Beast
「……聞く前に身構えたワシの気持ちをどうしてくれる」
最終的にはどこか間の抜けたいきさつに脱力した家康に対し、悪い悪いと元親は悪びれなく謝った。
「まあそういうわけでよ、……実はお前の話はたいしてしちゃあいねえんだが」
「それでもたいしたもんだ、元親」
家康は苦笑を浮かべて言った。
「ワシは、あいつとそんなに話したことはないなあ……」
それどころか、そんな馬鹿馬鹿しい一面があることすら知らなかったぞ。
だが、言いながらくすくすと笑う家康の顔にあるのは、不釣り合いなほどに仄暗い眼だ。
元親はこんな顔の家康を見たのは初めてだった。
「お前も、石田の話になると、ちょいと普段と違うなあ……」
少し姿勢を正した元親が呟くように言えば、家康はくつりと笑って「そうだろうな」と認めた。その笑い方があまりに暗く、常の彼とはかけ離れているものだから、元親はきつく眉根を寄せる。どう考えても、互いが互いに悪影響を与えているとしか思えない。
「石田もお前の話さえしなけりゃあ、わりと話のわかるやつだったぜ。
なあ、いっそ会わなきゃいいんじゃねえか。お前ら。高校のやつらに聞いたけどよ、―――進路決めたの、お前が後だったんだろ?」
「そこまで知っているのか」
家康は思わず苦笑いのまま頷いた。中学の友人も、最後まで訝しがった。どうしてわざわざあいつがいるとこ選ぶんだよ、と。学力的にも経済的にも、家康には他に選びうる場所があった。養護施設の補助金の関係上、行ける高校の決まっていた三成を避けようと思えば、避けられた。
「……いやだったんだ」
苦渋の声音に反して、家康の顔には迷いがなかった。
「それはいやなんだ。どうしてだろうな元親。
眼を離すことはいやなんだ」
同じ場所に行ったとて、何が変わるわけでもないと知っていたのに。
元親と別れた後、家康は真っ直ぐに家に帰る気分にもなれず、そのまま辺りをふらついていた。
―――元親は、良い奴だ。
家康は心底そう思っている。大雑把なようでいてその実、人の心を読むのが上手く、しかもそれが厭味にはならない。彼のそばでは自然と笑顔になる友人たちを、家康は何人も知っている。
だから、あの固い殻に閉じ籠った相手をたやすく引き寄せたとしても、不思議はない。
そう納得するのは確かなのに、家康の胸の中には何かが濁って燻っている。
あの、手で触れたら途端に切り裂かれてしまうような少年は。
家康にとって歓迎すべきものであったことは一度たりともなかった。出逢ったその日に手酷い仕打ちを受けてからずっと、理由なく自分を脅かすなにか得体のしれないいきものであったはずだ。
なのに家康は、元親に告げた通りに、どうしてもあの存在から眼を離して穏やかに過ごすことができなかった。すれ違うことすら避け続けた三年間を過ごしてなお、視界の端にはいつもあの頑なな姿を入れていたように思うのだ。
彼の在り方に傷つく自分がいる一方で、それを認めている自分が隅に佇んでいる。
彼を見るたびに湧き上がる名前のつけようもないもの―――それは後ろめたさ、にも似ていた。
こんな気分を抱えることには慣れていたはずだった。それに蓋をして、見て見ぬふりをすることを、もう何年も続けているのだ。それなのに今日ばかりは、どうも燻りが抑えきれない。
はあ、とそれを吐き出すように溜息をついた家康は、ふと視線をあげて――――
雑踏の中に、銀色の後ろ姿を見つけた。
意識していなかった。気付いたら手を伸ばしていた。
後ろから腕を掴めば、驚いた顔で振り返った相手が、さらに眼を丸くする。その眼差しが忌々しげに歪むよりも先に、家康は相手の腕を掴んだまま駆けだした。離せ、と喚く相手を無視してとにかく人ごみを避けて走る。
そしてようやく人の波が過ぎ去った道の端で、家康がふと気を抜いた瞬間に、掴んでいた腕が鋭く跳ねのけられた。
「――――何のつもりだ、貴様」
低い低い怒気を孕んだ声音だ。
だが家康は、中学の頃に比べれば、今すぐに刺されないだけましだな、と思った。そんなふうに開き直ることなど今までならば考えられなかったが、今夜はどこか箍が外れている。
家康が腰を据えて真正面から向かい合うと、三成は憤りの中に薄ら怪訝な色を乗せて、家康を睨みつけた。
「……気味が悪い」
言い捨てて、これ以上見るのも厭だという顔で踵を返そうとするのを、咄嗟にもう一度腕を掴んで引き留める。先程は無意識だったが、片手で掴みきれてしまうことになんとなく驚いて、
「細いなあ、お前。きちんと食っているのか?」
まるで普通の友人のような言葉が、するりと滑り落ちた。
言った途端にまずい、と思う。考えなくてもそれは、元親に聞いた話の影響だった。
みるみるうちに怒りで赤く染まった顔は、ずいぶん昔に目の当たりにした、憎悪に濁った顔をしていた。
「ふざけるなよ貴様!」
言いながら、掴んでいた片手を逆に強引に掴まれる。その瞬間に、あり得ない方向へ折られると悟った家康は、渾身の力でその腕を奪い返した。引き抜かれた腕に、ちぃと舌打ちをする三成は、やはり家康が知っている通りに凶悪だった。そして激情に濡れたように光る眼をしたまま、ふ、と口の端を歪にあげる。
「どういうつもりだ。死にたいのか?」
それは脅しではない。
家康はそれを知っていたが、退くよりも今はどうしても三成と話をしたかった。
「……理由はないんだ」
言った途端に、「ふざけるな」という二度目の恫喝が叩きつけられる。
家康は、自分が口にした言葉にふと小さくわらった。
「………ワシらはずっとそうだったじゃないか」
ますます吊りあがった眼が容赦なく家康を突き刺した。
「貴様が私に同意を求めるな!」
だが三成の激昂をあえて無視して、家康はそっと燻っていた奥の手を放った。
「元親と会ったんだってな、」
三成は、それがどうしたという顔をした。
特に特別な反応も何もなく、ただただ家康と会話をしているという事態に対する憎々しさを露わにしていた。家康が次のひと言を口にするまでは。
「お前と友になったと言っていた」