星を奪う男
国を造った英雄は苦悩した。やっと得た自由がまさかそんなことで潰えるなど、考えただけで目眩がする。
そして打開策として議会が考案したのは…、
「…なんだって?」
国家元首たる英雄は眉をひそめた。あまりにも予想外のことを言われたせいだった。
「だから。こんなのただ頭下げたって無理だろ、一計を案じるしかない。そう言った」
「一計って…、だまし討ちにするということか」
「だまし討ちとは言葉が悪いな、元首殿」
英雄の親友でもあり参謀でもある男は、にい、と口角を上げてたしなめる。だが英雄はどんなに言葉を飾っても同じだろう、と涼しげな目元を苦々しく歪めた。
「どっちかっつったら、うちの国のいいとこちょっと見学してみてくれませーん? 的観光誘致作戦だろ、そう疑うなって」
「…それで近隣から女性を集めて帰さないつもりだろうが」
「帰さないとまでは言ってないぜ? 帰らないで残ってくださいってお願いをしますって話だ」
「…拘束してそれをいうなら、ただの脅迫じゃないか」
溜息混じりに言った英雄に、親友は真面目な顔になった。
「正義のために国を滅ぼすか? それがおまえの正義なのか」
「――っ、」
黒い切れ長の瞳に怒りを灯して英雄が睨みつけてくるが、親友は動じなかった。
「いいか。大人になれ、ロイ。このままじゃな、遅かれ早かれ国は滅ぶぞ。そうしないためには、誰かが悪役になるしかねえんだ」
「…つまり、私が、か」
唇を歪めて確認すれば、すまねえ、と殊勝に頭を下げる親友に、英雄は勢いをそがれてしまう。
「…わかった」
苦々しげに、それでも頷いた英雄に、親友はぱっと顔を上げる。呆れるくらいいつもと同じ表情をしていた。もしかして騙されたのかと思っても、もう遅い。
「おまえさんは何しろ顔がいいんだから、色々頑張ってもらうからな」
親友は参謀らしく既に計画をお持ちのようだ。英雄は肩を竦めて溜息をつく以外になかった。
――そうして数日後には、仕事の早い友人によって使節団が整えられ、英雄でも元首でもある男はクセルクセスへ王国へと送り出されたのであった。
「……」
高い塔の一番上の部屋、窓から地上の様子を見下ろして、その人は溜息をついた。
細い肩にかかる金色の髪は星のように美しく、地上を見つめる瞳もまた同じほど美しい金色をしている。
部屋はそう広くなく、最低限の調度類しかないように見えた。だが、そのどれもが贅を尽くした美しい品であることもまた一目瞭然だった。例えば鏡台の大きな鏡は南海の大粒の真珠で飾られていたし、寝台にかけられた布は貴重な糸で織られたのだろう、玉虫色に輝いている。窓にはめられたガラスもまたゆがみのない透明度の高いものだったし、その人、恐らくは少女であろう幼げな人物が、この部屋を作った人間から大事にされているということは明らかだった。
しかし同時に、彼女の表情を見れば、彼女自身はこの待遇に満足しているわけではない、ということもまた明らかだった。物憂げな表情は、この部屋の調度類が彼女を完全には慰めきれていないことを暗に示している。
「…いいな」
ぽつりと呟いて、ざわめいた街中の様子にまた溜息。どうにか頼み込んで侍女に教えてもらったところによれば、アメストリスという国から使節がやってきているのだという。アメストリスは最近革命によってがらりと国の機構が変わった国で、言ってみれば新しい国である。その革命の英雄となった男は国と同じで若く、安定はしているが少々新鮮さにかけるこの国の人々は、物珍しさから使節と英雄とを見るために人垣を作っているのだとか。
英雄その人にと言うよりもそういう空気にこそ憧れがあって、けれどそこへどうあっても出て行けない自分を知っていたから、少女はたた、溜息をつくしかなかった。
「…アメストリスの、」
書状を携えてやってきた使者はまだ若い男だった。その名を持つ国と同じで。玉座から彼を見つめながら呟いた王に、使者に立った将軍は畏まって口を開く。
「賢君と名高きクセルクセス王にお目通り叶い、望外の喜びにございます。我が国はまだ生まれたばかり。ご指導、ご鞭撻の程よろしくお願いいたします」
礼儀正しく頭を下げた後、黒髪と黒い瞳の若い男は玉座にある王をひたと見据えた。口調も態度も丁寧なものだったが、唯一その目つきだけはそれらを裏切るほどに強いものだった。けして野心を感じさせるとかそういったことではない。粗野というのとも違う。ただ、とにかく「強い」。鮮やかなまでに。
「それで。そのアメストリスの英雄殿が、どうしてまた。今のこの大事な時期に、元首殿自らがじきじきにやってきてくれたのは一体?」
クセルクセスの王は賢君として名高かったが、同時にその王者にはあるまじき気さくさでも知られていた。彼は気取ったところのない態度で、砕けた様子で問いかける。彼の手には、男が新生国の使者が持ってきた書状があった。
書状の内容は、お決まりの美辞麗句に続いて、建国の祝いの宴を催すので広く人々を招待したい、というようなものだった。
「随分大盤振る舞いだけど、建国したばかりだろう?」
暗に、そんな経済的な余裕があるのか? と彼は問う。英雄は微かに苦笑した後、仰る通りです、と申し出を認める。しかし、それで終わりにもならない。
「確かに余裕はありません。しかし、やっと我々は解放され、新しい、自由な国を作るのです。こういう時にこそ、こういうことをしなければ、と。議会が全会一致で」
「はあ、なるほどねえ…そういえば、君のところは議会制なんだったね」
王は何気ない調子で呟いたが、それはつまり、彼がしっかりと周辺国の事情を抑えているということを示していた。内心舌を巻きながら、将軍は「はい」とそらとぼけた様子で答える。この分だと他の事も把握している気がする、と思いながら。案の定、王は淡々とした調子で続けた。
「確か、そう…君のところは人口の男女比がものすごいそうだね。国の規模では動いていないそうだが、民間では随分嫁探しの手を近所に広げていると聞いたが」
やはり知られていたか、と思うものの、男はぴくりとも顔を動かさず、穏和に流す。
「それはお恥ずかしい話をお耳に入れまして…、確かに、戦争が続いたもので、女性が極端に少ない。ですが皆無なわけではありませんし、法にふれることはないよう、議会でも手を入れております」
「へえ。皆決まりはちゃんと守るということか」
王は嫌味を言っているようには見えなかったが、といって冗談を言っている風でもない。英雄は内心気が気ではなかったが、顔に出すのだけは回避した。
「じゃあ、これは純粋に、本当に、祭りの招待だと思っていいんだね?」
「はい。勿論」
真っ直ぐに見つめれば、王は暫し思案の後、側近を呼んだ。ここで斬り捨てられることも覚悟していた英雄だが、王はそんな血なまぐさいことはしなかった。
「じゃあ、国民に触れを出そう。行くか行かないかは当人の自主性に任せる。それでいいかな? マスタング殿」
「はい。寛大なお心、感謝いたします」
「…別に、君の国にうちの女性をあげようとは言っていないよ。感謝されることはないな」