愛など囁けぬ唇
笑う顔をみるたびに、少年が以前はどんな顔で笑っていたか、思い出せなくなっていた。
傷の手当てをするぞと言われ、帝人は静雄の目の前に座る。中身が揃えられた救急箱に、すごいですねと言えば、「俺もよく怪我すっからな、弟から押し付けられた」と少しだけ照れ臭そうに静雄は言った。(弟さんが、いるんだ)だから年下の自分に、世話を焼くのかな。帝人の顔を覆えるほど大きく広い掌が、存外優しく傷口に触れ、丁寧に手当てをしてくれる。(池袋最強のひとに手当てしてもらえるなんて、すごい)できたばかりの傷にガーゼを貼り、「よし」と声がして掌が離れていった。
「他にはねぇのか」
「・・・・はい、大丈夫です」
本当は一番背中の痣がひどかったのだが(風呂場で確認した時は思わず「げっ」と零したほど)、そこまで静雄の手を煩わせるわけにもいかないと帝人は首を振った。
「・・・・・・へぇ」
「――――ッたぁ・・・っ」
かわす間も無く、後ろに回った手に背中の痣付近をぐっと押されて、帝人は思わず悲鳴を上げた。痛みに悶絶する帝人を静雄は「やっぱりな」と苦々しく言った。
「歩き方が妙だと思ったんだよ。言っとくけどな、今更隠されても逆に迷惑なんだぞ。うら、背中を見せろ」
歩き方ってそんなとか、よく気付きましたねとか、色々言いたいことがあったが、痛みに全部打ち消される。
「だからって、押すことないじゃないですか・・・・」
「身体に聞いたほうが早ぇからな」
早くしろと言われ、帝人は渋々背中を向ける。捲くりあげるよりは脱いだ方がいいだろうと、帝人はシャツのボタンを開け、肩から滑り落とした。すると、ぐっと息を呑むような音が聞こえた。暫くして、「お前、これ放置するつもりだったのか」と低い低い声が落とされる。
「いえ、後で家に帰ってから湿布でも貼ろうと」
「自分でか。・・・・くそっ、こうゆうのこそ見せろってんだ」
白い背中に浮き出た青黒い痣。未完成な身体と色が酷く不釣り合いで、怪我に慣れているはずの静雄は眩暈を覚えた。そして何事も無く隠そうとしていた少年に苛立ちと焦燥を募らせる。
「骨まではいってねぇんだな」
「痛みはありますが、そこまでではないと思います」
「・・・・・明日、朝一で新羅んとこ行くぞ」
そう言うと帝人は慌てて顔だけ振り返り、そこまでするほどじゃないですと言ったが、静雄はもう帝人の言葉を信用しなかった。無理矢理明日の予定を組みながら、白い背中に湿布を貼る。ひやりとした感触に帝人の肌が一瞬粟立つ。一枚ではおいつかないので、二枚貼り、終わったぞと声を掛ける。はあっと息を吐いて、帝人はシャツを着直した。その背中を静雄はじっと見つめていた。
時刻はもう22時を過ぎていた。いつもだったらPCの前でチャットをしているか、携帯を玩んでいる時間で、まだ眠るのには早い時間だが、自分が思っているより疲労している身体は眠りを欲していた。
瞬きを繰り返す帝人に気付いたのか、静雄が「もう寝るか」と声を掛けた。半分眠りの淵を漂っていた帝人は、頷き一つを返す。
静雄が立つ気配がしたと思ったら、ふわりと身体が浮いた。眠気が吹っ飛んだ。
「ししし静雄さん!?」
「ああ?ねみぃんだろ。大人しくしとけ」
痣のある背中を上手くかわして片腕で帝人を抱き上げる。まるで親が幼子を抱っこするような態勢。静雄さんって力持ちですねと一瞬逃避しかけた。
「あの自分で歩けますから!」
「うるせぇ。黙って運ばれとけ」
帝人の抵抗など静雄には風がそよぐ程度でしかなく、結局寝室まで運ばれてしまった。
家主のサイズに合わせているせいか縦にも横にも大きいベットに存外優しく降ろされる。枕使うかと言われ、「無くても平気です」と帝人が応えると「じゃあ使え」と渡された。意外と静雄さんは人の話を聞かない人だ。
「ベット広いから、二人で寝ても大丈夫だろ。お前ちっちぇし」
「・・・・静雄さんに比べたら、そりゃ小さいですけども」
手渡された枕を抱きしめながら、じとりと睨むと、「お前それは反則だろ」と言われた。何がと首を傾げる帝人を静雄は「いいからもう寝ろ」とベットの中へと引っぱり込んだ。
「・・・・・静雄さん」
「ん?」
「・・・・・・いえ、何でも、ないです。―――おやすみなさい」