グンジルート捏造
生きていたくないのかもしれないな。アキラの結論はそこまで辿り着いていた。
しかし考えは極地までは纏まらず、まだ"かもしれない"の域を出ない。それに、"生きていたくない"と"死にたい"とは、まだ間に隔たりがあるだろうと思っていた。
しかしはっきりしたこと。生きていたいとは思っていない。生に対して、縋り付きたいほどの願望は感じない。そもそも、そんなもの感じたことなんかなかった。ただ、こんな所で死ぬのは嫌だ、こんな奴に殺されるのは嫌だ、そんな選択肢の回避の結果として生き永らえてきた。――だけ、なんだろう。
アキラは強い目眩を感じて目を押さえた。強い睡魔を頭を振って追い払い、眠気を覚まそうときつく唇を噛む。
深い眠りに落ちると、そのまま死んでしまいそうな気がした。あいつを殺してしまってから、ひどくそういうものに対して敏感になってしまっている自分に気付いていた。生に執着したい訳じゃない。だけど理不尽な死だけはごめんだ。
アキラは目から手を離すと、自嘲して更に唇を噛んだ。理不尽にあいつを殺した俺が何を言うのだ。
そうだ、何を言う。
ふと襲った睡魔に、握りしめていたナイフが手の内から滑り落ちた。ナイフが鞘の中から硬質な音を立てて、アキラは息を飲んだ。手を伸ばせば届く位置にナイフが転がる。心臓が早鐘のように鳴った。
こういう運命だったんだろうか。いけないと判りながら、思考はずるずると良くない方向へ引き摺られていく。
運命論なんて下らないと思っていた。唾棄すべきものだとすら思っていた。それなのに、ふともたらされた可能性からアキラは目が離せなくなった。死にたい訳じゃない。だが、これがもし運命なら、こうなることが初めから決められていたなら、
――しょうがない?
指先がナイフに触れた。
「シキだ!」
「――!?」
アキラは再びナイフを取り落とした。ぶわっと全身から嫌な汗が噴き出す。
自殺なんて、そんな、
信じられない心地で手元を見下ろすと、確かにナイフはその側に落ちていた。
外の喧騒が酷くなっている。アキラは立ち上がると、取るものもとりあえず外へと飛び出し、喧騒の方向へと駆け出した。
どうしてそんなことをしたのか、深く考えたくなかった。ただ自分の中にある何らかの希望が、気持ち悪くてしょうがなかった。無意識にナイフを引っ付かんで来ていたのは幸運としか言い様がなかった。
何か絶対的な力を持った、例えば嵐のような、そんなものが通りすぎたような真ん中にシキは立っていた。シキを中心として放射状に広がる屍。剣舞でも舞い終えたような優雅さで、シキはアキラを振り返った。
――こいつが、シキ。
暴力の化身と言うには、あまりに華奢だろう。引き締まった無駄のない体つきをしてはいるが、それでもまだ頼り無い。しかしそんなものは、シキの発する気迫が塗り替えていた。万人をも震え上がらせるような気迫が。
「紫の目の男を知っているか」
圧倒されすぎたせいで、アキラはしばらくその言葉を発したのがシキだと気付くことができなかった。シキはそれきり口を噤むと、押し黙ってアキラの言葉を待っている。ただ問われただけなのに、まるで絶対的な命令でも受けたようにアキラは必死で記憶を探った。…ふと、紫の閃きが脳裏に蘇る。
しかしシキは、アキラがそこへ辿り着くまでの過程を待たなかった。
「……知らんか」
怒ったような、悔しんだような、…哀しんだような何とも言えない笑みがシキの口元に浮かんだ。アキラがそれにはっとした刹那、視界に銀色が閃いた。
「――っ!?」
咄嗟に鞘の付いたままのナイフでそれを受ける。刀が鞘を切り裂いて、その下の刃とぶち当たり甲高い音が鳴った。シキの猛攻はそれでは勿論終わらない。アキラに先程の笑みを勘繰る余裕も与えない。何て力だ。一撃一撃の重さに腕が痺れ出す。
「やるな」
シキが笑った。アキラに笑みを返す余裕はない。防戦一方のアキラへシキは多彩な攻撃を仕掛けてくる。一際重い攻撃に指が痺れた。そして間髪入れずに振り下ろされた刀に、ナイフが弾き落とされる。はっと視線を下へ向けたアキラへ、シキが日本刀を振り上げた。
死ぬのか、ここで。
アキラは避けなかった。
「よっ、とぉ!!!」
反応したのはアキラの方が早かった。遅れて声の方を振り向いたシキが、苛ついた舌打ちを鳴らした。頭上で勢いの付いた刃を無理矢理捻り、その爪を危うく受け止める。刃を合わせたまま、グンジがシキに顔を寄せて笑った。
「それ俺のだからさ、ちょっかい出さないでくんねェかなァ」
刀をずらしてグンジの爪を流したシキに、グンジがもう一方の爪で切りかかる。奇襲は成功したらしく、グンジは僅かにシキを押していた。
「うらっ!!!」
大きく振りかぶったグンジの爪を、シキがバックステップで避けた。足を払うように凪いだ刀をグンジが飛び越え、シキの後ろへ着地した。シキが自分を軸に刀と回る。目視できないほどの早業で、グンジが日本刀を爪の間に絡め取った。
暫くのにらみ合いの末、シキが日本刀を手放した。さらりと音を立て日本刀が爪の間から落ちる。しかしシキの顔に悔しがるような色はない。むしろグンジの方が余裕のない笑みを浮かべていた。シキはグンジに免じて引いてやろう、そう言っているのだ。その証拠に、何も言わず去っていくシキをグンジが後追いすることはなかった。
シキが見えなくなって、グンジはやっと気の抜けた息を吐いた。僅かに痺れた腕を軽く振る。それから首の骨を鳴らすと、ゆったりと歩いてアキラのナイフを拾った。
「……ン」
呆然としているアキラに、ナイフを無造作に突き出す。アキラは暫くそれに気付かず、呆然とグンジの目の辺りを見つめ続けていた。何度かの催促の末、アキラがやっと差し出されたナイフに気付く。アキラはまだぼんやりとナイフを見下ろし、それから突然その顔に表情が浮かべた。アキラはナイフを引ったくるように掴むと、激しい怒りと共にグンジに斬りかかった。
「何なんだよ!お前は!!!!」
グンジが何も言わずにそれを受ける。
「何で!俺に構うんだよ!!!」
強い怒りに支配されアキラはナイフを振るう。それが、久方ぶりに訪れた感情の波だとアキラは気付いてはいない。
「何でお前の言葉に振り回されなくちゃならない!」
今のアキラに死にたいなんて思いはなかった。あるのは目の前が真っ赤に染まるほどの怒りだけ。何でもないようにアキラを受け流すこいつが、憎くて憎くてしょうがない。
「何で!何で、何で、………何で、」
酸欠によろめいたアキラの肩を、グンジが爪を放り投げて空の手で掴んだ。
「……何で」
服を通して伝わる体温。生きている。握り締めた自分の掌の温かさに、自分も生きているのだと感じた。
嫌だ。こんなものでほだされてたまるものか。だって俺は生きていたくないんだ。だって俺は死にたいんだ。だって俺は、生きていちゃいけないんだ。
「生きたいって」
グンジがもう片方の爪も落とした。言葉はさながら希望のように、
「……言えよ」
どちらのとも取れないそれとして落とされた。
「どうして」
「……どうしてそんな事、言うんだ」
「わかんねぇ。理由がいるのか?」
「俺は生きていちゃいけないんだ」
「何で」