どしゃ降りの涙♪
「セイラン!! あんたねぇ!! いくらアンジェと随分ラブラブしてないからって、人の恋路にチャチャ入れるの止めてくれないぃぃぃぃ!!……あう!!」
ロザリアの膝蹴りがオリヴィエの腹に見事に決まった。
「何をごちゃごちゃと!! この女っ垂らしが!!」
「待って!! 私の話を〜……痛い〜!!」
ロザリアの張り手が見事にオリヴィエの頬に炸裂する。セイランはそんなオリヴィエがどつかれる様を楽しく見物しながら、また皮肉な笑みつきでこう囁いた。
「ふ〜ん、あんたってこれしきで壊れる程ロザリアからの信用が無かったんだ。それって僕のせいじゃなくて『自業自得』って事?」
「きぃぃぃぃぃぃ〜!! 何だってアンジェはこんな奴のことをぉぉぉぉぉ!!」
収拾がつかなくなりそうなこの場を纏めたのは意外な人物だった。
「おい、セイラン。あんまからかってんじゃねぇよ。ロザリアも落ちつけ。でねぇと、バイクから下ろすぞ。てめぇら二人で飛んで来るか?」
珍しく、ゼフェルのドスの利いた声が響いた。
彼はバイクの操縦をオートに切り替えると、ゴーグルをずらしてセイランを心配げに眺めてきた。
「お前もさ……ほら、時間なくて神経毛羽立つのは判るけどよぉ……その二人はお前のアンジェにとっても大事なマブ達なんだろ? そいつら俺とは違ってお前との付合いはまだ短けぇんだから……お前の切れてるジョークにゃついていけねぇぜ。
無闇に喧嘩を売るな。
そいつらと仲がこじれたら、アンジェが哀しむって判ってるだろ?」
「………」
セイランは『焦って』自分の神経が過敏になっていたことを自覚した。
確かに、彼が自由にアルカヤを飛びまわれる時間は後半日が限度だったろう。彼もゼフェルも宮殿の管理という仕事がある。職場をあまり長く離れている訳にはいかないのだ。
なのにその僅かな時間で落とさなければならない勇者は七人もいて……今やっと二人目が片付いた所だ。
彼が全幅の信頼を置いているのはゼフェル只一人。ロザリアはともかく残りは全て駒としか思っていなかった。今でもそれは変わらないが、焦っているからこそ、彼らがセイランの口先で勇者を落としていく時に、彼の苦労を一瞬で木っ端微塵にしかねない顔を浮かべてみていた事を許せなく感じたのだろう。
セイランは心を落ちつけるためにもう一度大きく息を吐いた。
確かに、今は感情的になって良い時じゃない。仲間割れをしている時でもない。
アンジェを助けたくてここに来ているのに、彼女を哀しませるような災いの種を蒔いて、心労を増やすなんてとんでもない。
「……悪かった……冗談が過ぎた……」
セイランはぶっきらぼうにそう呟くと、ゴーグルを被り直してシートに深く座りなおした。
皆の目は丸くなった。恐慌を起こさなかっただけ、マシだったとも言える。
なんせ、あのセイランから『悪かった』などという言葉が飛び出て来たのだから!!
ロザリアはオリヴィエの首からその腕を外し、オリヴィエはまたもとのチビちゃいサイズに戻ってロザリアの腕の中にちゃっかりと収まった。
その他の妖精達も、わらわらとロザリアのスカートにもぐり込みだす。
「レイゼフートに向かう……それでいいね?」
ゼフェルは心得たといわんばかりに、再び操縦をオートから手動に切り替えた。
それが意地っ張りのセイランにとって、精一杯の謝罪だった。
★☆★☆★
6
日もささない牢獄では、赤々と燃える松明の灯りが頼りとなる。
だが、その焔が映し出すのが、レイラにとって会いたくも無い者だとすれば?――――――
鉄格子越しにククッと喉を鳴らして笑うアルベリックの掠れた声は、レイラの勘に酷く触った。けれど囚われた今の彼女には逃げ場はない。青年を無視するのなら目を瞑るぐらいしか方法はなく、レイラは牢獄の壁に持たれて座り、決して彼を見ようとはしなかった。
「レイラ。そう意地を張るな。石畳での夜は冷えるぞ? 私に泣いて情けを請え。そうすれば今すぐにでもここから出してやろう」
レイゼフートは北の都市である。彼女はグローサイン帝国の騎士として鍛えてきた身ではあるが、流石にこの真冬の夜に毛布もなく軍服一枚で過ごすのは非常に寒い。けれどレイラはますます唇を固く引き結び、アルベリックなどそこに存在しないかのように、身じろぎもせず俯き続けた。
例え凍死したって、何一つ彼に強請りたくはない。彼は彼女の敬愛する父を殺したのだ。彼は父に『新帝を侮辱した』と決闘をしかけ、実はそれは罠で、父は密になぶり殺しになった。
逆賊の汚名も着せられ、遺体すら何処かに遺棄されてしまい返してもらえなかった。
父はこの帝国の大将軍の地位にいた。この帝国に忠義一途に仕えてきたのに、アルベリックはその父から命の他に名誉まで地に堕として殺したのだ。その父の無念を思えば、自分が父を罠に嵌めた男に情けを縋り生き延びるなどできなかった。
アルベリックは、いつまでたってもレイラから返事が貰えぬと判り、忌々しげに鉄格子を蹴った。固い金属が靴で打ち鳴らされる激しい音が響くが、レイラはやはりびくつかない。
これでもレイラは帝国初の女性騎士となった女である。敵に怯えは見せられない。
それが父から教わった騎士の基本だ。
「全く強情な女だな!! だが、その強がりが何処まで持つ? 考える時間は後僅かしかないぞ。お前は夜明けには処刑だ。その若さで死にたくなければ私の愛人となるのだ!!」
やはりレイラは顔を上げない。
「美しいレイラ。私の愛を跳ね除けた傲慢な女神よ。今度はお前が私の足元にひれ伏す番だ。この私に泣いて縋って命乞いしろ!!
ははははははははははは!!」
アルベリックはヒステリックに高笑いしながら牢屋を出る階段を上っていった。
彼の石畳を打つ靴音が無くなり、人の気配が無くなった後には凍るようなかぐろい闇だけが残る。
レイラは膝を抱えて顔を埋めた。
寒い。
無音で、冷たい大気が自分を包んでいる。だが、寒く感じるのは、冬のせいだけではない。
彼女は目頭を膝に押し当て、幾度も脳裏で繰り返した自問を反芻した。
―――― 一体、何が間違っていたのだろう?――――
レイラと彼アルベリックは、それぞれの父が第一騎士団長、宰相だった為、幼い頃から自然交流があった。
彼は大公家の嫡男でもあったが、宰相である父親のような官僚ではなく、帝国騎士となることが夢だった。志を同じくする者と知り、二人は同じ未来を追いかけようと誓い更に親しい友人になった。長年、手紙を幾度も交換し、励ましあいながら鍛錬を積んだ。先に騎士となったのはアルベリックだ。その後レイラも努力の甲斐あり、十五の時に帝国初の女性騎士に任命された。その時など、彼は父と同じ部隊に所属していたが、遠い任地からわざわざ日帰りでレイラの叙任式に駆けつけ、来られなかった父の分まで喜んでくれた程だ。
過去を振り返ってみても、彼とはとても良い友情を築いてきたと胸を張って言える。
なのに何故、こんなことになってしまったのだろう?
抱えている膝に顔を押し当てると、胸についた無駄な肉が内臓を圧迫していることに気づいた。