Last Scenes
修学旅行に際して、クラスメイト4~6名で自由にグループを作ってくれ、というのは表向きの話で、実際に臨也たちに選択の余地はなかった。たち、というのは、臨也の他に変人が際だっている新羅、喧嘩人形と名高い静雄、そしてこの華々しい面子の纏め役にして唯一の良心、保護者の呼び声も高い門田である。この4人には当然他の誰も声を掛けられず、結果として余り者が身を寄せ合う形でまとまるよりなかった。
以前ならいざしらず、このシーケンスでは臨也と静雄の仲もけして悪くはないので、余り者グループと言えどこの4人の収まりはけして悪くはない。ほのぼのとした観光地探索など縁遠いと思われている4人だが、そこは皆の保護者こと門田がなんとかまとめてくれた。
多少問題となったのは、宿泊施設での部屋割だった。ホテルでは一部屋2~3名で一室が与えられる。4人グループである余り者グループの割り当ては2名ずつの二部屋だった。そうすると、まるでそれが世界の摂理であるかのように、臨也と静雄が同室となった。半分程度は教師陣の思惑である。
門田と新羅は、一般の生徒とは一線を画するが、それほど問題を起こす生徒ではない。問題の先陣を切るのは、やはり静雄と臨也である。幸いに何故か仲の良い二人を同室にしておけば、教師陣が目を光らせなくてはならない部屋が一つで済む。そんな教師の思惑に、メンバーの誰も意義を唱えなかった。臨也だけが、まさか周囲の理解のもとで静雄と同室で睡眠を取る日が来るとは思わなかった、と当惑したものだ。
しかし、このシーケンスの臨也と静雄の関係で、たかだか数泊同室で過ごすことに何の問題もあるはずもない。問題があったのは、臨也の内面だけだ。何せ静雄は、当然だが夜になると部屋では薄手の半そでのシャツ一枚とジャージ、といういかにもラフな格好で部屋のベッドに縦に長い身体を投げ出している。静雄としてみれば、それで非難されるいわれはまったくないのだろうが、臨也にとっては色々と思うところがあった。
あるときはその身体の深いところにも触れたことがある。また、あるときは一度もその肌に触れずに終わったこともある。目の離せない身体のラインを薄いシャツのみに覆わせて、臨也の前だというのに静雄はそれなりに楽しげだった。
「臨也、俺明日ここに行きてえんだけど」
「どこ?」
「ん」
ベッドに身体を投げ出したまま、静雄は手にしていたパンフレットを臨也に示した。覗き込んでみると、総合格闘競技道場のチラシである。放って置けばそれなりに穏やかな性質のくせに、妙に戦闘好きな男である。
「ってこれ、伏見じゃない。無理だよ、明日はドタチンの計画通り嵐山見学だって」
「門田説得してなんとか行けねえかな…」
上半身を起こし、静雄は腕組をして考えている。
「鳥頭のシズちゃんに説得なんて無理に決まってるでしょ」
「うっせえな、そう呼ぶな」
自然に静雄の隣りに座ってわざと怒らせるようなことを言うと、静雄は目を吊り上げたが、距離の近い臨也を咎めるようなことはしなかった。
ただし、新羅に対するように簡単に軽い暴力を振るったりはしない。臨也は気付いていた。このシーケンスの静雄は、臨也に対して嫌悪を持ったりはしていないが、代わりにあまりに臨也に触れることもしない。この距離が、妙に焦燥を掻き立てる。
だがそれでも、隣りで今までのシーケンスでは臨也に見せることのなかった自然で穏やかな笑みを浮かべて楽しそうに好きな格闘家の話を始める静雄を見ているために、臨也はその焦燥を胸の奥に隠した。
普段は物静かな性質である静雄は、ひとしきり話して疲れたのか、欠伸をして、隣りにいる臨也を無視して仰向けに寝転んだかと思うと、やがてすぐに寝息を立て始めた。
「…のび太君でも眠るまでもう少し時間かかるだろ」
寝入りのよさに感心したのも一瞬で、すぐに、かつては天敵だった平和島静雄が目の前で眠っているという異常性に、だが浮かんできたのは妙に胸を締め付けられるような感情だった。そういえば、この白い身体に触れても触れなくとも、寝顔を見たのは初めてだ。喧嘩人形と怖れられる化け物のくせに、瞼を伏せるとそれなりに整った繊細なつくりの顔立ちがよく分かる。見ていると、直接燻られているように胸が痛んだ。
この顔を臨也の前に曝け出す。これがこのシーケンスで臨也が得たものだが、一方で、触れることはできない。押し込めた欲が、夜の淵でちりちりと静かに、しかし確かに痛みを訴え続けていた。
満足は得られない。しかし歪つに甘く穏やかなシーケンスは、長く続くことはなく、ある日突然に途切れた。
そろそろ高校生活も終わりに向けてカウントダウンを開始し、卒業式を翌日に控えた日のことだ。もう既に三年生は自由登校に入っているが、学校というのは臨也のような人間にとっては暇つぶしにはちょうどよい。
臨也はその頃、情報を駆使して手駒を、他校の適当な不良グループと争わせていた。何か壮大な計画があったわけではない。単なる人間観察の一環だった。だがその臨也の趣味の犠牲となり、その不良グループが妙に殺気立ったことは事実だ。
そのグループが、そもそもの諸悪の根源が臨也であることを悟り、卒業前に来神高校にお礼参りに参上したのである。時代遅れのことだが、それなりの人数なので感心してもいられない。臨也が携帯電話とパソコンを使って手駒を集めていると、校門前の怒声に悲鳴が混じった。何事かと臨也がガラス窓から校庭を覗くと、ぽーんという擬音が聞こえてきそうな勢いで、時代遅れにも“不良です”とレッテルを張っているような長ラン姿の男が、比喩ではなく空を舞っていた。
不良グループは殺気立った余りに忘れていたのである。この来神高校が、かの喧嘩人形の在籍する学校だということを。
だが、むしろ焦ったのは臨也である。ここで静雄が割り込んでいくことは想定外だ。喧嘩人形を怖れて、学外での出来事には極力触れないでいる教師陣も、さすがに学校内で問題を起こされれば目を瞑ってはいられない。
せっかく就職先見つけたのに、卒業できなくなって内定取り消されちゃうだろ。そのとき臨也に浮かんだのは、そんな馬鹿馬鹿しいほどにありきたりな、陳腐な学園ドラマみたいなことだった。だがそれでも、そのくだらなさに自嘲をする余裕もない程度に、臨也は焦っていたのである。
だから、普段ならば絶対にしないミスを犯した。頭に血が上って、理不尽なほどの膂力をふるっている静雄の前に、無防備に飛び出すなんて馬鹿なことを。
臨也だって、けして一般人ではない。平和島静雄と武力でそれなりに渡り歩いたこともある。だから、静雄の腕から目の前に凄まじいスピードで繰り出されたフェンスの残骸に、最低限の防御を施すことは可能だった。だがそれだけだ。意識を失う寸前に見たのは、突如飛び出してきて、静雄の攻撃に当たった臨也に、柔らかな茶の瞳を見開き、身体を硬直させた静雄の姿だった。
ああ、泣いているのか。そう思った。
作品名:Last Scenes 作家名:サカネ