妖鬼譚
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光が真っ直ぐに走って向かった先は、今現在、住人が誰一人として居ない筈の忍足邸だった。
何故か分からないが、彼は絶対に其処に居る。
そんな確信を抱いていた光は、一筋の迷いも無く宵闇の中に浮かぶ無人の家の扉を開けると、靴を脱ぐ時間も惜しいのか、土足のまま一階を駆け抜けて階段を上がり、突き当たりの奥の部屋のドアを乱暴に開け放った。
暗い部屋の片隅に小さく蹲っていた『何か』は、けたたましい音を立てて開いた扉に、ビクリと肩を跳ね上げる。その姿を光は無論見逃しはしなかった。
「……やっぱり此処に居ったんですね」
自分の部屋に隠れていた『何か』―否、逃げ出した筈の謙也は、溜息を零す光の姿を顔を上げて呆然と見上げた。
「な…んで、お前が、此処に……?」
「俺の前から、鬼門が逃げられると思っとるんですか?」
そう言って鋭い視線を向けると共に背中から刀を抜き放つ光に観念したのか、謙也は立ち上がると全てを諦めたかのように何処か虚ろな笑いを浮かべてみせた。
「そう、やったな……お前が鬼門を逃がす筈、ないもんな。えぇわ、俺の事、一思いにバッサリ斬ってや」
そう言って、謙也は全身の筋肉をだらりと弛緩させると、目を閉じて光がその刀で自分の身体を両断するのを待つ。
だが、鋭い刃の代わりに、何かが思い切りぶつかったような衝撃が謙也を襲い、その勢いのままに尻をしたたかに床に打ってしまう。
え、と思い、目蓋を上げると、自分の身体は一回り小柄な光によって力強く抱き締められていた。
「財、前……?」
「前にも言うた筈です。アンタの正体なんて関係無い、俺は『忍足謙也』を何が在ろうとも、必ず護り続けるって!!俺を信じてくれって!!その俺がアンタを殺すなんて、敵になるなんて、そないな事あるわけ無いやないですかッ!!」
そう叫んで、謙也の胸に乱暴に顔を埋めると、堰を切った様に号泣する光。
「ごめん……ごめんな、財前……お前の事、信じ切れへんでごめん、ホンマにごめんなァ……」
と、謙也もまた光を強く抱き締めるとワンワンと大声を張り上げて涙を流した。
そんな風にまるで幼子の様に泣いていた二人だったが、やがて泣き疲れたのか自然と泣き止むと、無言で互いを慰撫する様に強く抱き締め合う。
月明かりが外から部屋の中を照らす中、相手の身体の熱を感じていた二人だったが、やがて謙也がその静寂を破るようにポツリと呟いた。
「俺、人間に戻りたい……」
「謙也さん……」
「過去に俺が何やったとしても、今の俺はそんなんとは関係ない。俺は鬼門になんかなりたない、財前の、小春やユウジの敵になんかなりたない……」
そう言った謙也は、自分が光達と争う姿を想像してしまったのか、苦しげな表情で頭を抱える。
だが、嫌々というかの様に頭を振りながら再び泣き出してしまいそうな謙也の両肩に手を置いた光は、真っ直ぐに謙也の顔を見つめると、キッパリとその未来を否定してみせる。
「アンタは俺達の敵なんかになりません。謙也さんが人間に戻る方法は絶対にある筈です。無いなら俺が必ずその方法を探し出します」
「財前……」
「せやから、俺の家、戻りましょう。先輩らもアンタの家族も、いきなりアンタが居なくなったからめっちゃ心配してはりますよ」
「でも、俺は鬼門や……」
「大丈夫です。誰も謙也さんを拒否する訳無いやないですか。それに、ウチの奴らに何と言われても、アンタは俺が護ります」
と、光は再び零れ落ちていた涙を拭う謙也の手を取ると、まるで中世の騎士が主に誓いを立てるように、その手の甲へと唇を落とす。
「ざ、財前!?」
「好きです、謙也さん、愛してます。俺は、アンタを一生あらゆる物から護ります。せやからアンタはずっと、俺に護られて下さい」
真剣な眼差しをした光の情熱な告白に驚いた謙也は、頬だけではなく顔全体を赤く染めて、パチパチと何度も瞬きを繰り替えす。
そんな子供の様な仕草をした謙也の姿に光は一瞬頬を緩めた後、再び真剣な表情になると、謙也に向けて答えを求める。
「謙也さん、返事、聞かせて下さい」
「お、俺は……」
「あかんでぇ、謙也、俺以外の奴にそないに甘えた顔見せるなんて」
と、その空気を壊すかの様に外から窓を破って現れたのは、先刻謙也に拒絶を受けた事で錯乱し、仲間に連れ帰られた筈の美貌の鬼門だった。