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最果てに咲くスターチス

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 きょとん、と目を丸くしていた臨也さんは、ぷ、と噴き出した。察しが良い人で助かった。一から十まで説明しなきゃならないとしたら僕は、完遂出来る前に悶絶死していたところだ。
「洗面台の下の扉を開けたところにあるから。そうだよね、ファーストキスがカレー味なんて嫌だよねえ」
「だからなんでそういう事を知ってるんですかー!」
 恥ずかしまぎれに睨むと、臨也さんは笑いをこらえながら「ちなみに俺はレモンの味でした。キャンディ舐めてたんだね」と聞いてもいない暴露を投下してくれた。マジですか。
「えっ」
「早く行っておいで」
 ひらひらと手を払われて、僕は逃げ出すようにリビングを出た。

 ことさら時間をかけて歯を磨いた。磨きすぎて血が出てきたところでやめた。すっきりして気持ちいいが、キスのために歯を磨くって、僕はそうとうアレな事をしてるんじゃないか。未経験者丸出し?だってほら、僕にもいろいろ未知なる行為への理想や願望とかがあるわけで、それがカレーの味では許されないわけで。
 リビングに戻ると臨也さんの姿が無かった。彼を探して無駄に広いマンションの部屋を彷徨って、すぐに見つけた。薄暗い間接照明が灯るベッドルームに、臨也さんはいた。ベッドに腰掛けて、カチカチとケータイをいじっていた。
 ケータイのバックライトが下から臨也さんの顔を照らし出す。白い光に、白い肌が照らされて、綺麗な顔は青白くて、なんだかユーレイみたいに見えた。黒い前髪に、伏せた同色の睫毛がまぶたに影を落とす。無表情なのに無機質で、どこか憂いを帯びているように見える。
 じくり、と胸がうずいた。
「臨也、さん」
「ああ、終わったの?長かったねえ」
「いやその、つい……。というか、なんでこんなところに」
 ぱちん、かちり、と折りたたみ式のケータイを開け閉めする音。
「ここへ置きっぱなしにしてたのを忘れててさ。どうせだし電源も切っちゃうか」
「え、いいんですか?情報屋なのに」
 さすがの僕でも、情報という商品は鮮度が命だってのは分かる。裏社会だなんて何かと危ない世界にいるなら特に、すぐに連絡が取れないとこういう自由業者はやっていけないんじゃないのか?
 「いいのいいの」と軽く言って、本当にケータイの電源を落としてぽいと放り出してしまった臨也さんは、人が悪そうに顔をゆがめる。こうして見ると本当に悪人ヅラだなあ。
「帝人くんとのお楽しみの時間を邪魔されちゃ困るしね」
「だから本当にそういう言い方は……!」
 恥ずかしいでしょうが!
「さっきからいやに反抗的だなあ君は。ひょっとして」
 長い脚で弾みをつけて立ち上がって、ひょいひょいと近づいてきた臨也さんは、心外そうに眉をひそめた。
「好奇心でOKサイン出しちゃって、でも今さら土壇場にきてビビってる?」
「あなたは僕を何だと思ってるんですか!」
 自分で言ったのと同じ言葉が口をついて出た。
「だってさ、楽しくて楽しくて仕方ないよ俺は!帝人くんはたぶん気づいていなかったと思うけど、よく君の視線を感じてたんだよ?差し向かいで喋ってる時なんて、何回そのままチューしてやろうかと思ったか!」
「マジですか!!」
 あぶねえぇぇ!公衆の面前でなんてことを!――ざっと一歩引いたらあははと笑われた。なんだろうなまた担がれたのかな僕!
「こっそりでもなんでも、いつかキスしたいと思っていたのは本当だよ。さっき俺が、ファーストキスがレモンでどうの、って言ってた時も帝人くん、イイ顔してたんだから。ちょっともやっとしたでしょ?」
「う……」
 否定はできない。聞き流せなかったのは事実だし。
「俺だけの片想いじゃない、脈がありそうだって分かったら、自信つけちゃうよ」
 僕がつい思わず言ってしまったことは全部、臨也さんに言わされたんだと気づいた。それもただの売り言葉に買い言葉じゃない。本音を、引き出されてしまったのだろう。
 ため息をついて、息と一緒に胸に溜まっていたわだかまりを全部吐き出した。
 今度は僕から距離を詰めて、ぎゅっと抱きついた。あったかい体温が、揺れた。
「帝人くん?」
「僕も好き、でした」
「でした?それって過去形じゃん」
「前から好きだったし、今も、好きですよ」
 このひとが、好きだ。一挙一動に目が惹かれて、カレーを美味しく食べてもらって嬉しくて、抱きしめられてその温度や感触が心地いい。
 することされること、折原臨也という人のずべてが、好きなんだ。
「帝人くん」
 聞いた事のない柔らかな声に呼ばれて顔を上げる。臨也さんの甘く微笑む顔が見えた、と思った瞬間にはもう、唇を塞がれていた。





