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落ちつくには まだ

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ぶくぶくぶく

 次々と海が白い気泡を吐き、そうしてそこに、徐々に穴があいた。
「・・・・おい、出て来い」

 男の声に答えるように、海に空いた穴から、影が現れる。
「・・・・ざけやがって・・・」
 眺めた男が、目を眇めた。
 影は二つ。
 一つは、逞しい身体をしたきつい顔つきの男。もう一つは、いなくなった間抜けだ。
 しかも、間抜けは城で身につけていたろう身ごろの長い寝巻きのボタンをほとんどせずに、肩もはだけたそのままで男に抱え込まれて現れた。
「―おまえが、そうか。ふん」
いきなり、間抜けを抱えた男が鼻でザンザスを笑う。
「―おい、てめえが海神か?一匹か?」
 挑発に珍しくも乗らなかった男が低く問い、それに答えない相手は、腕をまわしていた綱吉の寝巻きの前に手を入れた。
「  、  」
 腹の辺りをさぐられ、その男にとりすがった間抜けが口を開け、相手を見上げる。
 顔も、身体も、まるで情事後のように火照り、ピンク色だ。
「なんだ、ツナヨシ。わたしのほうが、いい男ではないか?」
 擦り寄る小さな顔へ、にやけて囁く様をみせられ、こいつは何を的外れな挑発をするんだと呆れるが、なぜが、腹が立った。
「おい、そこの間抜け。てめえ、さらわれてそのうえまさか、それとデキた、とかほざくんじゃねえだろうな?」
「さらった?わたしは、ツナヨシに一緒に来てほしい、と頼んだのだよ。彼は優しい人間だ。こうして、わたしの頼みを聞いてくれた」
 差し入れたままの手が、ゆっくりと肌をなで上げてゆくのがわかる。その度に、音のない声をあげ、身体を震わせる間抜けが、海神のまとった布を握りこんで顔をすりつける。
「―悪趣味だな。そんなのを選びやがるなんざ」
「いいぞ。ツナヨシは、最高の味がする」
 手が深く差し入れられ、下腹部で大きく動いた。
「 、  、 っ 」
 びくりと震えた綱吉が、完全に海神の身体にすがり、その胸に顔をうずめる。
「これは、気に入った。貰っておくと、伝えておけ」
「―勝手なことぬかすな」
「ほお?おまえ、ツナヨシがいなくとも、困らないのではなかったのか?」
 そこで、うっとりと海神を見上げた間抜けが、伸び上がり、その口へ自分の口をつけた。
「―――――――」
 そんなもの、見せるな、気色わりい、と、本来なら、そう吐き出すだろう己の口は、何も吐き出さず、腹の中に、ふつ、となにかが湧き上がる。
「残念ながら、海神にとりこまれたようですね」
 横から、アリオスの残念ではなさそうな声。またしても、いきなりそこに現れた。
「海の中からあなたが出てくるのも、ずいぶんとひさしぶりですねえ」
 とたんに幕のように海の水がせりあがり、海神と綱吉を包み込むが、ザンザスが一瞬で放ったもので水の幕は蒸発し、霧の中に残った影にアリオスが笑った。
「なにも、逃げることはないでしょう?せっかくひさしぶりにお会いできたんだ」
 言ったとたん、いきなり、重なった綱吉と海神へ、矢が突き刺さる。
 音のないひきつった息と、海神のうめく声が響いた。
「・・・おい」
 ザンザスの低い声に、アリオスは小さく首を振る。
「ああ、本当に残念だ。まさか、綱吉が、海神どものカシラに魅入られてしまうなんて。でもこれで、ぼくたちは助かる」
 太い鉄製の矢で刺し抜かれた影が、お互い必死に抱き合いながら、くずおれてゆく。
 アリオスはザンザスに微笑みかけた。
「あなたも、かわいそうな人だ。気付く前に、お互いをなくしてしまうなんて・・。まあ、しかし、気を落とさずに。なにしろ、仲良く落ちていらっしゃったあなたたちは、逝く先も同じだろうし」
     
