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北野ふゆ子
北野ふゆ子
novelistID. 17748
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ファーストコンタクト

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きで、起き上がり刀を奪った本田は鞘から刀身を引き抜く。
(殺られる!?)
 だが目の前の光景は、アルの覚悟を裏切った。本田の両手は抜いた刀を逆手に
持ち替えると、
「!!」
 刃先を自らに向けた。
「やめろっ!!」
 叫ぶより先にアルの体は動いていた。腹部に刀を突き立てようとしていた本田
の腕を掴んだ。
「くっ…!」
 自決を止められ、本田の口から初めて声が漏れた。
「バカか!何やってんだ!」
 渾身の力で刀を押し込もうとする本田の腕を、アルは無我夢中で引く。見かけ
によらず凄まじい本田の腕力と、アルの腕力がせめぎ合う。
「寄越せ!!」
 痺れを切らしたアルが、足で本田の体を押しのけると同時に強く腕を引いて刀
を奪い取った。
「貴様!」
 鋭い声。
 刀を奪い取った、アルの一瞬の安堵が生んだ隙を突くように、本田の右手が間
髪入れずにアルの腰に伸びた。アクセサリーのように装着されていたホルダーか
らアーミーナイフを引き抜き、それを再び逆手に持って今度はその刃先を自らの
首へ―
「Shit!!」
 舌打ちと同時にアルは再び本田に掴みかかる。
「痛っ…!」
 肩から体当たりすると、本田は顔を顰めた。怪我をしているのだ。力が緩んだ
隙に再びアルは本田から武器を奪うことに成功。
「っは……っ」
 本田はよろめきながら後ずさりし、壁に体を預けた。
「はぁ……はぁ……」
「はっ…くっ…はぁ…」
 壁際と、ベッドを挟んで向い側。二人分の息切れが、静かになった室内を横切
る。ドアの向こうから「何があった!」と騒々しい声が近づいてくる。
「な、どうした?!」
「これは…」
 ドアをぶち破るような勢いで入ってきた部下や仲間達。唖然とした声。無理も
ない。整然としていたはずの室内が、ベッドが傾き、シーツが散乱し、刀と鞘が
無造作に床に転がり、アルはアーミーナイフを片手に持ち、眠っていたはずの本
田は壁に背を預け肩で息をしている。傷が開いたか、寝巻きの肩口が赤く染まっ
ていた。追い詰められながらも抵抗する、獰猛な黒い獣のようだ。
「……」
「………」
 誰も言葉を発せず、二人の対峙を見つめる。
「私は…」
 先に言葉を発したのは、本田だった。
「喋らない」
 仄かにクイーンズイングリッシュ訛りが混在した、聞き取りやすい英語。
「何も、喋るつもりはない」
 呟くように搾り出された声なのに、不思議と胸郭に響いてきた。小柄な体と、
学生のような童顔に見合わない、深い声だ。
「如何なる拷問も無意味だ」
「ハッ…だろうな!」
 一瞬、惚けかけていた自分を奮い立たせてアルは声を張った。
「自分の命をゴミ箱に投げ捨てようとすんだからなお前は!」
 アルは苛立っていた。自分でも理由が分からない。
「……?」
 本田は刹那、疑問符を浮かべて子供のように黒目を丸めたが、すぐに伏せて俯
いた。
「……っ…」
 空気が逆流するような吐息の直後、本田が背中を丸めた。
「え…」
 まさか、とアルが目を見開く。本田の足元に、二滴、三滴と紅い雫が落ちたの
だ。
「―おい!」
 駆け寄ると同時に本田の体が前方に傾ぐ。
「舌を噛んだのか!」
 小柄な体を受け止める。ツン、と錆の匂いがした。
「この野郎…!」
 罵詈を口走る暇も惜しい。アルは抱き止めた本田の首に腕を回し、指を口内に
突っ込んだ。
「ぐっ…」
「ふざけんな!!口、開け、ろ…っ!」
 苦痛を押して尚も抵抗する本田の口を開かせようと、アルは背後から本田の体
ごと抱え込んだ。
「タオル!」
 部下が慌てて差し出したタオルを引っ手繰り、こじ開けた隙間から口内に押し
込む。だがすぐに吐き出されてしまう。埒のあかないやり取りの連続。
「何で…何でだ!」
 苛立ちが頂点を通り越したアルの口から出たのは、疑問。
 Why?
「何でだよ!」
 何故、を繰り返すうち、苛立ちは哀しみに変わっていった。
 タオルを押し込む事を諦めたアルの手が、本田の体を後ろから抱きしめる。
「!?」
 本田の口に突っ込まれていたタオルが、床に落ちる。血で紅く濡れていた。
「何で死ななきゃならないんだ!」

