妖鬼譚
玖章 覚醒 前篇
広大な敷地を誇る財前家の中でも、最奥の場所に在る質素な造りの離れ。
普段は一族の精神修養等の為に使われているその庵には、珍しい事に幾つかの蒲団が敷かれていた。
その上に寝かされている―否、横たえられていたのは、漸く鬼狩一族の者による死因やその殺害方法の特定等を目的とした検分を終え、衛生保全処理等も完了した忍足家の者の亡骸だった。
死化粧を施されたその姿は、傍目からは三人と一匹は穏やかに眠っているようにしか見えない。
その永久の眠りについている者達の脇に座り込んで膝に顔を埋めているのは、今や身寄りが完全に無くなってしまった謙也だった。
明日からは葬儀等で忙しくなってしまうだろうから、せめて最後のこの別れの時間は静かに過ごさせてやりたい、とこの奥まった場所に家族のみでいられるようにと、光が色々と取り計らった結果、今この場所にいるのは、謙也達忍足家の者のみだった。
物言わぬ家族の横に座って、唯一取り残されてしまった謙也がひたすら考え続けていたのは、懐かしい家族との思い出ではなく、先刻告げられた余りにも衝撃的な自身の正体についてだった。
―俺は、自分の命を狙ってきた化物と同じなんか…?
―そんなん信じられへんけど、それやったら、あそこに書かれとった名前は何なんや……でも、あんなん、偶然の一致や!!
―それに白石……アイツだけは許せへん。絶対アイツと関わりあったなんて信じたない!!信じてたまるか!!!!
そんな幾ら考えても答えが見えない様な事を延々と考えていると、静かな音を立てて襖が開いて誰かが入ってくる気配を感じる。
「謙也さん」
自分の名を呼び掛けられ、顔を上げるとそこには、黒髪の後輩が静かに佇んでいた。
普段と違う覇気の無い瞳を向けられて、一瞬哀しげな顔を見せた光だったが、すぐに表情を改めるとその場に座って深々と頭を下げる。
「……お悔やみ、申し上げます」
「ありがとな、財前。おとんやおかんや翔太だけやなくて、ペット迄わざわざ此処に連れて来て色々してくれたみたいで」
「そんなん……」
『別に大した事やないです』と続けようとした光だったが、それでは駄目やと思い、別の思った事を口にした。
「イグアナやって、アンタの立派な家族やないですか。死者に礼を尽くすんは当然っすわ」
「そ、やな……」
と、光に向き直った謙也は、姿勢を直して正座をすると、両手を畳に付いて頭を地に付ける様に下げて、感謝の意を示してみせた。
「ホンマに有難う、財前」
「そない畏まって礼なんて言わんで下さいよ、謙也さんの癖にキモいやないですか」
「『キモい』とは何やねん、阿呆!!」
と、光の言葉に顔を上げて、文句を言う謙也。
そこに浮かぶのは普段の表情からはまだ程遠い物だったが、先程自分に向けられた虚ろな瞳では無くなっており、光は何処か安堵したような気持ちになる。
それを見て、凹んでいる自分を慰めようとわざとそんな事を言ってくれた事に気付いた謙也は、ハッとなったが、更に礼を言うとまた何か言われてしまうと思い、代わりに全く別の事を口にする。
「なあ、財前。一個、聞いてもえぇか?」
「俺に答えられる事なら何でも」
そう光が言うと、謙也は言うべき言葉を捜すように何度も口を開きかけては閉じるという事を繰り返す。
光はそんな謙也の煮え切らない態度に対して、ただ只管にじっと黙って彼が言わんとする疑問を待った。
そして、長い長い沈黙の後に投げ掛けられたのは、一つの言葉。