いつまでも、君が怖い理由
にゃんこと!
廊下は走らない。
そんな標語を完全無視して、走り続ける。
頭の中では、つい先ほどの"挨拶"を何度も繰り返しながら。
『十代目が嫌悪感を抱かれるなら、もうこの挨拶は――』
そう言った獄寺くんの顔が寂しそうで。俺は何かを考える前に、彼の唇に触れていた。そう、触れてしまったのだ。外国育ちの獄寺くんならともかく…俺からその…キスの挨拶をするなんて…!
(恥ずかしいぃ!!!)
この時、タイムを計って貰ったのが悔やまれるスピードで俺は走った。こんな赤い顔で教室になんて行けるわけがない。一人きりになれる場所…屋上か、図書室か…もしくは――
***
「で、ここに逃げ込んできたわけか。どうせサボって保健室来るなら、可愛い女の子連れ込むくらいの甲斐症が欲しいよなぁ」
ニヤニヤと笑うシャマルの元に来たのは、単純な避難よりもっと重要な用事があったからだ。"俺だけ、獄寺くんに耳と尻尾が生えて見える"その理由を、シャマルはきっと知っているのだろうから。
「…あのさ、シャマル、なんか俺にウィルス仕掛けた?」
「はぁ?なんの得があって俺がそんな事しなきゃなんねーんだ?」
シャマルの言葉には欠片の動揺すらなかったが、瞳の奥が一瞬揺れた。
わざとらしいその揺れに溜息をつけば、シャマルはお手上げ、と言わんばかりに両手を上げる。
「いやだねぇ、段々可愛らしさが無くなってくるじゃねーの。ボンゴレ十代目?」
「…俺はマフィアになんてならないよ」
「ハヤトには呼ばせてるくせに?」
「………そ、れは…」
シャマルに呼ばれる十代目と、獄寺くんが言う十代目は何かが違う。示すものは同じでも、そこには…そう、親しみと暖かさの有る無しなんだと思う。
それでなくても、もう獄寺くんに"十代目"と呼ばれるのに慣れてしまった。悲しい時、嬉しい時、不機嫌な時、楽しい時。同じ"十代目"でも、全然違う響きを持つ呼ばれ方が、結局俺は嫌いではないのだ。
「ん?どーした?」
「…獄寺くんは、特別…だから」
不意に口から出た言葉が、どれだけの意味を持つのか。俺はシャマルが少し驚いたように目を見開いたのを見て、初めてその事に気が付いた。
「―――へぇ、ハヤトは特別…ねぇ」
「ち、違うから!獄寺くんに十代目って呼ばれるのが嫌じゃないだけで、別に…そんな深い意味なんてぜんっぜんないから!!」
「まぁ、そうムキになりなさんな。可愛い顔が台無しだぜ?」
ニヤニヤと笑いながら肩を組んでくるシャマルの腕を払おうとしたタイミングを見計らったように(実際見計らったんだろうけど)「お前の疾患はな、」なんて続けてくるんだから本当にシャマルはいい性格をしている。
「……なに?」
「特別に犬が好きになる病気だ。疾患Noが決められているだけで、名前は無いんだが…そうだな、ハヤト好きスキ病にでもしておくか?」
「しないでよ!何だよ、そのすごく良い提案したって顔は!!大体獄寺くんは犬なんかじゃな…
そこまで言った俺の頭に過ったのは、ピンとふさふさの耳を立てて、俺の行動一つでシュンとしたり、嬉しそうにパタパタと尻尾を動かす獄寺くんだったわけで。
「ほら、反論出来ね―だろ?ハヤト以外は犬に見えない。これにもちゃんと理由があるんだ。聞くか?」
「…聞くよ。俺がかかってる病気の事だもん」
「いい度胸だ。まぁ簡単に説明すると、この病気に罹ると、特別に好きな人間の事が大好きな犬に見えるようになるって事だな。ほら、病名間違っちゃいないだろ?」
得意げなシャマルの話は、実は後半ほとんど聞こえなかった。俺が獄寺くんを"特別に好き"…?
「…だ、っ…て、俺は…京子ちゃんが……」
「京子ちゃん?あー、あのカワイコちゃんな。お前が器用に二人を同じくらい特別に思ってるなら、あの子の頭に可愛らしい耳が乗ってるハズだぜ。見たか?」
「………見て、ない」
言われて気付いた。
俺はここ数日京子ちゃんの顔すら見ていなかった事に。獄寺くんの耳と尻尾が気になって、そして今は"挨拶"のキスの事ばかり考えていた。
「―――俺、獄寺くんが好きなのかな…?」
「さぁな」
シャマルの回答は、どうでもいいと言うよりも呆れたそれだった。
"まだ気付いてなかったのか"そんな声が、聞こえてきた気がする。
「お前の気持ちなんて、お前にしかわかんねーだろ」
「……そっか。ねぇ、シャマル」
「あん?」
面倒臭そうに頭を掻いているシャマルの目をしっかりと見つめる。
「この病気、治してよ。俺、犬の耳なんかに誤魔化されないで話をしたいんだ」
「…わぁったよ。ただ、後悔だけはするんじゃねーぞ」
何を今更。俺は無言のまま頷いた。
この事に後悔するのは、ほんの数秒後の事だったのだけれども。
作品名:いつまでも、君が怖い理由 作家名:サキ