魂の契り
そうとは知りながら割り切れない想いを抱えて、いっそ捨て去る事が出来ればと悔やむのは2人にとってはそれこそが今更なのだ。
「人の子らよ、心の準備は出来たか?」
全ての準備を整え、あとは仙人が道を開くのみとなった。
方法は遠呂地がやったモノと変わらず、今度はそれを、逆に分けるだけのものだ。
その方法自体が良く分からぬ人々も、人あらざる術を用いた事だけは分かる。
陰陽の印が、大地に淡く光っている。
幾重にも混ざって輝く光は、なんとも表現しがたい不思議な色合いをしていた。
「此度は遠呂地消滅への助力、誠に感謝している。大変世話になったな。」
「御主らに託して正解じゃったわい。」
豪快に笑う伏犠の声が、凛と放つ女?(カ)の言を飾る。
張り詰めていた空気が緩和され、再び世が一時平和になった時、3人は優しく微笑んだ。
感謝と、人に対する新たな可能性を見出して。
「世話になった、劉備将軍。」
「何。太公望殿がいらして下さったからこその勝利です。」
「ようやったな左近!御主を選んでほんに良かった。元気でな。」
「全く、大変でしたよ。・・・まぁ、悪くはなかったですけどね。」
「孫堅殿、誠に世話になった。俺も心置き無く、元の世へ戻れる。」
「お前が居ないと寂しくなるな。元気で暮らせ。」
「曹孟徳。貴様ならこの乱世、必ずや生き抜けよう。達者で暮らせ。」
「ふん、言われるまでもないわ。この儂の生き様、天界よりしかと見ておるが良い。」
皆が皆、それぞれに別れを惜しむ中、それぞれ各々との別れを告げ、
最後に、言うべき相手を残していた為、向き合った2人は、どちらともなく言葉を発せずにいた。
時間は有限。然るべき時に為すべき事を為さねば。
しかし、合わされた視線が互いの心情を言葉以上に雄弁に語っており、余計な言葉など一切必要無いようにも思えた。
ただ、三成も曹丕も、言葉の重要性を、よく知っている。
言葉でなければ伝わらない事も、拭えない想いがある事も、分かっていた。
誰よりも言の葉を必要としない2人だからこそ、より一層の形を欲している。
だのに、やはり何も言えないままなのだ。
「それでは、門を開く。」
そう言うと、3人の仙人は揃って何事か呟いた。
三国の言葉とも戦国の言葉とも違う、不可思議な言葉。
しかしその言葉が鍵となり、光輝いていた陰陽の印が更なる光を発し、地面を割った。
途端に起こる地響き。
下から吹き上げる光の風に、小石や土煙が浮遊する。
ふと気付けば、視界に映る顔ぶれが、薄くなっていく。
手を伸ばせば触れられる距離なのに、手は空を切り、更にぼやけていく。
何なら残る。
最早相手に触れる事は叶わない。
目か、耳か。
どちらでも良い、可能な限り、目に、耳に、焼き付けたい。
届くかは賭。歪んでいく姿に向い、投げ掛けるのは、哀しいまでの、祈り。
「三成。」
「曹丕。」
互いの名など、もう呼ぶ事も無い。
「貴様が居てくれて、良かった。」
「お前に会えた事だけは、遠呂地に感謝したい。」
その、麗しき、だが愛想の無い顔を見る事も、もう無いだろう。
「呆気無い終わりだ。」
「お前に会えないとなると、これからの生が味気なくなるな。」
存外寂しがりなその体を抱いて、温め合う事も。
「二度と、会う事は、無い。」
「本来ならば、会えぬ者同士だからな。」
そして何より、互いの存在を探しても、何処にも得る事は、無い。
「・・・・・・別れ、だ。」
「そうだな。」
触れる事の叶わない互いの手を、握る。
最後まで残った顔は、双方悲しげに笑っていた。
「出来得るならば、会いに行ってやる。」
「お前が泣き出す前に、夢の中ででも会いに行くさ。」
だから。2人の言葉に、別れを示すものは無い。
「それでは、な。」
「あぁ、またな。」
好きだとも、愛してるとさえ言えない、不器用な2人。
だが欲しいのはそんな簡単なものでは無い。
不安定な代物など、不要なだけだ。
欲しいのは、感じていたいのは、相手を想っていられる、確証。
決して忘れないと言う、誓い。
そして、叶うとすら思えない、愚かしい程の、切望。
互いの顔が消える頃、世界は確かに、元に戻っていた。
それから、幾年の月日が流れたか知れない。
ただ我武者羅に、脇目も振らず、生きてきた。
彼方へと想いを馳せながら、生きていると言う不毛にも近い希望を込めて、前へ進むだけの日々を。
一時は同じ志の下に結託した面々は、やがて再び雌雄を決し、戦乱の世へと堕ちて行った。
人が生きている限り終わる事の無い、争いの歴史。
繰り返す事の無いようと悲しげな瞳に確かな決意を湛えて言ったあの人は、何所か遠い所へと行ってしまった。
一人、たった一人。
他人なのに何処か似た、己の半身のような存在を失って、もうどれ位か。
ふと横を見ても、後ろを見ても、当然の事ながら在りはしない姿を探して、無駄だとは思うも、心で語り続けた。
今、どうしているか。
元気だろうか。
・・・会いたい、と。
暗く狭い、牢屋の中、強烈なまでの白刃の光だけが差し込む、虚無の空間で。
まるで走馬灯のように長く激しかった時代を思い起こす。
何時であっても波乱に満ちた生であったと自嘲を洩らす三成だが、一際そうするのは、やはりあの、奇跡のような時間だった。
冷たい夜風が、温く不快な場へ、清廉な空気を運び込む。
それに触れ、吸い込んで、自身の一部にする。
そう言えば、あの時もこんな夜であったと、三成は思った。
忘れた事など一度も無く、彼の人との思い出は、何があっても三成の心の中から消える事は無かった。
吹く風が頬を撫ぜる。
突然、風と共に、白い靄が入り込んだ。
煙とも取れるそれは、次第に形を取り始める。
三成は微笑み、愛おしげに手を伸ばした。
「随分と、遅かったではないか。」
そう、語り掛ける三成の視線の先には、白い靄が形作った、懐かしき、否、愛しき人の姿があった。
『そう言うな。ここまで来るのも大変だったのだ。』
その姿は、記憶にあるままで、ただ自分だけが老いてしまった三成は、苦笑を禁じ得ない。
彼の死期は、古代の書物より知り得ていた。三成と然程変わらぬ年齢で亡くなっていた事も。
だのに何故彼は若いままなのか。全く持って理解が及ばない。
だが、それでも会えた事がそれを上回り、世の柵すらも、全てを捨てる事が出来た。
『そう言う貴様こそ、終ぞ現れなかったではないか。』
「仕方が無かろう。俺も忙しかったのだぞ?」
クスリと笑って、互いの顔を見遣る。
互いにどれ程の年月を重ねても、絡ませる視線はあの頃と全く変わりが無かった。
どれだけ離れていても、結ばれた絆や想いは、色褪せる事も無く、より募らせていったのだ。
「お前が此処に居ると言う事は・・・迎え、か?」
『・・・・・・さぁ、どう思う?』
「茶化すな。まぁ、どちらでも良いがな。」