二次創作小説やBL小説が読める!投稿できる!二次小説投稿コミュニティ!

オリジナル小説 https://novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
二次創作小説投稿サイト「2.novelist.jp」

機織り女

INDEX|2ページ/3ページ|

次のページ前のページ
 

 夢想する女と、それを温度のない表情で見つめる少年。その様は、揺れる秉燭の灯がもたらす明暗よりも鮮やかな対比を形作っており、まるで三途の川の向こうとこちら側のように遠く隔たっている。
 どちらが彼岸でどちらが此岸か、判然としないけれど。
「そうして間違えて入った人を、片っ端から襲ってきたのか」
「人間を喰うのは生きるため。それに仕置きとはいえ、女に喰われるのは、男にとって本望だろ。
 ここに来た男たちは皆、何の不満も口にしなかったよ。何が悪いって言うんだい?」
 不満を言う前に、お前が喰ってしまったんじゃないのか。
 鬼太郎が呆れ口調でそう言っても、女はまるで気に止めない。「子供には分からぬ事さ」と嘯くばかり。自らの胸に当てた白い手をきゅっと握って、再び夢見るような表情でほうっと息を吐く。
 その様を一瞥してから、鬼太郎はふっと倒れた男に目をやった。
 毎日が家と会社の往復で、家に帰り着けば後は寝るばかり。仕事に追われて家族と過ごす時間もなく、妻とも言葉を交わさず終わる日も少なくない。そうしていつの間にか、妻からは半ば愛想を尽かされ、育った子供からは振り向かれなくなって、より仕事に逃げ込むしかなくなった、現代ではさして珍しくもない哀れな男。この異世界に迷い込んだのも、その胸中にある虚しさ故だったのだろう。
 けれど、行方知れずになったと家族が不安になるだけ、この男は幸せかも知れない。世の中には、失ってから後悔する者が後を絶たないし、失っても尚平然としている者もいる。鬼太郎はそのどちらも、今まで幾人となく目の当たりにしてきた。
 妖怪ポストに手紙を入れた家族は、男に帰ってきて欲しいと、切実に訴えていた。その心中は、想い人を待ち続けるこの女とも、少し似通っているかも知れない。
 けれど、でも。
「分からないよ。人ならざる身へ変じてでも、帰らぬ人を待つなんて」
 鬼太郎が、ぽつりと呟いた。
 そう。この山々に包まれた古い家――闇の息づく異界が示すとおり、女は既に、人であることを辞めている。来る日も来る日も機を織り、男の訪れを待っては次々と喰う妖し。そうして何年ここで生きて来たのか、最早誰にも分からない。
 気が長いね。続けて呟いた少年の皮肉も、女は鼻で笑い飛ばす。
「七夕の織姫だって、機を織りながら愛しい男を待っているだろう。それと同じさ」
「織姫は、年に一回牽牛と会えるじゃないか」
「待つ身にとっては大差ないよ。一日でも一年でも百年でも」
「普通は百年も待たないだろう。その前に寿命が来るし、もっと前に諦めもする」
「辛抱が足らないんだよ、そいつらは」
 妾は違うよ、約束どおり機を織りながら、いつまでもここで待っている。
 自身を自らの腕できゅっと抱きしめて、女は嫣然と笑って見せた。
 かつて機織り女は神の嫁であり、通う男と寝る事で神と交わったと云う。が、この女には、神聖さなど欠片もない。己が想いに執着するあまり、人の道すら外れた者に、そんなものなど有りはしない。
 神の嫁でなく、人の妻でもなくなって、ただただ機を織って男を喰らうばかりの妖女。既に人である事も辞め、ただ執念のみで生き長らえる徒花を、果たして何と呼べば良いものか。
 思案顔で小首を傾げる鬼太郎に、女は嘲笑しながら、犬猫にでもするような所作で手を払う。
「さあさ、その男は望みどおり返してやるから、子供はさっさと家にお帰り。
