どしゃ降りの涙♪
セイランは、二つの魂を縛り付けた制約を解くため、彼らの元に舞い降りると、杓丈を大地に二回打ち、彼らを大地から解き放った。
同時に杓丈上部の幾多の鈴が、シャラシャラ繊細な音を立てて鳴り、空に青白い魔方陣が浮かび上がる。
迷宮を抜ける簡易出口だ。
普通勇者の魂は、そこから霊界へ旅立つ。
「さあ、君達の生はこれで終わった。今後は死の恐怖に怯えることもなく、天界の死者の花園で、ゆっくりと過ごすがいい……、行け」
蒼い鎧を着た騎士・・・レイヴと、真っ白のドレスに王冠代わりのサークレットを額に巻いた王女…アーシェは、揃って怪訝気に顔を顰めた。
≪誰よアンタ?≫
≪俺はお前など待っていない。アンジェはどうした?≫
「君達は死んだ。だから霊界に行けと言っている」
≪嫌よ≫
≪俺もゴメンだ。俺にはまだやることがある≫
≪あたしだってそうよ。あんなおぼけなアンジェ残して、くたばれますかって≫
「……あのね、僕は君達の意見なんて、聞いちゃいないんだけれど……」
セイランは忌々しげに、もう一度杓丈を大地に打った。
名前も覚えていないセイラン付きの妖精達が、慌てて駆けつけてきて、アーシェとレイヴの腕をそれぞれ取る。
≪触らないでよ。冗談じゃないわ!!≫
≪切るぞ!!≫
だが、いくら妖精達が出発を促しても、魂は飛びもせずにその辺の樹木に自らしがみついたり、大剣を抜き放って威嚇したりして、全く動こうとしない。
「おいお前達、何をぐずぐずしている?」
≪とーぜんじゃない!! 誰が死ぬと判っててのこのこ行く?≫
≪同感!!≫
自分に堂々と逆らうチャレンジャーは好ましいが、嫌な仕事はとっとと片付けるに限る。
セイランは問答無用で二人を透明で丸い宝玉の中に封じ込めると、空に作った魔方陣に向かって、勢いよくぶん投げた。
一度弾みがつけば、魂は決められた起動に乗り加速する。光が一直線に飛翔するのを、セイランは黙って見つめた。
だが。
「逝っちゃヤダ〜〜!!」
ぱたぱたと不揃いな羽音を立てながら、魂の進路を遮った者がいた。
セイランが目を見張り、咄嗟に叫ぶ。
「あぶない!!」
「きゃううううううう!!」
全身で二人の魂の飛翔を阻んだアンジェは、宝玉を抱きしめたまま、墜落した。
ダンッと、何かがひしゃげるような鈍い音も、無気味にセイランの耳に届く。
「アンジェ!! この馬鹿!!」
セイランは舌打ちし、直ぐに翼をはためかせ、彼女の落ちた方に向かって飛んだ。
(何て無茶なことを!! 馬鹿だと思っていたが、ここまでとは!!)
