妖鬼譚
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薄暗くひんやりとした空気の流れる蔵の高い天井近くまである棚に整然と並べられた書は皆、今迄過ごしてきた時によって酷く劣化している。
此処は財前家の書庫の中でも、特に古い物が納められている場所だ。その書架の間を備え付けの梯子を使って昇り降りしながら、彷徨っているのは、若くして一族随一の知恵を誇る金色家次期当主。
「確かこの辺りにも一冊あったと思うんやけど……」
と、呟く小春は、友人である謙也が襲われ続けている原因を探るべく、過去に連続して鬼門に襲われた者に関する記録を探していたのである。
「これやったかしら……?」
と、手に取ったのは、元は紅緋色をしていただろう表紙が風化して砂色に変色していて、今にも壊れてしまいそうな帳面。
それを丁重に頁を捲ってみたが、そこには探していた情報は載っている気配はいなかった。
「あぁん、もうこれも外れやわぁ……」
目的の情報が見つからず溜息を零す小春は、今のケンヤ君の件が一段落したら、ユウ君を誘ってこの場所を徹底的に整理しよう、と決意を固める。
「でも、これ、随分面白そうやないの」
と、その帳面の開かれた頁を流し見た小春は、随分と興味をそそられたらしく、そんな事を呟く。
彼の手にしている書物は、鬼門との戦いで使われた呪具に関する物の記録帳の様だった。
此処には、様々な呪具の解説が載っていたのだが、それらを作成していた一族は既に断絶してしまっており、この世に現存しない物も幾つもあった。それらの存在と解説は、小春の知的好奇心を疼かせて仕方が無い。
「……これは光の刀やと思うけど……この『鬼殺石』ってのは聞いた事ないわね」
――折角なので、夜寝る前にでも読み解こう。
そう決めて、その帳面を脇に抱えると、小春は再び鬼門の記録を求めて書庫を彷徨うのだった。
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一見すると見過ごしてしまう様な細い路地の奥に建つ、薄汚れた雑居ビル。
何の変哲も無い筈のそのビルの地下に千歳の姿はあった。錆びで文字が読めなくなっている看板が下がっている汚れて黒ずんだ扉からは、人を寄せ付けないような雰囲気が漂っていた。
だが、千歳は何の躊躇いも無く、同じく錆び付いた取っ手に手を掛けて、扉を開ける。すると、中にはまるで物置の様に多くの棚が部屋を圧迫する様に立ち並んでいた。
その棚一つ一つには、それぞれぎっしりと古びていて触れるだけで崩れ落ちそうな本や剥がれかけた荷札の付いた段ボール箱、例えようの無い形状をした置物といった用途が不明な様々な物が雑多に詰め込まれていた。
千歳は、自分の大きな身体をその棚の細い隙間へと滑り込ませると、扉を閉める。そして迷いも無く、その棚の間を抜けて、部屋の一番奥まで脚を踏み入れた。
そこには大きなアンティーク調の机があり、その上には、年季の入った万年筆や七色に輝く鉱石、大きな鳥の羽根、和綴じの書物、化石の様な奇妙な石、傷だらけの単眼鏡、羊皮紙の巻物、インク壷、札らしき文様の描かれた紙束、不可思議な形の模型、布切れ……棚と同じく雑多な物が広がっていた。
そこで小さな丸い椅子に腰掛けて、波の様に変わった形にうねった刃のナイフで鉛筆を削っている金の短髪の青年こそが、千歳が此処に来た目的だった。
「桔平」
千歳に自分の名を呼ばれ、青年―千歳の長年の親友である橘桔平は顔を上げた。
「久し振りたいね、桔平」
「千歳か、珍しいな、お前が此処に来るなんて」
そう言って、橘は机の上に持っていた小刀を折り畳んで置くと、歓迎するように片手を挙げてみせた。
彼が言う通り、気ままな風来坊である千歳がこの自分の『仕事場』に来るというのは、本当に珍しい事だった。
そんな友人が狭い部屋の中に身を縮めるようにして立っている見慣れない姿が可笑しいのか、橘はつい笑みを零してしまう。千歳にはその笑いの理由が分からず首を傾げたが、尚も橘は笑ったままだった。
「それで、わざわざこんな埃臭い穴倉に来た理由は何たい、千歳?」
「今日は桔平に『仕事』を頼みに来たとよ」
その千歳の言葉と真剣な顔付きに気付いた橘は、今迄浮かべていた笑みを消すと表情を引き締めた。