 こんなに、綺麗なのに

「…え…?」
 理解できず、本田は思わず疑問をこぼす。ようやく動く首を辛うじて背後に向
けると、鮮やかな金髪が鼻先をくすぐった。
「な、にを…」
 動かない。一回り体格の良いアメリカ人の両腕が、まるで拘束具のように本田
の体を絡め縛める。
「……」
 その両腕が次第に震え始めたのを感じて、本田は抵抗を止めた。
「死ぬな…」
「……」
「死ぬなよ…」
「……」
「死んじゃだめなんだぞ…」
「………」
 私は、―
 何か言いかけた本田の言葉はそれきり途切れ、アルの腕の中で再び意識を放り
出した。


 自決は命を捨てることではなく、捧げること。
 本田はそう言った。
「理解できないぞ…」
 憮然と口元を曲げて、アルは呟いた。
「我々、日本人にとっては、古い時代からの美学なんです」
 ベッドから体を起こした本田は、静かに応える。二度目に目を覚ました本田は
、落ち着きを取り戻していた。自決をしようとしていた時の、獰猛な獣のような
瞳とは別人のように、穏やかで、静謐で、そして、儚い。
(どっちが本当のキクなんだ…)
 あまり表情を変えず淡々と話す本田の横顔を、アルはずっと見つめていた。
「愚かだとお思いでしょうが…」
 ふわりと、本田が笑う。それが、花弁が開く花のようで。
「菊…」
「は、はい?」
 うわごとのように呟いたアルの言葉に、本田は反射的に背筋を伸ばした。
「あ、いや、違うぞ。花の方の菊だ」
「ああ」
 アルの言い訳に、また本田はふわりと笑う。
「日本の国花です」
「シンボリックな花だと聞いたぞ」
 思わず見惚れそうになる。
「ええ。英吉利や仏蘭西の薔薇のように華やかではありませんが、こう、ふわっ
としていて」
 言いながら、本田は両手で花をかたどる。その仕草がなんだか子供のようで。
「菊も控えめながら、綺麗ですよ」
「キクのようにか?」
「え………」
 アルは人差し指を本田に向ける。今のは、花の事ではなく。
「え…いや、だって……」
 突然、本田の顔が紅く染まる。リトマス試験紙のような反応だ。
「ぶっ…」
 思わずアルは吹き出した。くくっ、と肩が揺れて、ベッドの傍らに置いたパイ
プ椅子がカタカタと音を立てる。本田は片手で口元を押さえて俯いてしまってい
た。恥らう少女のように。
「……死ぬなんて、もう考えるなよ」
 アルの面持ちから、緞帳のように笑みが落ちる。最初に対峙した時のような、
真剣な眼差しを本田の双眸へ真っ直ぐ近づけた。
「命を捧げるって言うなら、俺にしろ」
「―は」
 本田の黒い目が丸くなる。底が無い闇のような、黒い瞳。それも綺麗だと、ア
ルは思った。
「捕虜に選択権は無いんだからな」
「……」
 捕虜。その言葉が二人を現実に引き戻す。今は戦争の只中で、ここは戦場の一
画、そして二人は相対する敵同士で、―
「そんで、俺の命は」
 伏せられかけた本田の瞳の前に、アルは背後に立てかけてあった刀を突き出し
た。
「お前にやる」
「な、何……?」
「お前に断る権利は無いんだぞ」