MM・プレビュー
始まりに理由がなかったから、終わるときもそうだろうと何となくエドワードは思っていた。そんな風になるのは、そこまで長い人生ではない、ロイを相手にしたその体験以外になかったけれど、そうだとしてもこれが特殊な関係だということは理解していて、そしてこの関係に先はないだろうと漠然と感じていたのである。いつか疎遠になって、会わなくなったら、きっとロイはエドワードのことを忘れるだろう。エドワードがロイを忘れられるかどうかはまったくわからなかった、というか考えることすらできそうになかったけれど、これから年を取ればわからないと思った。そして、元の体に戻って。ああ、終わりなんだな、と何となく思った。これで他人になる、と思うほどエドワードは単純ではなかったけれど、しかし、以前のようなことが起こりえるほど近い間柄でなくなるのも確かだと。それはそんなに奇抜な考えではなかったはずだ。
終わるんだろうか、と思ったとき。
ぽっかりと穴が空いたように感じた。愛なんて甘い言葉を囁かれたことはなかったし、囁いて欲しかったわけでもないと思うのだけれど、それでも、抱きしめる腕の強さや誰かの鼓動を感じながら眠りにつくことはいつの間にかエドワードの中で代えがたいものになっていたということだ。そして、教えられた快楽も。
そんな時、ロイに呼び出された。一体何の用だと口を尖らせつつも、本当はどこかで喜んでいた。まだ終わりではないのだと、そのことを。
そして告げられたのが先ほどの一言なのである。
結局路地から、まるで子供のように手を引かれて、エドワードはどこかへ連れて行かれた。ロイの靴だけを見ていたから、あたりの景色も人の視線もわからない。時折繋いだ手の温度を感じて恥ずかしくもなったが、ロイは前を向いたまま何も言わないし、何かを聞く雰囲気でもないしで、ようやく顔を上げたのはロイの足が止まった時だった。
「ようこそ」
大きくも、新しくも、古くも、立派でもない。どこにでもあるようなごく普通の一軒家。一階毎の広さはさしてなさそうだが、三階まであるから部屋数は少なくもないのかもしれない。大家族で住むには狭いかもしれないが、一人暮らしには広いだろう。
蔦の絡まる煉瓦の壁を見上げ後、門扉に手をかけたままのロイを困ったように見れば、彼は少し目を細めて首を傾けた。
「気に入らないかな」
「…ちょっと、ごめん、意味がわかんねえんだけど」
「まあ、入ってみてくれ」
ロイはエドワードの困惑になど構わず、ほんの少し力をこめて手を引くと門扉を閉める。猫の額、よりはいくらか広い庭にはそれでも庭木が何本か植えられていて、微かな柑橘系の香りに気を引かれた。
窓辺にはほんの少し身を乗り出せるくらいのベランダ。どこか時代を感じさせる意匠は妙に洒落がきいている。
「一階は全部書庫なんだ」
ドアを開きながらロイは言う。エドワードは思わずロイを見上げたが、彼は振り向かない。きっとまだ何か他にも明かすべき秘密を持っているのだろう。
「本は重いだろう? 買ってきてすぐに置くのは一階の方がいい。火事のときも運び出しやすいし」
「…火事のときはまず身を守れよ」
「君が一番危ないと思って言ったんだが?」
「う」
詰まってしまったら喉奥で笑われた。
「二階にリビング。ダイニングとキッチンと、全部フロアは繋げている。それからバス、トイレ、ランドリー」
階段を昇りながらロイは続けた。何となく後ろに従いながら、エドワードはきょろきょろとフロアを見回す。外から見るより広々として感じられた。リビングの奥にはどうやら暖炉があるらしい。そういえば煙突があったが、あれは飾りではなかったのか。
「三階には寝室だ。二人で一部屋ずつ使っても部屋が余るから、客間に出来る、が」
「?」
意味ありげに台詞を切るから何かと思って見上げれば、そこで初めてロイが振り向いた。
「寝室は別にはしない」
「……あ、そう」
「寂しい反応だな。もう少し驚いてくれてもいいのに」
「…あきれてるだけだ」
「ああ、ベッドは広いから安心してくれ」
「…ベッドも一緒なのかよ!」
「何か問題が?」
「~~~~~~っ…ばかか、ほんと」
「ああ。私も自分がここまで馬鹿だと知ったのは最近だ」
とうとう階段を昇りきって、廊下に立ちながらロイは笑った。仕返しのような自棄のような感じでエドワードは言い返す。
「遅いぜ。オレは前から知ってた」
「君の方が賢かったということだな。ところで、まだ屋根裏があるんだが、見るかね」
「屋根裏! あるのか?」
「ああ。好きそうだと思って」
「あんたは?」
ロイは悪戯っぽく目を細めた。恐らく無意識なのだろう、目を輝かせるエドワードをいとおしく思っていることが過不足なくわかる、それはそんな目だった。
「昔から憧れていたものがある。なんだかわかるか」
「わかんねえ。出世?」
「君は夢がない。…屋根裏と煙突のある家に家族で住むこと。私のささやかな憧れだよ」
エドワードはぽかんと目と口を開けたが、しばらくして困ったように笑う。
「なにそれ。超、庶民的」
「今まで誰にも話したことがない」
「正解」
「話さなかったのが?」
「オレにだけ言ったのが」
エドワードはロイの脇を通り過ぎて、「それで? 屋根裏ってどうやっていくんだよ」と早口に問う。早口はエドワードが照れていたり泣きそうな時に出る癖だ。ロイはわずかに笑って、こっちだ、とその手を捕まえる。びくり、と手の中で手が震えた。
「三つ目と四つ目の窓の間の天井、ほら、板が浮いて見えないか? あの板に取っ手がついてるだろう、あそこを…」
片手でエドワードを捕まえたまま、ロイは廊下に立てかけてあった棒状のものをとってバックの持ち手のような取っ手を引っ掛ける。
「あ、」
板は開いて、そこから簡素なはしごが落ちてくる。
「昇ってみる?」
「もちろん!」
いっそ無邪気に目を輝かせてはしごに手を伸ばしたエドワードに、ロイは嬉しそうに目を細めた。
屋根裏は天井こそ低いものの、思ったよりも広かった。…低いといってもエドワードの身長ならさほど気にならない高さだったし。
「なあなあ、ここにさー、ソファーとか置きてえな」
大きな窓の傍でエドワードが楽しそうに腕を広げる。
「それからちょっと本棚と、あと、…」
ロイは窓枠に腰掛けながら頷く。
「テーブルも必要だ。お茶を飲むのに」
「茶ぁ?」
「ソファーじゃなくてベッドでもいいぞ。星を見ながら眠るのもいいじゃないか」
「…ベッドって、なんか」
エドワードはふいと顔をそらした。その耳の先が赤くなっているのを見て、ロイはふっと笑う。
「勿論、寝るだけじゃなくてもいいんだが。毎回同じベッドじゃ飽きるかもしれない」
「ばっ…! あんたはほんとにばかだ! いっぺん頭改造してこい!」
「馬鹿なのは認めるが、改造は困るな。君だって今の私が好きだろう」
事も無げにさらりと言った男は確信犯もいいところだ。
「~~~っ…、知るか、バカ」
口を尖らせ、エドワードは何となく黙り込む。時刻は夕方に向かう午後。陽の光は段々と輝きを失っていきつつある。
「…エドワード」