暴走した馬車の前に、体一つで飛び出して止めたようなものだ。
セイランの目に、魂の飛翔を遮ったその衝撃に、カミソリで全身引き裂かれたような、痛々しい傷を負い、血まみれになって転がっている少女の姿が焼きつく。
だが、怪我を負って横たわっていても、小さくて華奢な手はしっかりと割れた宝玉から飛び出したアーシェとレイヴの手首を掴み、離すまいと握り締めていた。
≪アンジェ!!アンジェ!!≫
≪アンジェ〜〜!!≫
守護天使の異変に、蒼い鎧を着た騎士レイヴと、白いドレスをまとった王女アーシェの二人も、先を争ってアンジェの小さな体に手を伸ばし、抱きしめようと手を伸ばす。
≪死んじゃやだ、やだよアンジェ〜〜!!≫
≪アンジェ!! おい、しっかりしろ!!≫
馴れ馴れしい二人に、目の前が赤くなった。
「貴様ら、どけ!!」
杓丈で二人の勇者を容赦なく払い除け、セイランは血まみれのアンジェの体を抱き起こすと、手のひらに集めた治癒の光を、たっぷりと少女の傷口に注ぎ込んだ。
「お前おい、僕がわかるか!!」
治癒をしながらアンジェをがくがく揺さぶると、彼女は薄っすらと目をあけ、ぼんやりとセイランを眺めた。
「セイランさま……、アーシェとレイヴは……無事? 私、間に合った?……」
「ああ無事だ。今、人界に戻った」
セイランの言葉どおり、セイラン付きの妖精に導かれ、邪魔な二人の魂が下界に向かって旅立っていく。
アンジェの翡翠色の瞳から、じわりと涙が染み出し、両頬に勢い良く滑り落ちた。
「よかっ……た……」
アンジェはうれしそうにほっこり笑い、そのまま安心したのか気絶した。
10日も彷徨い、やつれて頬の肉がそげた顔をそっと撫でる。
セイランの心に、何故か熱いものが込み上げてきた。
―――――どうしてこんなものが存在するんだ?―――――
―――――どうして、こんな娘が存在するんだ?―――――
勇者を見つけるのが間に合わずに、今後の苦労を思ってわが身の不幸を泣く天使はいた。偽善的に「ごめんなさい」と、嬉しそうに泣く奴もいた。けれど……、身を挺して、魂の飛翔を阻止した天使は初めてだ。
「………馬鹿なんだから………」
この娘なら信じられるかもしれない。
この娘なら、傍にいても裏切られないかもしれない。
セイランは、大切な存在となった小さな天使を、そっと自分のマントで包み、両手で抱き上げた。
「……僕だけを見ろ……」
☆☆
「アンジェがいなかったら、僕はとっくの昔に仕事放棄して失踪していたかもね」
そして反逆者の子供だからと墜天使扱いとなり、本当に天界から追放されていたかもしれない。
でも今は、親友のゼフェルがいて、愛しい天使がいる。
「僕はもう孤独じゃない。相変わらず周囲の風当たりはきつくて喧しいけど、僕は今幸せだよ」
「ふ〜ん」
アイリーンの瑠璃色の目が、何だか妙に剣呑となっている。
「でさ、あんたは結局あたしに惚気話をしたかったの?」
「いいや、僕の身の上話にかこつけて、君の背中を一回押してやろうと思ってさ」
しれっと無表情のまま、セイランはベッド隅の小さな造り付けの棚に置かれた、家族四人が笑っている、小さな肖像画を手に取った。
この、アイリーンを真ん中にして、それぞれの肩を抱いているのが彼女の姉と義兄だろう。
「だから、今度は君の番だ」
「え?」
まっすぐな瞳で、セイランはアイリーンの瞳を射る。
「勇者になりな、アイリーン。世界中を旅して、お前を置いていった義兄に会って、どうして自分を置いていったのか聞いて、自分の心に踏ん切りつけて来い」
彼女の幼い瞳が驚愕に見開かれ、やがてガタガタと全身を小刻みに震わせる。
「できないよ・・・」
「できるさ。僕にできて君にできないはずはない。君は嫌になるほど僕に似ている。意地っ張りで自分から殻に篭って、つんつんしてて……、でも自分が納得できなければ、他人の説得なんて無意味なそよ風で、孤独が嫌いで……」
「孤独じゃないもん、ヴェスタがいるもん!!」
「でも、本当は君……大好きな義理の兄と一緒に旅に出たかったんだろ? 子供でも、旅がどんなに辛くても、そいつと離れるよりはマシだったんじゃない? 足手まといだと思われたかもなんて思って一人ここで我慢して残って………本当は義兄に切り捨てられたんじゃないかって悲しんで……そんな想いは全部僕も体験してきたからさ、なんとなくそう思ったけれど?」
「あんた、やっぱり嫌な奴」