妖鬼譚
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鬼狩一族の宗主たる財前家の広大な屋敷の中のとある一室。
奥まったその部屋の中央に敷かれた布団の中で、苦悶の表情を浮かべて昏々と眠り続けているのは、光によってこの家へと連れて来られた謙也。
その謙也は、自宅で糸が切れる様に意識を失って以降、一度も目を覚ます事が無いままだった。
その脇に胡坐を掻いて一見無関心そうで見えるが、その実に普段の彼を知る者からは信じられない程に浮かない表情で謙也の顔を見守っていたのは、布団の用意から服の着替え等迄を全て自分の手で行った光。
中々意識を取り戻そうとしない謙也の額に乗せている湿った手拭を交換しようと、頭へと手を伸ばそうとした、丁度その時だった。
「うわぁぁぁぁぁっ!!」
「謙也さん!?」
恐怖に顔を歪めて飛び起きた謙也は、目に飛び込んで来た見慣れぬ天井と部屋とに、此処は何処だ、と一瞬今迄見ていた夢を忘れた様に首を傾げる。だが、しかし。
「謙也さん、大丈夫ですか?」
「財前……ッ!!」
と、彼の顔を観た瞬間、気を失うまでの全ての出来事の記憶を取り戻し、虚ろな笑みを浮かべて見せた。
「俺の家族が殺されたんは……夢、や無いんやな」
アハハ、と声を上げて笑うその余りに彼らしくない笑顔に、光の顔が更に曇る。
「なあ、此処、何処なん?」
「俺の家です。謙也さん、いきなり気絶してしもて、あのままあの場所に寝かせとくんはマズい思って、勝手に連れて来ました」
「そうか……おおきに」
「……今のアンタに酷な事を聞くようで申し訳ないんですけど、謙也さん、アンタ、自分の家を滅茶苦茶にした犯人の姿、見たんですね?」
『殺した』という直接的な表現を避けて訊ねてくる光に対し、謙也は一瞬沈黙した後、躊躇いつつ言葉を紡ぎ出す。
「なあ、俺、最近ずっと同じ夢、観てんねん」
自分の聞きたい事と全く違う話をしてくる謙也だったが、特に文句も言わずに耳を傾ける事にする光。
「夢って、この前電話して来はったのとはちゃう夢ですか?」
「おん……ある『誰か』を探しとる夢なんやけどな、そん『誰か』を見つけた瞬間に必ず目が覚めてしもてん。で、そん『誰か』は俺にとってめっちゃ大切な奴で、向こうも俺をめっちゃ大切にしとるってのが伝わって来てんねん。でも、顔とか全く覚えてへんかったんや」
と、そこで言葉を一度区切った謙也は、大きく息を吸い込んでから、流れる様に言葉を続けた。
「でもな、やっとその『誰か』がはっきり分かった。俺をずっと呼び続けとったんは、白石蔵ノ介やった」
「白石、蔵ノ介?」
何処かで聞いた事がある、と、光は自分の記憶の中を軽く探ってみたが、答えは見つからない。
なので、取り敢えずその名を記憶に刻むだけに留めておく事にする。
「俺の目の前に現れた白石は、俺ん事愛しとる、迎えに来たから帰ろう言うてん。でもな、その白石がな、その為に邪魔やからって、俺の家族を……こ、ころし、殺したんやぁッ!!」
まるで内臓を引き擦り出されたかの様に苦しげな顔と声とで、謙也は白石との間のやり取りを告げた。
そんな苦悶の表情を見せるのは、相手が憎いからという理由だけでは説明が付けられない気がしたのだが、これ以上謙也に必要の無い苦しみを与えるのを良しとしない光は、もういいと頭を振ってみせた。
それを見た謙也は『ゴメン、疲れたからまたちょっとだけ寝かせてや』と謝罪すると、そのまま崩れる様に意識を失ってしまった。
再び深い眠りに落ちた謙也を労わる様に寝かせた光は、掛け布団を掛けてやると、音を立てずに部屋を出る。そしてある離れの方へと足を運んだ。
そこでは何時ぞやと同じ様に小春が何冊もの古書を捲っていたのだが、光が来た事に気付くと、手を止めて彼を迎え入れると、謙也の体調について質問をして来た。
が、それを無視する様に光は何の前置きも無しに自分の疑問をぶつけた。
「小春先輩、『白石蔵ノ介』って名前、覚え在りますか?」
「そんな怖い顔して来たと思ったら……光、それ、"酒呑童子"の名前やないの。それがどうかしたん?」
不思議そうな顔をする小春の口から出た言葉に、光は瞠目する。
"酒呑童子"――それは、今より遥か昔の平安の世に於いて、怜悧な頭脳と天人の様な美貌を利用し、数多くの人々を誑かし喰らっていた最強最悪の鬼門の事であった。
過去、鬼狩一族が当時の当主を始めとした多くの犠牲を払いつつも何とか封印した筈の鬼門の名をいきなり告げられ、全身の血の気が引くのを感じた光だが、それと同時に今自分が何を知るべきなのかをはっきりと悟った。
「小春先輩。取り敢えず鬼門に同一人物が襲われる事例の調査、中断してもろてええですか?」
「えっ?」
「その代わりにその゙酒呑童子゙に執着しとる存在が居ったかどうか、急いで且つ徹底的に調べて欲しいんですわ」
「……それ、ケンヤ君の事に関係あるのね?」
確かめる様に疑問を投げられ、光はゆっくりと頭を一つ縦に振る。
「恐らくっすけど、それが謙也さんの家族が殺された理由……そして、謙也さんが鬼門に狙われ続けとる理由やないかと思うんです」
「分かったわ、それやったら出来るだけ急いで結果を出すわ」
「助かります」
そう言って深々と頭を下げる光に、まあ、と小さく声を上げる小春。
気位の高い光がその様な態度を見せた事が珍しかったと同時に、彼がどれだけ謙也の事を案じているかを、そこから痛い程に感じ取ったからだ。
なので、小春は『任せて』と、言わんばかりに目配せを一つしてみせたのだった。
>>中篇へ続く