逃れられない理
5
帝人くんの病気の進行が止まらない。どんな治療、薬、技術を試してもだめだった。それにもう、これ以上は帝人くんの体力が持たないだろう。俺は歯がゆくて歯がゆくてしょうがなかった。つい癖で親指の爪をかみしめる。
「くっそっ」
そしてどうしてこんな苛々としているときに学会に呼ばれなきゃいけないんだよ。バルス学会。
「おい、臨也。お前すっげぇ鬼のような形相をしているぞ。しかも隈ひでぇな」
「あぁ、ドタチン?まぁねちょっと苛々している。隈なんて医者にはつきものでしょ」
部屋に一応ノックして入ってきたドタチンこと門田に指摘されて、俺は久しぶりにて鏡を見た。
そして自分の顔色の悪さに、自分自身が驚く。
(良かった・・・。この顔のまま帝人くんに会わなくて。絶対心配されちゃう)
帝人くんと会うときは大抵薄くファンデーションを塗って隈と顔色の悪さをかくしてるんだけど、
流石にこれはひどすぎる。
「学会って、明日か?」
「んー、あぁ。そうだよ。それが?」
ドタチンの問いに俺は手鏡を見ながら答える。さて、この顔色の悪さをどうごまかそうか。
「そうか・・・。まぁ、気をつけて行ってこい」
「言われなくとも無傷で帰ってくるし。だって俺に何かあったら帝人くん治せないじゃん」
「確かになぁ。お前のあの子に対する執念というか執着というかすさまじいものがあるしなぁ」
ドタチンの言葉にむっとしてようやく俺はドタチンを見た。そのむっとした気持ちそのままにらみつける。
「何?そんなこと良いにわざわざ来たの?ドタチン、もしかしなくとも暇?だったら俺の代わりに学会行ってこい」
「暇なわけねーだろ!ったくよ、言われた資料持ってきてやったのに。しかも学会に呼ばれたのはお前が×××××の第一人者だからだろ・・・。俺が行ってもいみねぇだろうがよ」
「ほんっと、やんなっちゃうよね。別に俺は不特定多数の人間のためにやってきた訳じゃないのに!あぁ苛々する」
「その苛々を俺たちには向けるなよ・・・。じゃぁ、資料この辺に置いておくぞ」
「あー、はいはい。ご苦労さん」
「はぁ・・・・。まぁ、いいけどよ。んじゃ失礼しました」
ドタチンは頭をかきながら俺の部屋から出て行った。ドタチンからの資料を手に取り、パラパラと見ていく。
俺の病院にいるやつってどうしてこうも優秀な奴しかいないんだろうねぇ、と思いながら資料をファイルに入れ込む。
(ま、無能だったらそもそも雇わないけど)
俺は苛つく気持ちを腹の底に押しやって、今使っているファンデーションを持って備え付けの鏡台まで歩いて行った。
しょうがないので、今日はこれで我慢するとしよう。どうか帝人くんに気がつかれませんように。
飴が勢いよく降りつける車窓からのぞく風景は一面灰色じみていて、つまらないにもほどがある。
掛かり付けの運転手とは昔から相性が悪く、お互い終始無言だ(けれど仕事は俺が舌を巻くほど優秀すぎるので捨てるに捨てられない)俺はため息を隠すことなくつくと、腕時計をちらりと見た。
今日の学会は思ったよりも長引いてしまった。しかもこの渋滞に豪雨と来ている。最悪すぎるだろう。
(ほーんと。こんな日は帝人くんの笑顔を見て癒されたいなぁ)
頬杖をつきながら、動くことのない風景を眺めていると、胸ポケットに入れておいた携帯のバイブ音が体に響き渡る。
俺離れた動作で携帯を取り出すと、電話であることにすこし小首をかしげる。
(しかも新羅からじゃん。珍しいね、あいつから電話をよこすなんて)
俺はいつもならメールですます(野郎の声なんて聞きたくないそうだ)新羅を不思議がりながら、通話ボタンを押す。
「もしもし?」
「もしもし臨也!?ねぇ君今どこ!?ちょっと早く帰ってきて!急ぎなんだよ!」
出たとたんに新羅の悲痛な、焦りの声が車内に響き渡る。俺は背筋が冷たくなるのを感じた。
唇がかさかさに乾き、喉が張り付いて声を出すのにさえ痛い。いやな汗が携帯を持つ手ににじむ。
(・・・違う。違うよね。俺の考えてることじゃないよね。急患とかそんなんだ。そうだ、きっとそうだよ)
俺は暗い考えを振り切るように頭を振って、殊更明るく新羅に答えた。
「んー?今、ここは・・・あぁ、△街ど」
俺が言い終わるより前に新羅の後ろで看護婦が慌てた声で新羅先生!と叫んでいる。
先ほどからまとわりつく嫌な考えに、俺は喉を引きつらせた。
「くっそ!そこじゃああとどうやったって20分はかかるじゃないか!今帝人くんが大変なんだ!発作を起こして、手がつけられないんだよ!」
新羅の言葉に俺は金槌であまたを殴られたかのような衝撃を受けた。一瞬目の前が真っ暗になる。
そして息がうまく吸えなくて、新羅が何か電話の向こうで看護婦たちに吠えているが、全然その会話が耳に入ってこなかった。
(嘘だ嘘だ嘘だ・・・!だって昨日まで平気で、ちゃんと検査して、だから今日学会に出たのに!)
そこで俺は思い出す。帝人くんの病の怖いところは突然に起こる発作さなのだと。昨日までは健康そうに見えたのに、突然激しい嘔吐と咳を繰り返し死んでしまうのだと言うことを。
×××××の説明を今さっきしていたはずなのに。己の馬鹿さ加減に吐き気がした。
「あ-!もうとにかく急いで!君が来るまで僕らが何とか手を尽くしてるから!」
本当に新羅は切羽詰まっているのだろう。俺が電話を切る前に一方的に切られてしまった。
そんなことに俺は頓着なんてしないけどね。この際好き嫌いなんて言ってられない。
「君、今すぐ近道して俺の病院まで最短で向かって」
「かしこまりました」
そういって運転手は勢いよくハンドルを切ると、そのまま裏路地へ入っていった。
ガタゴトと揺れる車内に俺は見向きもしないで、自分の腕をつかみ己の不安と葛藤する。
(お願いどうか間に合って・・・・!)
歯を食いしばって、焦る気持ちを抑え込む。そして頭の中で何度も帝人くんの処置についてリピートする。
着いてからが勝負になる。だから一切時間のロスは許されない。
(神様。俺はあんたの存在なんて小れっぽっちも信じていないけれど。どうか、どうか貴方がいるというのなら。どうか帝人くんを連れて行かないで・・・!)
祈ることしかできない今の自分が、とても腹立たしかった。