愛など囁けぬ唇
愛してる、なんて
報われないと知っているから、期待することも捨てた。
部屋に付いて即、帝人を風呂に押し込む。遠慮がちな少年には無理矢理がちょうどいいのだ。着替え用で静雄のシャツとスラックスをタンスから取り出したが、少年には大き すぎるかもしれないと一寸迷う。けれどあの濡れた服を着せるよりはマシだとバスタオルと一緒に置いた。
静雄が部屋着に着替え、ソファに座ってテレビを流し見しながら休んでいると、裸足で廊下を歩く音が聞こえた。ああ上がったのかとリビングに通じるドア を見た瞬間、静雄は銜えていた煙草を落としそうになった。
「あの、シャツ、ありがとうございます。・・・でも、ちょっとズボンが大きくて、」
どうしてもずり落ちてしまうので、と何故かひどく申し訳なさげに言われ、静雄は我に返った。
裾から覗く肉のない、すらりとした二本の足。これはいわゆる、彼シャツというやつか。いやいや違うだろ何考えてんだ 俺。
思わず心の内で一人ボケ突っ込みをする静雄を、大きな眸が不思議そうに見つめた。
「静雄さん?」
「ななななんでもねぇ!」
「・・・はあ」
「・・・・・あー、お前のシャツとズボンは今洗濯機にかけててよ。わりィが、乾燥が終わるまでは、その」
言いにくそうにする静雄に、帝人は「着替えを貸してくださるだけでもありがたいです」と控えめに笑った。
「すみません。お手数お掛けして」
「いやこのくらいどうってことねぇよ。それよりちゃんと温まったか?」
「はい」
「そうか」
暫しの沈黙。よくわからない緊張感が漂い、静雄は耐えきれず「飲むもん用意する」とソファから立ち上がる。恐縮する帝人をソファに座るよう言いつけ、冷蔵 庫がある台所へと入った。しかし、紅茶とか珈琲とか気の利いたものが静雄の家にあるわけもなく、自身が昔からの習慣で飲み続けている牛乳を取り出し、とり あえずホットミルクでも作るかと鍋を手に取った。雨で冷えた身体にはちょうどいいだろう。
静雄がカップ二つを携え戻ると、帝人はソファではなく、リビングとベランダを遮る大きな窓の傍で、床に座り外を眺めていた。
大きなシャツに包まれた小さな身体。どこからどうみても頼りない、大人になりきれてないそんな身体を傷だらけにして、少年が護りたいものは何なのか。知 り合い程度の間柄でしかない静雄にはわからなかった。その事実が歯痒く、そして無意識な苛立ちを生み、静雄は強めに少年の名を呼んだ。
ふわりと振り返った蒼い眸が淡く輝いたような気がした。
帝人は静雄が持っているカップに気付き、「すみません」と慌ててソファへと足を運ぶ。
「何か、珍しいもんでもあったのか」
「え?・・・・・いえ、ただ雨止まないなぁって思って」
カップを受け取った帝人に、静雄は先ほどおざなりに見ていた天気予報を思い出す。確か今夜の雨は明け方まで続くと言っていた。美味しそうに飲む横顔を見る。こんな雨の中帰すほど、静雄はこの少年をどうでもいい位置には置いていなかった。
「泊まってくか?」
「へ?」
「どうせ学生は明日休みだろ。せっかく温まったってのに、また雨の中歩いて冷やすわけにはいかないからな」
「え、でも、悪いです。お風呂までお借りして、泊まるだなんて」
「寝るだけだし、悪いことじゃねぇだろ」
「御迷惑に」
「ああもううるせぇな。ガキなんだから大人の言うことに甘えりゃいいんだよ」
短い髪をくしゃりと撫ぜる。静雄の掌の隙間から大きな眸が困惑に揺れて見上げてきた。雄弁な眸なのに、どうしてこうも頑なに拒絶するのか。最近のガキはもっと図々しくて礼儀がなっていないと思っていたけれど、この少年はどこまでも正反対で、戸惑いを覚える一方で、歯痒い気持ちにさせる。
(俺じゃお前の支えになれないのか)
浮かんだ言葉を口の中で噛み砕いた。ただの知り合いの自分が何を言えるというのだろう。(しかし静雄はこの先問い詰めておけばよかったと後悔することとなるのだが、今の静雄がそれを知る由もない)
「泊まってけ。俺も明日は非番だから、気にすることじゃねぇよ」
「・・・・・はい」
甘いはずのホットミルクがなぜか苦く感じた。