どしゃ降りの涙♪
ベッドの毛布の上で、膝を抱えていたアイリーンが、つっけんどんに援護する。
セイランは、ドアまで追いかけてきたゼフェルに顎をしゃくり、無言でオスカーを連れて行けと合図を送る。
そして、ウェスタを再び自分の肩に停まらせ、膝に顎をつけて丸くなっているアイリーンに歩み寄った。
セイランの肩におとなしく鎮座するウェスタに、少女は切なそうに目を細める。
「さっさと出てって。そしてもう二度と来ないで」
「……君に返すよ……」
セイランはウェスタの頭を軽く撫でると、レイチェルの施した魅了の呪文を解除する。
たちまち、ふくろうは自分の主を思い出したのだろう。わしゃわしゃ羽音を立てて飛び、いつものようにアイリーンの肩に停まろうと、両足を伸ばす。
でも、彼女は寸前に、腕を振り回して鳥を煩げに振り払った。
払いのけられたふくろうは、即座にまた空に舞う。
「さっさと行って。あんたも出てけ!!」
「泣いてる癖に」
顔を上げたアイリーンが、憎々しげにセイランを睨みつける。
「あんたの目、節穴? 私のどこが泣いてるって?」
「虚勢をいくら張ったって無駄だ。君は寂しくて泣いて癇癪を起こしている。離れていかれたら悲しいくせに、どうして行動と心が逆なの? ほら、君がそういう態度だから、ウェスタが戸惑っているじゃないか」
ふくろうは、膝を抱えたままのアイリーンの上空で、うろうろと旋回を繰り返している。
主の元で羽根を休めたいのに、また振り払われるのではないかと怯え、諦めきれずに近づいては離れていく。
「あんたに何がわかるっていうの?」
「判らないさ。僕は君じゃない」
「なら口出しするな、出てけ!!」
「僕は君に用事がある」
「私にはない!!」
少女は、手元にあった枕を引っつかむと、またもやセイランめがけてぶつけてきた。
彼は今度も易々とかわすが、勢いづいたそれは、空に放物線をかき、戸惑うふくろうの羽根を掠めた。
バサッ……バサバサッ!!
ウェスタが更にアイリーンとの間に距離を取る。
セイランは気だるげにため息をつき、腕を組んで目を眇めた。
「罪ないふくろうに八つ当たりするな。彼は君の友達じゃなかったの?」
「もういらないもん。あんな裏切り者」
「……あ、そう……」
セイランの言葉が終わると同時に、空気がひゅっと鳴った。
すぱっと肉の筋が断ち切られる音、空にいたウェスタの体が真っ二つに裂ける。
血飛沫が辺りを赤く汚し、鳥はぱさりと乾いた音を立て、床に落ちる。
切られたことがいまだ判らなかったのか、二つに分かれた体が、今までのようにそれぞれの羽を動かし、二度、三度と羽根を微かに持ち上げ…………やがて、くったりと動かなくなる。
「あ…あああああ……」
アイリーンは、口元に握りこぶしを当て、ガタガタと震えた。
「………嘘、……ウェスタ、ウェスタ…………!!」
「いらないんじゃなかった?」
「なんてことするの!! よくもウェスタを―――――!!」
毛を逆立てた少女は、怒りに駆られてセイランに飛びかかってきた。
彼の襟をむずっと掴み掛かみ、絞め殺さんばかりに揺さぶる。
彼をきつく睨んだ双眸からあふれ出た涙が、いく筋も頬を伝って滴り落ちる。
だが、彼女の勢いは、急にぴたりと止まった。
名を呼ばれ、空を虚しく旋回していたウェスタが、うれしげに彼女の肩へと停まったのだ。
「…幻覚……だったの……」
セイランは首に手をかけられたまま、平然と頷いた。
「ほら、大切じゃないか」
「あんたね」
「でも、いつかウェスタは君を置いて先に死ぬから、今のままじゃ、いつか君は一人になるね」
気色ばんだアイリーンの平手が飛ぶが、セイランは黙って殴られてやるようなお人好しではない。12の少女の手を、やすやすとつかみ上げて腕を捻る。
「この塔、人の気配がないね。君、ウェスタ以外と最後に人と接したのはいつだい?」
「あんたには関係ないじゃない」
「いつかは別れる事を恐れて、君はもう一生誰とも交流を持たないつもりかい? そんな風に子供を気取って時を止め、一体もう何年だ? とっくに君は成人になっているんだろう? 君は一生成長もせずに、このまま朽ち果てるつもりなのかい?」
今度こそアイリーンは目を見開く。
「なんで!!……あんた、そんなことを………」
「魔導士の端くれなら、セイランの名前は知らなくたって、大天使レミエルの名前ぐらい聞いたことあるだろ。【真の幻視】を統括するのは僕だ。僕にはどんな虚偽も嘘も目くらましも通用しない」
民間の伝承でも、レミエルは最後の審判に、罪人の魂を導く役目を持つと伝えられている。そんな役割を持つ天使を前に、嘘や心にもないおべっか、または偽りを口にするだけ無駄なのだ。
逆に目の前にいる訳わからない天使が、実は古文書に頻繁に名前が出てくる高名な大天使だったと知った少女は、半端に学があるからこそ、目の前の天使には嘘が絶対通用しないと思い込んでしまった。
誰だって心にやましいことを抱えている。
人に言えない悔恨とてあるだろう。
なのに自分の心を見透かされた上、『お前は醜い、汚い、嘘つきだ』と、自分が知っている後ろめたい思いを、白日の元にさらけ出されて断罪されることは、心が千々に裂かれる程辛い筈。
アイリーンも例外ではなかった。心に多くの闇を抱え、自分の時を止めてしまった少女は、自分の醜さを突きつけられる恐怖に脅え、手足を振り回して暴れ始めた。
「あんたには関係ないじゃない!! あんたに何がわかるっていうの? 出てって出てって出てけ――――!!」
「君の気持ちなんて僕は知らないと言っただろう? 嘘つきな唇だね。本心と真逆なことばかり発して何になる。人は一人で生まれて、一人で死んでいく。誰だって一人だ。君は人一倍一人が嫌な癖に、自ら孤独に浸って泣き喚いている。全く馬鹿な娘だ。図星つかれてそんなに痛いか?」
「あんたに何がわかるの。時を止めて何が悪いの? 12歳のある日、母みたいに優しかった姉が、突然大好きな祖父を殺して消えちゃったのよ。大好きだった義理の兄だって、姉さん追いかけて、出ていっちゃった。私をここに置いて、独りぼっちにして……、急に姉にも義兄にも、何もわからないまま捨てられて……、私が殻に閉じこもって何がわるいのよ!!」
アイリーンは、メチャメチャ手を振り回してセイランから離れると、床にしゃがみこんで顔を覆い、声を上げて号泣した。
「セイラン、ちょっと酷すぎますわ」
眉を顰めたロザリアが、駆け寄ってきた。アイリーンの肩に手を回し、咎めるようにセイランを見る。
だが、セイランはゆっくりと被りを振った。
今は、この子を救わねばならない。ロザリアの半端な慰めなんて、何の役にも立ちはしない。
小さな心に隠し続けてきた心の傷、彼女の時を止めてしまった痛みと孤独を、今癒せねば……彼女は一生このままだ。
セイランは膝をつき、ぽしっとアイリーンの短い金色の髪に手を置いた。
今まで親友のゼフェルとアンジェにしか告げていない秘密を、セイランの心の奥にしまった傷を、噛みしめるように口に乗せる。