  パチン 
       
 と微笑んだ金髪が、指を鳴らしたとたんに、その顔が、むこうで矢をうけた男と同じものへと変わる。
「兄上。久方ぶりにこうしてお会いできたのに、まことに残念です。でも、最後の生贄はお気に召していただけて、よかった」
 アリオスがくすくすと笑う。
 海の上で串刺しにされ、兄と呼ばれた男は、同じ顔の口から血を垂らし、にらみ返した。
「思えば、長い戦いでした。同じ日に同じ母から生まれたのに、『兄』というだけで、その海全てを手にいれたあなたと、こうして陸の片隅へと追いやられたぼくと」
「―父上を殺したのは、おまえだ。だから、そこへ幽閉しているのだ」
「アリウス。その海は、ぼくのものだ。早く返せ」
「アリオス。何度も言ったはずだ。今度おかしなことをしたら、おまえをただ幽閉しておくのは難しいと。これまでも、お前が生贄と称して半死の人間を海へ投げ入れてきたり、海へむけて何日間も砲弾を撃ち込んだりしてきたのを、みなして許してきたのだ。それを、おまえは―」
「海神の民は、みな、『いい人』だね。だったら、ぼくを受け入れてよ。カシラになるのは、ぼくでもいいはずだ。父上も母上も、ぼくではできないと言った。だから死んでもらっただけだよ。アリウス、おまえも同じだ!いつまでたってもぼくを海へいれようとしない!ひどいじゃないか!ぼくだって、海にかえりたい!いれてよ!いつだって仲間にいれてくれないじゃないか!!」
 
駄々っ子のように叫ぶアリオスの背後に影が立つ。

「―だめだよ・・アリオス。お前はかくれんぼするだけで、いっしょに遊ぶ子を殺して隠すような子なんだもの」
 むこうで串刺しになった二つの影が形を変え、大きなウミウシのようなものになると、力をなくしてぼちゃりと水に落ちた。
「―だって、全員見つかったら、すぐ・・・おわっちゃ・・う・・」
 小船の中に、アリオスがしゃがみこんだ。がたがたと身体を震わせている。
 海の上に立った同じ顔が、悲しそうにそれを見下ろす。
「・・・終わっていいんだ。終わるのが当然なのだよ。さあ、もう終えよう」
 しゃがんだアリオスの顔は真っ青だった。
「・・ずるいよ・・ぼくは、やっぱり、勝てないんだ・・」
 ふてくされたように、暗い怒りをこめた呟きを残し、船の上からアリオスは突然消えた。
 
 海面にいまだ立つ同じ顔の男は、船に残るザンザスへ、深く頭をさげる。
「―申し訳ない。あなた方を利用するかたちになったのは、アリオスもわたしも同じだ」
「―くだらねえ。このためだけに、巻き込みやがったのか?」
 静かに怒る男へ、少し口元を緩めた相手が、「彼は、巻き込まれやすい体質でしょう」と断定とも疑問ともつかぬ言葉でこの場にいない男をさした。
「・・その、巻き込まれやすいのは、どうした?」
「大事に、お預かりしています」
 しばし、微笑むような黒い眼と、苛立った紅い目が見つめあう。
「残念だが、・・・どうも、彼はあなたと帰りたがっているようだ」
「ふん」
「あなたは?」
「ああ?」
「困りますか?彼がいなくなると」
「困らねえって何度もいってる」
「なら、いらないでしょう?わたしが」
「いらねえとは、言ってねえ」
「―なるほど・・」
 少し、その微笑が気に障ったが、めんどうなので言い返さない。
 とたんに船がゆれ、間抜けな男が船底に横たわった。
「このまま、わたしがむこうへ押し出しましょう。あなたたたちは何もしないで平気です」
 ゆっくりと、船がまた勝手に動き出し、ザンザスはどかりと腰を落とす。
作品名:落ちつくには まだ 作家名:シチ