世界の終末で、蛇が見る夢。
*(nueno)
「鵺野くん、ちょっとちょっと」
2時間目が終わって次の授業の準備のために職員室へ向かうと、入り口で待ち構えていた校長の手招きを受けた。小柄なスーツ姿でおいでおいでとやっている。
「あ、はい、何ですか?」
「さっき君宛の電話を受けてねえ、その事でちょっと」
「…除霊の依頼か何かですか?」
「うん、まあ、あまり突っ込んだことは聞き出せなかったけれど、どうしても君に相談に乗って欲しい事があるそうだ。これが依頼人の名前と、連絡先ね。まあ、君を頼ってくるんだから大なり小なりそういう内容だろうけど」
渡されたメモ用紙には、万年筆で書かれた年相応の几帳面な文字が並んでいる。
「…巴(ともえ)薔子(しようこ)、さん。はー、なんか格好いい名前ですね。ご年配の方、ですか?」
「いや、君よりすこし年上くらいじゃないかと思うよ、とても通る感じの声だったから多分ね。まあ、女性の年齢は難しいから…。そうそう、一年の三伏(みぶせ)兄妹の、年の離れたお姉さんから紹介されたとか。緊急ではないと口では言っておられたが、何とはなしに唯事ではない雰囲気を感じたねえ。授業が終わる三時頃に訪ねると言っておられたから、よろしく頼みましたよ」
「はい、分かりました」
校長は、小学校の校長としての資質もさることながら、マネージャーとしての腕も大した物だと思う。今回みたいに俺が授業中の電話応対とか、さり気ない雑談の中からそれとなく依頼主の様子をうかがったりとか。――お陰で冷やかしの類などうまくふるい分けてくれる。俺は霊能力者ではあるが教師だ。だから教師としての仕事は疎かにはしない。命に関わるような場合は仕方ないけれど、基本は当然、本職の方を優先させている。
ただ特命を受けている身としては『こちら』の仕事も蔑ろにはできないのが現実だ。そんなんである意味特別扱いされている訳だけれど、他の先生との軋轢とかがあまり起きないように取りなしてくれているのも、実は校長の力によるところが大きい。こういうのって、やっぱ人徳だよなあ。
*
先に校長室(別に応接室はあるけれど、諸事情でこの部屋を使っている)へ通されていたその女性は、一見ふつうの人だった。いや、容姿だけを言うならかなりの美人だ。少し影のある、どちらかと言えば和のイメージを喚起する女性で、少しリツコ先生と似てて長い黒髪、きれいにカットされた前髪がモデルみたいによく似合う。
仕事帰りだとかで、ほどよく体の線になじんだベージュのスーツに薄手の白いスカーフ…襟元から窺える胸も程よく大きくて…結構スタイル良さそう………っていやいや、何を見ているんだ俺! 仕事だ仕事、ちゃんと話聞かなきゃ。
いや、だって彼女、俺のことじーっと見ているんだ。…異形の潜む、黒い左手を。
俺と初めて会う人のだいたい、10人中10人は、まあ、まず俺の左手を気にする。たまに口に出して聞く人もいる。遠慮がちに、あるいは無遠慮に、あるいは好奇心むき出しで。
彼女はあいさつのあと、ソファに腰かけ俺が話を促すまで、まるで魅入られたように一心に俺の左手を見ていた。封印をしてあるのだから、普通の人には左手の正体は分からない筈なのに、怖いモノを見たかのような、嫌悪する何かを見るような、…同時に焦がれてやまない誰かを見るような、そんな風に見ていた。
…何という目で、何を思ってこの手を見るのだろう。上手く言い表せないけれど、その視線に何故だか不快感は起らなかった。むしろ……その、…少し性的な恥ずかしさのようなものを感じていた。こんな事は初めてだ。
居たたまれなくなって声を掛けると、ハッと正気に返ったように顔を上げ「済みません」と頭を下げた。――目が合った瞬間のこの感情を、なんと言ったらいいだろう。だが、今は俺個人の感想は後回しだ。
何とか気を取り直して聞いた、依頼の内容(というか相談)はこうだ。
社内恋愛をしていたけれど、上司でもある恋人(井原(いはら)行(ゆき)人(ひと)さんと言う)が急に消えたという。蒸発とか家出とか、はたまた誘拐だとかそんなんじゃなくて、文字通りに存在が丸ごと消えたらしい。どうして自分だけが覚えているのかは分からないけれど、彼女は彼が消えた理由が知りたい。出来れば見つけて欲しい。それが無理でも間違いなく彼が『居た』という痕跡、証拠が欲しい。そう俺に告げた。
彼女の話がすべて真実であるとするならば、霊的な…というよりも神がかり的な感じがする。存在がなくなるだなんて『神隠し』のレベルですらないからだ。だとしたら、これは正直俺の手には余る。それでももちろん出来る限りのことはするつもりだ。
少し伏せ気味の目元にはうっすらと隈ができている。
存在自体が消えてしまっているので、警察に捜索依頼をすることもできないと言う。心無い人からは「妄想彼氏だったんじゃないの」とか酷いことを言われたこともあるらしい。可哀想に。ただでさえも恋人が行方不明という痛手を負う中、そんな言い方されたら辛いだろう。
俺には嘘を言ってるようには見えなかった。仮に「妄想彼氏」が真実(ほんとう)だとしても、喪失の哀しみから彼女を助けてあげたい、力になりたい。そう思った。
とにかく、しばらくは時間を割いて調べてみようと思い、その旨を伝えると彼女は安心したようにほほえみ、よろしくお願いしますと頭をさげた。艶やかな髪の毛がさらさらと肩を滑る。
少しでも気持ちをほぐそうと、少しの間雑談をした。もっぱら俺のクラスでの日常を面白可笑しく話すと、ようやく彼女は笑ってくれた。…本当に、きれいな人だ。
彼女が帰るときに見送った後姿の印象は、柄にもなく花のようだと思った。名前よりは控え目な、けれどもすらりと涼しげな菖蒲(しようぶ)みたいに。それは隣にいた校長も同じだったらしく「いずれ菖蒲(あやめ)か杜若(かきつばた)、か。鵺野くん、惚れちゃあ駄目だよ」と釘を刺された。けして長くはない付き合いなのに、けっこう惚れっぽいところはお見通しだったりする。さすが年の功。
*
さっそく次の日から――ちょうど土曜日で二人とも休みだったので、彼女の記憶を頼りに彼の住んでいた場所や思い出の場所などを尋ね歩いたり、霊水晶で残留思念を探ったりで時間を費やした。
初日は、彼女と彼がよく行ったというファミレスで晩ご飯を食べた。二日目は彼女のおすすめだという喫茶店でランチをした。その日の夕方は彼女のアパートで手作りの晩ご飯をご馳走になった。
断っておくけど、あくまでも調査の一環であって、決してやましいことなんか少しも……って、それはおいといて。彼女のアパート…というかマンションというかには正直参った。
建築当初は洒落たビジネスホテルだったらしいが、世の移り変わりに置いていかれて次第に廃れ、持ち主はどこかへ行ってしまって、今は違う人間が管理をしている。近所の人曰く『幽霊屋敷』で、確かに『出そう』な外見。周囲はおせじにも開けているとは言い難い、うっそうとした雰囲気…はっきり言って女性の一人暮しには環境的にもお薦めできない。というかよくもまあこんな場所を選んだものだ。
作品名:世界の終末で、蛇が見る夢。 作家名:さねかずら