響力なんて有って無いような状態にまで落ちぶれてしまった今の僕が、臨也さんにとって価値がある存在だとは思えない。それでも臨也さんは、街角で出会えば挨拶をしてくれて、立ち話なんかしちゃって、お昼時なら昼食に誘ってくれる程度には、僕をかまってくれている。
――僕自身に興味があるから今でも声をかけてくれる、とは考えないのか、だって?
それは考えたことなかったなあ。臨也さんがそこまで、損得勘定だけで他人と付き合っているとは思っていない――あ、いや、絶対に思ってないとは正直否定しきれないけれど、でも、だって相手は僕だよ?竜ヶ峰帝人だよ?派手なのは名前だけで、平凡を絵に描いたような十八年の人生を歩んできた僕がだよ?人生十六年目にして人生の修羅場に足を踏み入れたなんて例外はあるけど、それ以外は概ね凡庸そのものの僕の、どこに惹かれてくれる要素が備わっているというのか。
対する臨也さんは、派手なのは名前だけじゃない。顔が綺麗でスタイルもよくて、頭がよくて口が達者で。こじらせてしまった中二病だって、あさっての方向に思いっきり振り切れてしまえば、いっそ清々しい。これ貶してるつもりはないよ、念のため。
臨也さんと、僕。接点を無理やり挙げるならば、日本人、男、ええとそれから、後は黒髪、その程度。言っててちょっとだけ虚しくなってきたから自虐ネタはこの辺にしておこうかな。
臨也さんと他愛もない話をしていて、ふと思った。認めてしまえば妙に納得できた。誰にも話したりはしない、誰も聞こえない心の中だからこそ言える。
僕はたぶん、折原臨也という人が好きなんだ。
冷たくて美味しいからアイスクリームが好き、人懐っこさが可愛らしいから子犬が好き、魅力的で面白いから折原臨也が好き、という具合に。食べ物や動物と同列に扱われては、霊長類、生物の頂点に君臨する者としては不愉快かもしれない。けれど扱いがだいたいそんな感じなのだから仕方がない。
その程度で、でも特別枠で別格。
他の誰とも味わえないわくわく感と、精緻な人形相手に語りかけているような僅かの空虚を噛みしめながら、臨也さんと会話を交わし、笑う。やっぱり、楽しい。
だから、突然ケータイにメールが入って臨也さんに呼び出されたとしても、よほどの用事が無い限り僕は応じる。
たった一行『今、あいてる?』なんてメールが届いて、『暇ですよ』と返したら、自動返信でも設定していたのかと思うようなインターバルで『じゃあうちへ来てよ、一緒に夕飯食べよう』という返事が届いたものだから、僕はやっぱり喜び勇んで出かけていったのだった。
*
『突然どうしたんですか』と返事を打ちかけた辺りで、面倒臭くなったのと長くなりそうな予感がしたので、電話に切り替えた。コール音が鳴るか鳴らないかのうちに相手は電話を取った。たぶん、ちょうどケータイを手に持っていたのだろう。
『やあ帝人くん、夕飯まだ?』
ケータイを顎に挟んで固定しながら、ガスの元栓をチェックする。オッケー。窓のカギを閉めて、と。
「ええ、そろそろ何食べようかなって考えてたところでしたから」
『そう。それならちょうどいいや、うちへおいでよ。それでお願いがあるんだけどね、君、何か作ってくれない?』
「えっ」
家のカギを手に取ったところで、ケータイを落っことしかけた。一緒に夕飯を、というなら駅で待ち合わせでもすればいいのに、と引っかかっていたのだが、そういうことか。
「僕、あんまり料理は得意じゃないですから、大したものは作れないですよ?」
『君の家庭科の成績と、日常の食生活状況を知った上でお願いしてるんだけど。そこまで豪勢なメニューは期待しちゃいないよ。むしろ、帝人くんの能力なら普通にお腹を満たせるものは用意してもらえると信じて言ってるんだけどなあ』
皮肉とも褒め言葉ともつかぬ長広舌は聞き流す。プライバシー侵害に関わることも聞こえた気がするが、こちらも不問に付そう。でなきゃ話が進まないし、疲れるだけだから。
「はあ……それじゃ、カレーでいいですか」
普通に作ればまず失敗する事の方が難しいであろう料理を提案してみる。すると、ケータイのスピーカーの向こうから、明るい声が返ってきた。素直な反応が意外だった。
『いいねぇ日本の家庭料理の定番!それじゃあ悪いけど、うちへ来るまでにスーパーで材料を調達してきてくれないかな。もちろん代金は後で返すから、要ると思う材料は全部そろえてね。うちの冷蔵庫、空っぽだから』
「分かりました」
作品名:最果てに咲くスターチス 作家名:美緒