Beast
長曾我部元親は、幼いころから人の心を掴むのに長けた少年だった。
同級生にも下級生にも、時には上級生にまで「アニキ」と呼ばれ、その仲間たちを「野郎ども!」と呼び笑いながら他愛もない悪戯を繰り返して回ったりした。しかもその頃はまだ背も伸びる前で、性格も言動も男前なわりに姿ばかりはかわいらしい、という反則的なものだったから、早いうちから異様にもてた。女にも男にも惚れられた。それらを悲しませないようにすっきりと断りながら(なにせ本人は色恋沙汰より「野郎ども」を率いることに熱中していた)、楽しく巧みに生きて今日に至る。十にもならないうちからそんな濃い人間関係を築いていたので、彼は人との距離の取り方が非常に上手かった。
そんな元親が家康に出会ったのは、中学の頃に始めた剣道場の交流試合でのことだ。違う学区の少年たちが集まる剣道場で、「おめえ、この間西区の代表で試合出てたよな?」と話しかけてきたのが家康だった。
「ワシは東区を狙ってんだ!当たったら、よろしくな」
早くに背も伸び始めていた元親に比べて、にかりと笑いながらそう言う少年は小柄で背が低く、集まっている中でも一番幼く見えた。おおよろしくな、と言いながらその実、元親は全然本気にしていなかった。
だから、その後の交流試合で対戦して驚いたのだ。リーチの差をものともしない力強さでぶつかってくる家康に、胴を狙われてひやりとした場面も多かった。
結局、その試合は元親が勝った。だが予想以上の手強さだった。試合後に、「正直、なめちまっててすまなかったな」と詫びた元親に対し、一瞬きょとんとしたあとに家康は満面の笑みを浮かべた。
「ワシはこの通りの見かけでな、手加減されちまうこともなくはねえ。
おめえが本気出してくれて嬉しかった!」
以来、二人は違う学校ながらもたまに遊び歩く仲になった。
高校に入り夏を過ぎた頃のことだ。
元親がその少年の話を聞いたのは、家康本人からではなかった。
家康と同じ高校で、元親と同じく家康に親しい友人が、遊んでいる際に偶々口にしたのだ。高校に変なやつがいるんだ、と。その様子があまりに思いつめたものだったから、元親は口をへの字に曲げた。
「変なやつだァ?」
「ああ、」
溜息混じりに肯定する友人の顔は、苛立たしさと困惑とが入り混じった、それこそ妙な表情だった。
「変ってェのは、どういう意味だ?なんか妙な趣味でも持ってんのか?」
話の先を促せば、彼は逡巡するように一度視線を彷徨わせてから、こんな風に切り出した。
「なあ、家康ってすげえ奴だよなあ?」
元親は唐突な話の変わり方に一瞬戸惑った。だが、それは実際確かだった。直接口にするのは気恥ずかしいが、出会って以来、元親は家康のことを一番に認めている。だからともかく同意した。
「ああ、そりゃあな。アイツは大したもんよ」
「だよな。じゃあさ。
あいつが、『誰かを徹底的に痛めつける』ことって―――あり得るか?」
一度だって考えもしないことを尋ねられて、元親はぽかんと口を開けて固まった。
そして次の瞬間、ぎらりと剣呑な光を眼に浮かべ、
「……ンなことがあったとでも言いてェのかよ?」
低い声音で問いかける。適当なことを口にするのは許さないという恫喝の声だ。
「あり得ない」
だが、相手もまた低い声で、自身が発した疑問に答えを返した。
「想像すらしないよ。……だけど、そういうことでもなきゃあ、あいつのアレは、異常なんだ」
そして友人は、「家康を嫌いぬいている」少年のことを話した。
あいつの眼はこわいよ、と話の最後に彼は呟いた。
聞くところによると、家康とその少年との確執は中学時代には始まっていたらしい。一年の頃にはどうもきな臭い出来事もあったらしく、家康はそのことに関して自分から触れることはないそうだ。道理で自分も知らないはずだ、と元親は思ったが、水臭いとは思わなかった。誰にでも、ひとつやふたつ、気軽に他人に言えないことはある。
だが。
元親は家康の人柄に理由なく嫌える部分などないことを知っていた。にも関わらず、その家康を嫌いぬいているという少年は、周囲の誰かが一体ふたりに何があったのだと理由を問うたびに睨みつけて「何もない」と言い張っているのだという。
そりゃあちょっと、よくねえな。
元親は話を聞いて以来、胸のうちに燻るものを抱えていた。家康は元親の友達だ。この先だってずっと付き合っていきたいと思わせる奴だ。その友人が理由ない悪意に長年悩まされていると知らされては、穏やかではいられない。
そうして悶々と考えているうち、ふと元親の頭に閃くものがあった。
元親と家康は学区の離れた高校に通っている。会って遊ぶのは、決まって互いの高校の中間の場所にある繁華街が多かった。そしてその街を歩いている時に、不意に家康が「元親、」と名を呼んでそれまで歩いていたのとは別の道を選ぶことがあった。
「どうした?」
「ちょっとな、」
曖昧に答える家康は珍しいので、何か気にかかるもんでもあったかねえと元親は周囲に視線を投げかける。
その視界を銀色がよぎった。
たまに、ごくたまにだが、不自然な様子を見せる家康。
その向こうには、いつもあの色がなかったか?