 妾は忙しいんだ。いつまでも子供に構ってる暇は無いんだよ」
「また、機を織りながら待ち続けるのか」
「そうだよ。
 あの人のために新しい着物を用意したのに、この男が先に袖を通しちまったからね。また仕立てないと」
 さらりと流れて来る髪を優雅に払いながら、女は尖った口調でそう言った。
 事実、女は怒っていた。折角の着物を勝手に着た罪は、万死にも値するのだから。
 この女にとって男は、想い人以外は全て塵芥に等しい。故に、どれだけ痛めつけようが、喰ってしまおうが、いちいち罪悪感など覚えない。訪れた男たちが、元は己が人間界のそばに入り口を開けたせいで此処に迷い込んでしまった事になど、全く思い至らない。迷うのが悪いとすら考えていない。その者たちを喰って己が生き長らえている事実も、まるで意識していないのだ。
 女の心にあるのは、いつか帰って来ると信じている、愛しい男ただ一人。それ以外など、眼中にない。
 床に置いた明かりの灯芯が燃え尽きて、投げかける光が細く小さくなる。辺りはいよいよ暗くなって、女も、鬼太郎の姿も、暗がりの中に沈み込んだ。
 再び、沈黙が訪れる。ふっと灯が消えた頃になって、鬼太郎が静かに口を開いた。
「いくら待っても、お前の待ち人はもう来ないよ」
 右の掌に青白い鬼火を灯し、相変わらず感情のない声で現実を告げる。
 刹那。女の顔から、熱情がすっと引いた。ぎっと睨み付けるその目付きは、織糸のずれを直す針よりも鋭い。にわかに剣呑さを増した女の感情を映すかのように、ざああっと黒髪が伸びて宙に広がる。
 顔や体の造作には、他に何の変化も起きていない。なのに、まとう雰囲気が一気に禍々しくなったのは、胸に抱く感情故か。
 仄かな鬼火に照らされて、怒り心頭の白い貌と、まとう紗の和服が朧に闇に浮かぶ。しゅるしゅると伸びる髪は既に暗がりと同化していて、その姿は妖しく毒々しい。
 相対する少年も、青白い火を掲げて佇む様はまさに鬼。闇よりもなお昏い瞳に鬼火の光を映し、伸びてきた女の髪を、一瞥もせぬままもう一方の手で振り払う。ゆらりと火が揺れると共に、その姿も、幻燈のように淡く揺らめいた。
 夢か現かも判然とせぬ暗がりの中、女の殺気に満ちた視線と、少年の非情な眼差しが絡み合う。
 ここに迷い込んだ人間の男が、ずっと気絶したままだったのは、彼にとって幸いかも知れない。
「いい加減な事をお言いでないよ、ゲゲゲの鬼太郎。確かに約束したんだからね。
 あの人はここへ帰って来ると、妾はここで待っていると」
「けど、事実だ。人間は、百年も経たずに寿命を終える。お前の待ち人も――」
「――帰って来ると言ったんだよ!」
 しゅるり。再び長く伸びた女の髪が、鬼太郎の手首を捕まえた。
 今度は鬼太郎も払い除けない。ぎりっと強く締め付ける髪にも表情一つ変えず、ただただ女を見据えるのみ。掌に置いた鬼火が再び揺れても、もうその姿も揺るがない。
 からんと、その足元で下駄が微かに鳴った。
「お前が今までどれだけその人を待ったか、その間にどれだけ人を喰ったか僕は知らない。
 けど、お前がそうしてまで生き長らえても、もうその人には会えないよ。少なくとも、お前がその情に固執する限りは」
「固執とはなんだい、何も知らないくせに」
「ああ、知らない。だから言うんだ。帰らぬ人を待っても無駄だと」
 ばちり。
 髪に絡め取られた鬼太郎の腕に、青い雷光が走った。嫌な匂いが辺りに漂い、先端が焦がされた女の髪が、尻尾を巻いて逃げる蛇のようにしゅるると縮まり、元の長さへと戻る。
 鬼太郎が、つっと目を細めた。一瞬だけ広がった強大な妖気が、凄んでいた女を怯ませる。鬼太郎にとってはただの威嚇だが、それでも女には十分効き目があった。
作品名:機織り女 作家名:藤村珂南