最果てに咲くスターチス
「変死だからね、そのまま司法解剖に回された。今は大学病院じゃないかな。それで、気になったから所見を見たんだけど、」
どうやって、ていうかそれ情報漏洩じゃないのかなと思ったけど、頷くに留めた。
「死亡推定時刻と、胃の内容物の消化具合とが一致しないんだそうだ。最後におそらくカレーライスを食べたんだろうね」
「……カレー」
僕の作った、カレーを。
「そう。なんでも、どう見ても死亡時刻の後にカレーを食べたとしか思えないんだそうだよ」
「へえ、それは変ですね」
理解した。それで充分だった。
財布を返してもらってお礼を言って、「先生もちゃんと休んで下さいね」なんて惰性のように声をかけて、マンションを出てふらりと池袋の街をさまよい歩いた。公園のベンチに座って、夕陽に染まる噴水を見つめた。
ふと思い出して財布の中を確認する。あっ臨也さんから代金徴収するの忘れた!
財布の中のお金はきっちりスーパーで買い物した分が減っていた。そうか、昨日の出来事は全部夢や妄想なんかじゃなかったんだ。
昨日、僕を呼びだした時点で臨也さんはもうこの世の人ではなかった。それでも、僕と会って最後にご飯を食べて話をするために、自分の家に帰ってきたんだ。そりゃあパソコンやケータイを放りっぱなしにしていても問題ないはずだよ、もう情報屋の仕事をしなくてよかったんだから。
「……っ」
駄目だ、駄目だこれ以上考えちゃいけない、分かっているのに止まらない、昨日の出来事がひとつひとつ頭の中に溢れ返っていく。
「っあ、うあああぁぁぁっ!」
声を上げて振り払おうとしても、幸せな記憶がしがみついてくる。
包まれる体温のあったかさ、甘い声と笑い顔、頭が馬鹿になりそうな気持ちよさ。愛おしいという感情を覚えて一度きりで足りるはずないじゃないか。もっといっぱい、何度だってキスして抱きしめて、まだ全然足りないっていうのに、肝心の臨也さんがいなきゃどうしようもない。
知らなきゃよかったのに!好きだって気づかなければ、ただの知り合いの情報屋さんが死んだ、それだけだったのに。どれだけ自分勝手なんだろうあの人は。勝手に僕を自覚させてやりたい放題やって。特別な存在になったと思ったら、消えてしまったなんてさ。
「っあ、臨也さ、いざやさん……っ!」
でも最後に臨也さんが会いにきてくれたのは他でもない、僕だった。
もっと早くに気づけばよかったのに。たとえ昨日臨也さんが死ぬことが回避できない決定事項だったとしても、それまでずっと一緒にいることだってできたのにね。
二度と手に入らないものは、狂おしいほどにまぶしく輝いて見えた。
ポケットのケータイがメールの新着を知らせる。ポケットから引っ張り出したら、一緒に指輪が転がり落ちた。かがんで拾ったそれは生温くなっていた。
結局岸谷先生にも黙っていた。ずっと臨也さんが付けていた指輪なんだから、警察や家族の人が探しているかもしれないのに。僕は誰にも言えない。
ぎゅっと指輪を握ったまま、ケータイを開いてメールを読んだ。
送信時刻は、ちょうど昨日僕が歯をみがいていたのと同じ頃。そうか、あの時臨也さんがケータイを触っていたのはこのメールを作成していたからなんだな。
最新機種のケータイには送信時間を予約できる機能があるのか、それとも何か不可思議な力が作用したのかは分からない。けれど、それが臨也さんからのメールだってことだけは、確かな事実だった。
「いざや、さん……」
ぼやけた視界の向こう、液晶画面に二行の言葉が浮かんでいた。
――帝人くんに指輪あげる
――だからまだこっち来ないでよね
* * *
作品名:最果てに咲くスターチス 作家名:美緒