 臨也さんはキスが巧かった。それはもう気持ちが良くて、骨抜きにされたところへとどめにふぅっと耳に息を吹きかけられて、僕の膝が崩れた。
「ふぁっ?!」
 みっともないとせめて顔を隠そうとしても許されず、「可愛い可愛い」と頬擦りされながらベッドの上に放り出された。受け身を取る暇もなく背中から落ちて、なんとか上半身を起しかけたのに、臨也さんが上から覆いかぶさってきて、またベッドに逆戻りとなった。スプリングが効いているせいか身動きが取れない。
 これから起こることは、本当にネットや雑誌でしか見聞したことしかない、未知の領域だ。溶けた脳みその残りの無事な部分で考え、身を固くしていた僕の頬に口づけて、臨也さんはにやりと笑った。
「最初は恥ずかしいかもしれないけど、キモチヨクしてあげるから安心してよ」
 見上げた顔には陰影が落ちて、怜悧に整った顔を彩っていた。狡猾に笑う臨也さんには熱っぽさも滲んでいて、ぞくりと背筋が震えるほど格好良かった。
 伸びてきた手の人差し指にはシルバーのリング。僕の目線の先にあるものに、臨也さんは「ああ」と手を引いて指輪を抜き取ると、また愛撫を再開した。

 そして僕はまんまと臨也さんに喰われた。彼の宣言通り、僕は経験した事のない快楽に酔って、前後不覚に陥った。理性をすっ飛ばしたせいか、後で思えばすごく恥ずかしいことも口走った記憶があるが、詳しくは思い出したくない。
 でも、これだけははっきりと言える。僕は気持ちよくて、同じように気持ち良くなっているらしい臨也さんを見て、幸せだった。やっぱり臨也さんが好きなんだなあ、としみじみ思いながら、何度目か分からない熱を吐き出した。
 熱い息を飲み込んで、飲み込み切れなかった唾液を舐めとられて、ぽたりと落ちてきたのが彼の汗だと知ったらどうにもこうにも耐えられなくなって、目を開けたら快楽に顔をゆがめているらしい臨也さんが見えて。ぎゅっと抱きついて、締め上げて、呑まれて揺さぶられて弾けて消えて、またくすぶって。
 痛くて気持ち悪かったのは最初だけで、そうなるところを刺激されてしまえば、身体はあっさりと快楽を拾い集め始める。男の生理なんて現金だよなあと思いながら、ゆるゆると限界を迎えた。

「お風呂いかないと、お腹壊すんじゃ……」
「平気だよ。そういうことだけよく知ってるんだから、さすがは現代っ子」
 腕に囲われているのが分かる。ごそごそと身体を動かして目を開けると、サイドボードの上に臨也さんの指輪が鈍く輝いていた。後ろから声が聞こえる。
作品名:最果てに咲くスターチス 作家名:美緒