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それは何も無いところからはじまった

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 緑茶のそそがれた湯のみを包み込むように両手で持った本田はころころと軽やかな笑い声を立てる。まるで子供扱いされているような気がして、思わずむっとして眉根を寄せる。
「ガキ扱いするんじゃねえよっ。どうなんだよ、実際……」
「さあ、妖狐はいますが、ひとを食べるなどということは聞いたことありません」
「じゃあなんでーーー」
「貴方は自分の居場所を面白半分に侵されて不愉快になりませんか?」
「……」
「妖狐にも意思というものがあります。それは、妖狐に限ったことではない」
人ならざるもの。山に住まう動物。みな、一緒です。滔々と語られる本田の言葉に、アーサーは視線を落とした。ゆらり、と湯のみの中で緑茶の水面が揺らぐ。そこに歪んで映る自分の顔。酷く情けない表情をしていた。
「お分かりいただけましたか?」
「……あぁ」
「それは良かった」
 ことり、と湯のみを置いた本田は立ち上がり、引き戸に手をかけた。その体勢でふと肩越しにアーサーを振り返る。視線に気づいたアーサーが顔を上げると、本田は黒曜石色の双眸を眇めた。
「本田…?」
「雨が」
「……?」
「雨が降りだしたようです」
「…え」
「山の天気はつくづく気紛れですね」
雨が止むまでこちらに居られると良いでしょう。そう言い残して引き戸の向こうへと姿を消した。
 アーサーが見上げた先にあった小さな窓枠から見える外は、確かに雨が降っていた。
「この分じゃ、しばらく止みそうにないな」







 暇つぶしになにか興味の持てるものはないものかと部屋を見渡した時だった。
 はた、と。とあるものと視線が交わってアーサーはぱちりと瞳を瞬いた。相手も視線が合ったことに驚いているのか、固まって動かない。さてどうしたものかと胸中でひとりごちた。
 目があってしまった相手。毛むくじゃらの手の平サイズの毛玉みたいなもの。その毛玉は大きな一つ目があって、それが焦燥を表すかのように忙しなくきょろきょろ動いている。目玉はあるが足はないのだろかと思って見つめていると、毛玉はぴゃあと鳴いて(……鳴いたんだよな)転がりだした。そしてそのまま近くの壁に吸い込まれるようにして消えた。正確には、壁をすり抜けていったというべきか。
 毛玉が現れて逃亡するまでの時間はおよそ数十秒ほど。あっという間の出来事だった。
「……あれが妖怪か?」
 小首を傾げながら、アーサーはぽつりと呟いた。
 アーサーの国にも妖精と呼ばれる類の存在がいる。そういった存在は常人の目には映ることはない。だがアーサーは生まれつき、見えないものが見える。幼い頃からそうした存在を認識しており、現在でも時には妖精たちと言葉を交わすこともあったため、耐性があったのだが妖怪側に耐性がなかったようだ。少し悪いことをしてしまった感じがして、ひとり気まずくなって頬を人差し指でひと掻きする。
 しとしと、と聞こえてくる雨音を背景に、アーサーは再びひとりきりとなった室内でぼんやりとしていた。
 窓枠をくぐり抜けて直接吹きこんでくる生ぬるい湿気を帯びた風が肌を撫ぜて髪を揺らす。
 アーサーは気を抜けば溢れそうになるため息をかみ殺し、退屈凌ぎになるものを探そうと立ち上がった。とはいえ、ここは他人様の家であるしパッと見で室内に物というものが置かれていないので探す以前の話になるのだが。
「……この部屋から出るなとはいわれてないしな」
 声に出すことで自分の行動を正当化してみる。きしきしと音を立てる木板を踏みしめて引き戸に手をかけてそっと横に引く。別に悪いことをする訳でもないのに、なぜか音を立てないように慎重になってしまう。
 引き戸の向こう側にあったのはしんと静まり返る長い廊下だった。左右を見渡してひとの気配を探すが、見つからない。アーサーは廊下に出ると気の向くままに右側へ進みだした。
 雨が降っているせいで気温が下がっているのか、素足で踏みしめる床が冷たい。まだ冬というにははやい時季だと思うのだが、山中だから気候が違うのかもしれない。はあぁ、と吐き出した息が若干白く濁ることにわずかに目を見開いたが、アーサーは引き返さずに進み続けた。一体どのくらいの規模があるのだろう。最初は小屋なのだとばかり思っていたのだが、どうやらアーサーが寝かせられていた部屋は離れだったようだ。
 ひたすら続く廊下に、アーサーは不思議に思いつつも行き着く先を知りたい好奇心に駆られるまま歩く。曲がることもなく、途中に戸があるわけでもない。そうして歩き続けていると、不意に雨音に混じってすすり泣く声が聞こえた。ぴたりと足を止めたアーサは耳を澄ませて発信源を探す。
 ……で……っ、うぅ
 聞こえてくる声は幼子のものだった。一体どこから……そう思って何気なく振り返った。
「……っ?!」
 アーサーの後方、一メートルほど間を置いたところに桃色の着物を着た少女がうずくまって顔を覆っていた。ぎょっとして思わず後退ったアーサーは視線をさまよわせたが、すぐに意を決して少女に近づいた。泣き続ける少女に声をかけあぐね、結局出てきた言葉は、
「痛いところでもあるのか?」
紳士とは程遠い台詞だった。さすがにこれはないだろう、と自己ツッコミをしつつコミュニケーションが不器用な青年は少女の反応を待つ。
 少女はアーサーの声に反応してぱっと顔を上げた。大きな黒真珠のような瞳が涙に濡れて揺らいでいる。
「……この長い廊下で迷子にでもなったのか?」
「ち、ちが、うの……さまが」
「?だれだって?」
「きくさま、が」
「きくさま?」
「しん、じゃうって」
「……その、きくさまはどこにいるんだ?」
「あっち」
 すぃ、と小さな人差し指が向いた方向はアーサーが進み続けていた先だ。アーサーはもう一度少女を見ると手を差し出した。きょとんとする少女に、アーサーは安心させるように少しだけ笑みを見せた。
「俺が一緒に行ってやるから。きくさまの様子を見てみよう。もしかしたら無事かもしれないだろう?」
「あ、ありがとう……」
 アーサーの言葉に少女はおずおずと小さな手を彼の手のひらに重ねた。アーサーはそっとその手を握り返した。
 ぞっとするくらい体温の感じられないことに気づかぬふりをして。



 おそらく、アーサーを山中で拾ってくれたあの黒髪の人物も人間ではないのだろう。
 部屋で見かけた毛玉といい、いま一緒にいる少女といい。人ならざるものたちがいるのだ。
 ひたひたと響くふたつの足音としとしとと振り続ける雨音。
 まるで外界から隔離された世界みたいだ。
 通りかかった窓枠の外を見れば雨煙でぶれる景色が見える。
 やがて、永遠に続くのかと思われたそれは唐突に終わりを告げた。
 青年と少女の目の前に現れた扉。そこで廊下は絶えていた。歩を止めたアーサーを残し、少女はたたっと小走りになって扉へ駆け寄ると、手をかけた。
 からり、と存外軽い音を立てて引き戸が開かれる。戸を開いた少女はそのまま奥へ姿を消してしまった。アーサーはその場で一瞬だけ悩んだが少女を追うように部屋へと踏み入れた。
「……?」
 鼻をつく香の匂い。空気が滞った室内で煙が渦巻くようにうごめいている。
「おや、居らしたのですか」