心中日和
自分の全てを誰か一人で満たす、厳密に言えば自分の意思ではどうしようもなく、強制的にいっぱいにされるのだが、その感覚はひどく独特で、どこか恐ろしく、不愉快でもあり、けれどもっともっとどこまでも奪ってくれというような、奇妙な満足や恍惚をももたらした。
それだけ相手を愛していながら、その他のものも手放すまいというのが、どだい虫のいい話だったのかもしれない。
手放したくない、という思いも、大切だからではなく、今まで大切にしてきたそれらに失礼だから、というほうが近かった。
柳生とその他の人間なら、柳生が大切だった。
柳生とそれ以外の全てなら、柳生が大切だった。
柳生とこの世界なら、柳生が大切だった。
初めて会ったときから今まで、口をきいたことも、近くにいたこともないような相手を、俺は全身全霊かけて、自分の感情や情熱やあらゆる真摯や、そういったもの全て費やして愛していた。
俺はそんな自分と、自分をそうさせる柳生に呆然とした。
家族を失っても、家庭を失っても、学校にいられなくなっても、テニスができなくなっても、今まで持っていた大切なもの全てを失っても、
俺は柳生さえいればいいと思っている。
俺たちは熱にうかされたようにではなく、冷静に、落ち着いて考え、そして何度はじめから考察をやり直してみても、やはりお互いしか欲しくはなかった。
ということは、俺たちはもう生きていけないということだ。
少なくとも、平穏には、決して。
「心中しませんか」
柳生は確かにそう言った。
俺は黙って柳生を見つめた。
柳生は、ことさら無表情に俺を見つめ、俺の顔から同意を読むと、やっと緊張させていた肩から力を抜いた。
軽い安堵の溜息をついた。眼鏡をくいと押し上げた。両足に均等に力をかけて、背筋を伸ばしまっすぐに立っていたのを、少し右足のほうに重心をかけ、体をしならすように立った。それは、もとは俺の癖だった。
俺は、俺と同じ結論を出したはずの柳生が、自分から口を開くことにこんなに緊張しているのが、なんだかおかしかった。
柳生は、今度はすっかりリラックスした調子で言った。
気安い口調だった。相手が断るはずのない、ほんの些細なことを頼むような口調だった。
ちょっと待っててくれ、一緒に帰ろう。そんな感じの。
「心中、しましょう。仁王くん」
柳生の顔は明るかった。