無人島に持っていきたいもの
「そう。迷惑っちゃ迷惑なんだけど、なんか変わっちゃったみたいで少し寂しいような気もするわ」
まあすぐに慣れるだろうけどね、と溜息を吐くナミに、サンジは誤魔化すようにへらりと笑う事しか出来なかった。
来る。
サンジがそう感じてからきっかり十秒後、ラウンジのドアが外側から開けられた。
予想した通りの男がそこに立っていた。
ゾロだ。
また来たか、とサンジが思わず眉を顰めると、途端に彼はふっと肩を揺らした。
笑っている。
細めた目でサンジを見ながら、至極楽しそうに笑っているのだ。
「何か用かよ」
うんざりした顔でそう言ったサンジに、ゾロがいやいやと首を振る。
「気にすんな」
妙にきっぱりと言うのに、カチンとくる。顔見て笑われて気にならねェ奴がいるかよ。そう怒鳴りつけてやりたかったが、あえてぐっと飲み込んだ。
顔を顰め、ならば無視を決め込んでやろうと手元の作業に集中する。昼食後の大量の洗い物を手際良く片付けていると、ひょこひょことこちらに寄ってきたゾロがバースツールに腰掛けた。丁度、洗い物をしているサンジの目の前にだ。
軽く睨み付けるが、ゾロはそよ風ほども感じていないような顔で変わらずにやにやと笑っている。舌打ちしてやりたいのを堪えつつ、サンジはひたすら洗い物に没頭した。
笑いながらサンジをじっと見ているゾロと、顔を顰めてそれを無視し続けているサンジ。はたから見れば、かなりおかしな光景だろう。
時間にして、およそ二、三分だろうか。にやけ顔でサンジを見続けていたゾロは、満足したようにすっと立ち上がると何事もなかったかのようにラウンジを出て行った。
ふう、と溜息が漏れる。
あの男は一体何をしたいのだろう。ロビンが言っていたように、喧嘩でもふっかけているつもりなのだろうか。
だが、なんとなくそんな風には見えないのだ。構って欲しいんじゃないの? とも言われたけれど、そういう感じにも見えない。ただ見に来て、満足したから帰る。そうな風に見えて仕方ないのだ。だからこそ、やり辛くて対応に困ってしまう。
笑いながらこっちを見ている顔には、どういうわけか嫌味さが欠片もなかった。目でも合えば、ぱかりと口を開けておかしそうに笑う。小馬鹿にする時の見下すようなあの笑い方とは違い、本当にただ楽しいから笑っているような顔で笑うのだ。
一味がバラバラになっていたこの二年間、サンジに色々あったようにあの男にも色々あったのだろう。多分それが、あの男をあんな風に変えてしまったに違いない。
ゾロは変わった。内面も、そして外見も。
ゾロと再会した時の事を思い出し、サンジはふっと目を伏せた。
二年ぶりに会ったゾロは、片目を失っていた。
額から頬へとまっすぐに伸びた傷が左目を塞ぎ、開かなくなっていたのだ。
それを目にした途端、サンジは咄嗟に言葉が出て来なかった。世界一の剣豪目指してる男が何やってんだよ。わけのわからない感情のままにそう罵ってやりたいのを、ぐっと口を噤んで堪えた。その傷を負ったのは彼で、一生消えない傷に誰よりショックを受けているのは彼自身だと思ったからだ。
だが、目の前に立ったゾロの反応は予想外のものだった。
サンジを見て極限まで右目を見開いたゾロは、しばし絶句した後腹を抱えて笑いだした。
眉毛、とか、髭、とか、短く単語を漏らしつつ、ゾロは笑いの衝動で会話も出来ないほど盛大に大笑いした。彼の目の傷に戸惑って混乱していたサンジは、その反応が理解出来ずにただ困惑するだけだった。正直、頭がどうかしちまったんじゃないのかとあらぬ心配までしたくらいだ。それほどゾロの笑い方は激しく、爆発的だった。
サンジがはっと我に返り、会うなり笑われるという事態に正しく怒りを感じ始めた頃になってようやく、ゾロの笑いの衝動は治まりを見せ始めた。
身を折って笑っていた彼が顔を上げるのに、サンジは怒りを込めてその目を睨み付けてやった。
何笑ってやがんだテメェ、笑い事じゃねェだろうが。
そう怒鳴りつけてやろうとしたサンジの目の前で、ゾロは再び笑った。今度は目を細めて、本当に愉快そうにだ。
見た事のない笑顔だった。笑みを浮かべていてさえどこか険を滲ませていた彼が、それこそ子供のように屈託のない顔で笑った。
笑いながら、ぐっと人差し指を突き出す。
「相変わらず面白ェなあ、てめェは」
言いながら、ゾロは指の先でぐいとサンジの眉間の辺りを擦った。左の眉の付け根の辺りだ。分け目を変え、露出した眉間を弄っているのだろう。
二年前も、何かにつけ彼はサンジの特徴的なくるっと巻いた眉を馬鹿にしていた。それが原因で取っ組み合いの喧嘩に発展する事も少なくなかったくらいだ。
だが、その時のゾロの様子は二年前とはなんだか随分違っていた。笑っているのに、馬鹿にしているような気配は感じられない。ただ本当に面白くて、楽しくて、笑っているような。
その笑顔に毒気を抜かれ、結局サンジは笑われた事に対して文句らしい文句の一つも言う事が出来なかった。
それが良くなかったのだろうか。以来、ゾロは一日のうちに何度もふらりとサンジの元にやって来ては、面白そうに笑って帰って行くようになってしまった。
特にからかったり馬鹿にしたりする様子はない。本当にただ見に来るだけなのだ。面白くてつい時々見に来てしまう。そんなニュアンスでふらふらと覗きに来ているように思えて仕方ない。
ゾロが出て行ったラウンジの扉を睨み付けながら、サンジは顔を顰めて考えた。一体何がそれほどあの男のツボに嵌ったのだろう。
顔を見て笑われるなど、当然ながら全く気分の良いものではなかった。けれど、ああも屈託なく笑われてしまうとどう突っ込んで良いものかわからなくなるのだ。
見た事のない笑顔に戸惑っているのかもしれない。元々自分達は、屈託無く笑い合うような間柄でも無かった。ナミが言っていた通り、顔を会わせれば喧嘩をしているような仲でしかなかったのだ。そんな自分に、どうしてあんな顔で笑うのだろう。全く理解が出来ない。
それに、ゾロの奇行はそれだけではなかった。
一味集結を祝う宴の時の事だ。
今こそ二年間の修行の成果を見せる時だぜと、サンジはこの二年の間に覚えたレシピの数々を腕に縒りを掛けて拵えた。料理を口に運んではいちいち歓声をあげる仲間達の反応を笑いながら眺めていると、ふと横顔に視線を感じた。
そちらに目をやると、ゾロが驚いたような顔でサンジをじっと見つめていた。また笑う気かと身構えるサンジに、ゾロはひどく感心したような声でこう言った。
「すげェな。すげェ美味い」
その言葉に、今度はサンジが目を見開いた。
こいつがそんな事を口にするだなんて、本格的に頭の検査をチョッパーに頼み込んだ方が良いんじゃないだろうか。本気でそんな事すら考えたくらいだった。
二年前の彼は、サンジの作る料理に自ら感想を漏らした事など一度もなかった。いつも当たり前のような顔をして、黙々と皿の上のものを片付けていくだけだった。
メシなんて、生きてくのに必要だから食うようなもんだろ。美味ェか不味いかなんてどうでもいい。
作品名:無人島に持っていきたいもの 作家名:カレカレ