どしゃ降りの涙♪
日の光を編み上げたような肩までの金髪は、ゆるくウェーヴがかかってふわふわと揺れ、彼を見上げる零れ落ちそうなぐらい大きな翡翠色の瞳は、既に涙に潤んでいる。
既に黒いウワサが天界に蔓延しているセイランの執務室に、臆すことなく飛び込んできた可憐な少女に驚いたセイランだったが、インフォスに派遣されたアンジェという名前に聞き覚えがあった。
(………そうか、この娘が例の『クラヴィス・ウリエル』の息女か……)
幼年学校の卒業を間近に控え、『貴方は優秀だから』とディア・ガブリエルに騙されて、勇者の守護などという物騒なお役目を与えられた間抜けな幼い少女の噂は、情報通のチャーリーから聞いている。
自分を庇い目の前で妻に死なれ、かつて天使軍の猛将クラヴィス・ウリエルは抜け殻となってしまった。ジュリアスは自分の友で、己と並ぶ彼の戦力を惜しんだ。できれば軍に復帰させたいと望み、姑息にも、クラヴィスの愛娘を無茶な任務に大抜擢したのだ。
自主的にクラヴィスがアンジェの任務に力を貸せば、働いた前例になる。
となれば、後はいつものようになし崩しに口先で畳み掛ければいい。
そんなあざといきっかけを作る為に、巻き込まれたこの少女も立派な被害者である。
「セイランさま、シーヴァスは……? 私のシーヴァスは何処にいるんです?」
ポロポロと大粒の涙をこぼし、泣き崩れたいのを堪えている少女は、セイランの目から見ても、あきらかに人が良く、騙されやすそうだ。
本来ならそのまま上の学校に進むか、ルヴァの管理する天界の図書館の司書見習、ジュリアスの白薔薇園の管理見習、ディア・ガブリエルの女官等、心穏やかな職種が向いているだろう。
ちくっとセイランの良心が痛んだが、彼が決めたエミリア宮の規律に例外はない。
入宮した者の名が刻まれる名簿を手に取り、ページを捲ると……シーヴァスの魂はつい5分前に迷宮の最上階に入っていた。
「………いいかい君、絶対シーヴァスっていう奴の魂は、迷宮の扉を潜った所の階層にいるから、変な階段を見つけても下に降りちゃ駄目だからね……」
「はい、ありがとうございます!!」
アンジェは涙目でコクコク頷くと、セイランが指し示した壁にある扉に、体当たりする勢いで飛び込んでいった。
1階層目は、せいぜい鬼や屍や骨だけの化け物が、うろうろ闊歩する程度の地獄だ。剣を多少使える天使なら、怪物達に、齧られたり叩かれたりされずに、目的のものを見つけることができると思うが……。
(…………あの子、剣持ってたっけ?………)
セイランの額に、嫌な汗が一筋流れ落ちた。セイランの観察力に優れた目が捕らえた所、彼女は確か手ぶらだった気がする。クラヴィスの娘なら、ジャハナに落とされた罪人の魂のあしらい方に熟知し、魔物を退ける魔法ぐらい取得しているかも……と、思い込もうとしたが、あのほえほえした娘には虚しい期待だと勘が告げている。
彼の不安を裏切らず、アンジェの≪みぎゃあああああああ!!≫という悲鳴がエミリア宮に響き渡ったのは、その直後だった。
セイランは額を押さえた。
(………この子は絶対常連になりそうだ………)
☆☆
セイランが危惧した通り、アンジェはでたらめに勇者を死なせた。
いくら彼女が天界の被害者だとしても、セイランは無能な者には容赦がない。
同じ勇者を死なせる度、天使へのペナルティで、その魂は自動的に、どんどん迷宮の下層へと入宮する仕組みになっている。
迷宮も6階層も超えれば、アンジェのようなか弱い娘では、勇者の魂を発見するどころではなく、自分の身を守るのに精一杯だろう。
迷宮を長時間さ迷えば、そのうち精神を壊して、廃人になる可能性もある。
≪うぇ〜〜ん……アーシェ、レイヴどこぉ…………!!≫
≪ひぃぃいぎゃぁぁぁぁ〜〜〜〜!!≫
セイランは頭に被っていた枕を壁に叩きつけると、転がっていたベッドから身を起こし、忌々しげに頭を掻き毟った。
アンジェが迷宮に入宮して、既に9日と22時間が経過している。
後2時間以内に二人の魂を見つけることができなければ、セイランはエミリア宮の主として、約束どおりアンジェが守護する二人の勇者の魂を、霊界の門まで送らねばならない。
(……どうしようか……、あいつめ……)
エミリア宮に響き渡る彼女の泣き声は、間近に迫った時間切れの為か、段々狂気じみてきている。
いつものように、迷宮丸ごと結界を張ってしまえば静かになるのだが、そんな事をすれば、アンジェの様子が判らなくなる。
セイランは寝巻き代わりに着ていた長衣に、腰帯を巻き、短銃を差し込む。
もう一度、アンジェに迷宮を出ろと促しても、彼女は絶対に首を縦には振るまい。
ならば魂を放置した階層を、6階から難度の低い1階に変えようかと悩む。
だが、アンジェの勇者達二人は、もう六度も死を体験している。
彼女自身のことは、親の都合で実力の伴わない部署に配属された気の毒な子だと思うけれど、それと勇者の都合は関係無い。
今アンジェが彼らを見つけても、彼女はまた勇者を殺すだろう。
(勇者達の幸せを思うなら……このまま本当に死なせてあげるのが一番かもしれない。でも………、彼女は絶対悔やむ)
金色の髪をふわふわと揺らしたアンジェリーク、一体どういう育ち方をしたのか知らないが、彼女程純粋で単純馬鹿な天使はいない。
セイランが悪意でかき集めた化け物コレクション………ミノタウロスやラミアに追いかけまわされても、崖から転落しても、狂鳥に襲われようが、業火に炙られて火傷しようが、凍土でずぶぬれになり寒さに震えようが、9日間何一つ食料を見つけられず、ひもじくて、雪を溶かした水しか口に入れることができなくても、彼女はこの迷宮を造ったセイランを呪わなかった。
恐ろしくて悲しくて、声が枯れるまで泣いても、勇者の魂を探したいと望み、彼女はどれだけセイランが『帰れ』と促しても、涙で顔をぐしゃぐしゃにしつつも、きっぱりと首を横に振り、彼の手を拒み続けた。
だが、意志があっても実力が伴わなければ意味はない。
セイランは深くため息をつき、目を閉じた。
彼女に集中すると、彼女の思念がセイランに流れ込んでくる。
≪ごめんなさい≫と。
≪私のせいでごめんなさい≫
≪絶対見つけてあげるから、待ってて!!≫
「……無理だよ、君には……」
刻は、無情に流れていき、セイランの予想通り、アンジェは何もできないまま時間切れとなった。
☆☆
過去に何度も霊界の門へ勇者の魂を送り出したが、今日程後ろめたい気持ちで仕事するのは初めてだ。彼女はきっと…身も世もなく泣いてしまう。だが、約束は約束だ。
セイランは管理人の職務を果たすべく、杓丈を手に迷宮の六層目に舞い降りると、真っ暗な空間に、一度だけ杓丈を大きく弧を描いて振るった。
セイラン付の妖精が、復活を告げるラッパを高らかに吹き鳴らした。
空間を賑やかな音が浸透した途端、六回層目の深い森の奥に、大きな光が二つ輝く。
眠っていたレイヴとアーシェの魂が目覚めたのだ。