NAMELESS OPERA
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「お父様!」
謁見室に入るなり、ティアはドレスの裾を絡げて駆け出し、玉座のサマルトリア王の膝にしがみついた。
国王は王女を小声でたしなめたが、膝元に顔をうずめて離れない小さな王女に、居並ぶ重臣や衛兵の真面目な表情が柔らかなものに変わる。
天井には、上昇感のある高い大アーケードと、四隅から張り渡されて、対角線に十字を為すリブ(アーチ)が、美しさの中に荘厳さをかもし出していた。
玉座はサマルトリア産の琥珀で作られ、金色に縁取りされた豪奢な赤い絨毯が、入り口から真っ直ぐ玉座まで道をなしている。
「サマルトリアへようこそおいでになられた」
若々しい声で迎えられ、眼前で畏まっていたアレンは顔を上げた。
「陛下にあらせられては、お心遣い、勿体無く存じ上げます」
国王は万事心得てることを示すように無言で頷き返す。
アレンが自国を出奔してすぐ、その一報は隣国まで飛ばされたことは確実だった。直ちにローラの門はサマルトリア側によって封鎖され、ローレシア大陸にアレンは封じ込められるはずだった。
が、しかし、国王として、父親として、ローレシア王も苦渋の決断を下したのであろう。
目の前のサマルトリア王も、まだ壮年とも言い難い若さでいながら、表情の明るさとは裏腹に、苦悩の色をありありとたたえている。
叔父とはいえ、皇太子とは十五才程しか離れていないはずだった。
猛禽を思わせるローレシア王の謹厳さとは全てが対照的に、サマルトリア王は社交的で明朗であり、王女が慕うとおり、家庭的な父親でもあった。
サマルトリア王家の持つ、明るい色の髪や青い目は、国王から王女へと受け継がれており、まもなく十歳になるティアの小妖精のような顔立ちは、出会った頃のカインをアレンに思い出させた。
国王の整った容貌の驕慢な印象は、神聖国家としては華美で豪奢な衣裳と、耳朶に輝く暗緑色の宝石と相まって否定できないものだったが、外交に長け、福祉に力を入れた統治は、内外から高く評価されているものだった。
ことに継承問題に関しては周辺国にとって最も注目すべき核となっていたが、国王はなんら後ろ盾の無い皇太子の強力な庇護者として親代わりを務め、王女とは実の兄妹であるかのように分け隔てなく振舞われ、何の危惧も存在しないようだった。
サマルトリア王は、アレンの端正な容姿と、泰然とした挙動に賛嘆の思いを禁じえなかった。
天が勇者としてこの地上に生を与えたとしたら、まさしくこのような少年であると確信せざるを得なかった。
「殿下のお耳にも既に入っていよう。今となっては、ローランド殿のお苦しみは、余のものとも言える」
父の名を聞き、アレンはわずかに目を伏せた。
父の気性であれば、病床でさえなければ、自分自身で剣を執り立ち上がったであろうことは、たやすく想像がつく。
彼らしからぬ弱気が、唯一の嫡出子であるアレンの出立を許さなかったが、アレンもまたこの父と同じ気概を持って生まれているのだった。
「やはり血は争えぬ。我が子カインもまた、ロトの血脈を継ぐ者として、殿下と目的を一となし、余は父として、それを許すことも止めることもできぬ―――」
国王は驚くべき率直さで、自身の苦悩をあらわに、玉座の肘当てを掴んで言葉を切った。
心配そうに父親を見上げるティアの頭に、優しく手が置かれる。
「カインは体も弱く、意気地も足りまい。どこかで動けなくなることを思えば、今すぐにでも連れ戻してしまいたい。だが、それは、親ゆえの子に対する気の迷いであって、ローランド殿がそれを克服された今、余には許されぬこと」
「畏れながら、陛下。直ちに私がカイン殿下を追い、必ずお援けすることをお約束いたします」
国王は悲痛な面持ちのまま、アレンに向かって頭を下げた。
「恥を承知で、殿下にお願いいたす。わが息子カインをくれぐれもよろしくお頼み申し上げる」
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